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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

まるごとミュージアムでみた中央区の文化の蓄積

2017年11月07日 | 日記

今年の中央区まるごとミュージアムは、台風の前触れの雨のなか10月29日(日)に開催された。そのため屋内イベントや展示の見学が主になった。
中央区は、江戸時代以降ではあるが首都の街としての歴史や伝統がある。能や歌舞伎などの芸能、居留地があったので洋学の窓口など文化の蓄積もそれなりにある。しかも下町と都市の二つの顔をもっている。

まず、薬研堀不動院の「講談」体験に向かった。東日本橋にある薬研堀不動院は真言宗智山派の寺で、1585年創建と古い歴史をもつ。川崎大師の別院で、目白、目黒と並ぶ江戸の三大不動のひとつに数えられる。また1838年にオランダ医学塾を開講した順天堂(現在大学は御茶ノ水にある)発祥の地でもある。中央区には解体新書をつくった蘭学事始地の碑もあり、長崎に次ぎ横浜、神戸と並ぶ西洋文明受け入れの窓だったようだ。さらに、元禄年間に浅草見付に太平記講釈場ができ、記念碑がこの寺につくられたことから講談発祥の地とされている。
そこでこの日のイベントとして講談の会が開催された。
演じたのは一龍斎貞友師匠、演し物は豆腐屋七兵衛と荻生徂徠の「徂徠豆腐」だった。
徂徠が貧しい学者だったころ、七兵衛がオカラを無料で援助し、のちに偉くなった徂徠が火災で丸焼けになった七兵衛の店を建てて恩返しする、つまり情けは人の為ならず(やがて自分に戻ってくる)という話である。わたくしは講談を聴くのは生まれて初めて、浪曲や義太夫との違いも知らなかった。しかし落語と同じように現代語の話で、かつさすがの話芸で楽しめた。また声そのものもいい声だった。貞友さんは声優も務めており、ちびまる子ちゃんのお母さん役、忍たま乱太郎の福富しんべヱ、ハリー・ポッターのロンの母役で、日本香堂の「お彼岸だものね、お線香は毎日香」のテレビCMの声をやっている方だそうだ。どこかで聞いていたかもしれない。また下町だからか、1階で抹茶と菓子のサービスがあり、講談の会場でも、早く来た人に「瓦せんべい」がふるまわれた。

次に人形町から水天宮方向に200-300mほど行ったThe Livingというスポットにいってみた。「古書と憩いの場」というタイトルだったので、てっきり日本橋の古書店のイベントかと思った。しかし話を聞くと、マスターの蔵書を公開していて売り物ではないそうだ(ただし貸出はしている)。個人のコレクションと聞くとちょっと興味がわき、そのつもりでみると、都市の本や情報科学の本が多かったが、「失敗の本質」、別冊宝島の「文章・スタイルブック」、社会学者・見田宗介の著書など自分が読んだ本もみかけた。普段は、イベント企画や原稿執筆のオフィスとして使っているスペースだそうだ。
店の前にまるごとミュージアムの「玄冶店の跡」という表示があった。切られ与三郎やお富さんの玄冶店である。しかしこの場所というわけではなくそれはもう少し人形町の交差点の北側だったようだ。このビルはもとは卸問屋の事務所でこのスペースは車庫だった。なるほど車庫と書庫なら一字違いだ。

アンティークモール銀座は、1階に3店舗、地下1階に13店舗あり、アンティーク着物、伊万里、マイセンの陶器、茶道具、宝石、古い腕時計、おもちゃ、和洋両方の古い人形、など、いろいろ面白そうなものが並んでいた。まさに「売り物」のアンティーク商品である。テーマが「銀座・懐かしの大正昭和の風景」となっていたので、銀座に関係ある商品が並んでいるのかと思ったらそうではなかった。
しかし、近代建築MUSEEまるごと版企画展でそれに代わるものを見ることができた。

「銀座レトロ絵葉書」という展示だ。1枚ごとの絵葉書の解説がよくできていて、このビルがある「銀座1丁目付近には職人の住宅があった」とか「銀座の店主は予想外に大阪出身の人が多いが、いまではすっかり東京に溶け込んでいる」「銀座といえばデパート、商店など商業の街と思われているが、一方で朝日、毎日、読売その他電通などマスコミの街でもあった」ことなど知らないことがたくさん書かれていた。MUSEE代表の川崎力宏さんが「勉強しながら書いた」とのことだ。すばらしい仕事だ。絵葉書と解説文の展示は、常設展示でみられるそうだ。ぜひもう一度いってゆっくり眺めてみたい。
銀座レトロミュージアムMUSEEは美術展・展示会をプロデュースしている。画廊のように作品を販売するわけではなく、民間美術館と同じく展示するだけだそうだ。
昭和通に面したこのビルは1932年竣工で、昨年みた奥野ビルと同じ年の竣工だ。いまのオーナーに代わった2013年までは酒肆小鼓という小料理屋が営業していた。鉄筋3階建てのビルだが、床部分は鉄筋ではなく木造になっている。また2階から3階に上がる部分にむきだしの古いガス管がみえる。青いペンキを塗ってあり、芸術作品にみえた。
事業としてという意味ではあるが、中央区には、個人で文化に貢献している方がいらっしゃることがわかった。

その他、日本橋図書館で「日本橋の神社展」、築地の京橋図書館で「中央区制施行70周年、ともに歩んだ京橋図書館」という展示をみた。日本橋は江戸時代以来の街なので、33もの神社がある。弁財天の水天宮、恵比寿天の椙森神社、大黒天の松島神社など日本橋だけで七福神がそろう。また中央区は日本橋区と京橋区が1947年に合併してできた区である。その後の歩みをパネル写真で展示していたが、大小河川の埋立、地下鉄や首都高の建設、中央区唯一のJRの駅・東京駅八重洲口の開設(1953年)など、インフラ中心ではあるが、中央区が大きく変貌して現在の姿になったことがわかった。

まるごとミュージアムの日は、銭湯でタオルをもらえる。昨年は勝どき湯に行ったが、今年は銀座の金春湯にいってみた。この銭湯は幕末の1863年(文久3年)開業、おそらく日本中の銭湯のなかで最も古い部類の店だろう。金春は能の金春流の金春だが、とくにその子孫というわけではなく、このあたりに金春屋敷があったのでそういう名前になっているということだ。
いまの経営者の祖父が戦後この銭湯を買い取りそれから70年になる。もちろんビルの中の銭湯で、ビルになったのは1957年ということなので、かなり古い。その後耐震補強工事などを行ったそうだ。
カランの数は18、ロッカーは48(その他常連客用の小さいロッカーが14)なので、そこそこの規模である。ふつうの銭湯より若い客が多いように思った。これから夜の仕事という職の人かもしれない。
壁にはおなじみの中島盛夫さんの富士の絵が描かれている。店主が石川出身なので、九谷焼の緋鯉・真鯉、春秋花鳥の絵のみごとなタイルが浴室に貼ってある。絵師は石田章仙。耐震工事の前まではもっとタイル絵があったそうだ。
ビルの1階には銭湯以外にオーガニックマーケットという花や化粧品の店、地下1階には笑座こんぱるというショーレストランの店、2階は、ぱいかじという沖縄料理の店が入っている。
左右はバーやレストラン、向かいは寿司の銀座久兵衛別館、いかにも地代が高そうな場所だ。つねに不動産価格(路線価)日本一の鳩居堂ビルまで400m程度の場所だ。そういう意味で、湯上りは気分だけゼイタクになれる。
中央区は、文化が歴史のなかで蓄積した地域であることを、イベントやものをみて実感する一日となった。

泰明小学校校庭で、新富こども歌舞伎の「元禄花見踊り」
☆1週間後の11月5日には「Autumn Ginza 2017」という商業のイベントで、新富座こども歌舞伎が泰明小学校で開催された。演し物は長唄「元禄花見踊り」と菅原伝授手習鑑の「吉田社頭車引きの場」。これは江戸三座のひとつ新富座(当時は森田座)が浅草から新富町に引っ越してきたことにちなみ、2007年に始まった。中央区には歌舞伎座や新橋演舞場、明治座もある。
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