大敗北の衆議院選から3週間がたち、考えるべき課題は多い。自公の大勝、民進の瓦解、希望と立憲民主の誕生があり、政党選挙について考えざるをえなかった。まず2つのグループの反省会について、簡単に報告する。
●東京2区の市民の反省会
東京2区の市民の反省会が選挙の2週間後に開催された。候補者の統一は成立したものの、結果は落選だったので、意気が上がらない。
候補者の性格・資質の欠点、9条や防衛、原発再稼働に関する考え方への批判、演説内容が抽象的など演説の仕方への不満、選対事務局の問題点、市民の声を聞く体質がない政党への不満など、多くの反省点が語られた。とくに共産党支援者で、今回は候補者一本化で立憲民主の候補の選挙を支援した方は複雑な気持ちだったようだ。逆によかった点は市民参加選挙だったことや、野党共闘で区をまたいで政党同士がつながる初めての選挙だったことが挙げられた。
雨のなか、築地・波除神社前での街宣
●市民と野党をつなぐ会@東京
市民と野党をつなぐ会@東京は、市民と立憲野党の共同候補づくりの連絡組織である。25区のうち13区で市民との共同候補が実現(立憲民主7、共産5、社民1)、うち7区で当選(小選挙区4、比例復活3)した。なお候補者を統一できなかった選挙区から2人、比例単独で当選した候補が1人いるので、立憲野党の衆議院議員は合計10人となった(東京全体では42人中の10人 23%)。残念ながら候補者の統一ならず立憲民主と共産が競合した選挙区が8区あり、選挙直前の民進党瓦解により、それまでの努力が無になった選挙区もいくつかあった。
選挙から18日後の9日夜、中野で選挙を振りかえる拡大運営委員会が開催された。この会では、統一候補実現への働きかけや市民と野党の共同という点に絞って各地区から報告があった。
公選ハガキに「市民と立憲野党の統一候補」と入れた候補、「市民と野党が支える候補」というシールを掲示場のポスターに追加で貼った区、立憲民主の街宣車で市民がスピーチしたときに「比例は共産」とはっきりアピールした区、などさまざまな工夫と努力が語られた。ただし小さいチャレンジはしたものの、アピール不足で、「共同候補」ということが有権者になかなか浸透しなかったところが多い。
候補者本人が統一選対を言いだし、立憲民主、共産、社民、市民の選対を実現させ当選した区、短期集中で運動を盛り上げ比例復活で当選した区、候補の統一には成功したが、肝心の候補は他県からの落下傘候補なので、どんな人か応援する市民にもわからなかった区、民進党の候補を推していたが、候補者本人が希望へ行くといい、結局希望から断られたのか立憲民主から立候補したが、そのときには支援者の気持ちが離れてしまった区、候補が共産党嫌いでかつワンマンで選挙を進めるため市民が困った区、今まで推してきた候補が裏切って希望の、しかも他県の選挙区に行ってしまったため、共産党候補に統一されたたものの一般市民から「民進党はどうしたんだ」といわれた区、また候補者の統一ならず、会としては選挙に関わらなかったため、選挙に関する会からの情報が入らないので、個人が情報不足になったという副作用を報告した区もあった。
悲喜こもごもだったが、やはり当選した区と落選した区、候補の統一がならず、ある意味で不戦敗だった区では、うれしさ、くやしさの濃淡が異なった。
今回は、区割り変更の影響も語られた。極端なところでは、いままで2つの区の選挙区だったのが6つの区にまたがるように変わった。また民進党の瓦解で民進の区議も勝手連的な応援しかできなかったという報告もあった。
その他、選挙制度に関する問題点も話題に上った。小選挙区制は二大政党制を前提にしている。だが現実は多党制なので、どうしても権力政党に有利に働く。一方政党にとっては、候補者すべてを降ろして一本化させるという選択はない。
わたくしが感じたことをいくつか列挙する。
1 突然の解散というが・・・。
突然の解散で、「選挙の準備をする時間がなかった」という感想が多く聞かれた。今回は解散に民進党の崩壊が加わり、対応が大変だった。たしかにわたくし自身も予定が狂ってスケジュール調整が大変だった。今回民進党の瓦解は前原、小池とその周辺の数人にしかわからなかったのは事実だろう。しかし解散総選挙は、考えてみればいつも政権党の総理が突然決断するのだから、参議院とは違いいつでも突然なのだ。2014年暮れのときも同じだった。政治家と同じように、4年の任期の残り2年を切ればいつ選挙があってもおかしくないと考えて、市民のほうも準備行動を進めるほかない。
2 比例代表選挙を市民はどう戦うのか
統一候補を打ち出すと、候補者を降ろした政党への配慮が重要となる。このことは民進党の区議に「統一候補づくり」の要請にいったときに、区議から「小選挙区で当選できなかった場合、どうなるのか。そこまできっちり考えてから提案してほしい」といわれ、たしかに政治家にとって、救済策は死活問題だということに気がついた。さらに政党にとって候補を降ろすことはもっと大きい問題だ。
「つなぐ会」では、野党共闘の候補であることをもっと強調すべきだったとか、比例も新しいスタイル、たとえば「比例は、立憲民主、共産、社民、自由の4党からお好きなところへ」とアピールするなどの意見が出た。
後の共産党のところでも述べるが、自分の1票は別にして、それ以上に「選挙区は(A党の)○○さん、比例はB党へ」とB党票を積み上げる運動方法をどうすれば実現できるのか、考える必要がある。
もちろん、市民がなぜ政党間の「取引」のようなことにまで配慮しないといけないのか、という批判はあるのだが・・・。
3 どうやって自公の46%の「民意」を取り崩し、取り込むか
この総選挙の結果、自民284、公明29で合計313議席、議席全体の67.3%、維新11・希望50まで含めるとじつに80.4%となった。もちろん自公の比例票は67%ではないものの45.8%に達し、立憲民主・共産・社民は合計しても29.5%にしかならない(東京都では自公41%、立憲・共産・社民35%)。投票した人のじつに2人に1人が自公を推した。46%もの民意は、モリカケ問題が暴露されても、戦争法や共謀罪の強引な国会運営があっても崩れない(2014年選挙でも46.8%でほぼ同じ)。この現実を直視しなければならない。
立憲野党の候補統一は当選のための必要条件のひとつではあっても、十分条件ではない。どうやって2人に1人の自公支持者をこちらに振り向かせるかということが本当の課題だ。なぜ自公は国民に支持されるのか、自公支持の人の心情を同じ市民として知り、考えるべきということは10年くらい前から人にもいってきた。しかしここまで自公勢力が大きくなると、運動についても、選挙での自公の強みのうちマネできるところ、取り入れるべきところは取り入れたほうがよいと考えた。自公は組織選挙だという。町内会や消防団、商店会などで、具体的にどうやって影響力を及ぼしているのか参考になることもあるかもしれない。「選挙区は自民、比例は公明」というバーターがある程度成功していると聞く。しかし「創価学会ぎらいの自民支持者」は確実にいるはずで、その人たちにいったいどう働きかけているのだろう。
もちろん市民は組織化されていないし、そこが強みになる側面もあるだろう。またわかってもできないこともあるし、あえてやるべきではないという点もあるとは思う、しかし、逆に自公の強みのなかからアキレス腱のような弱点を発見することもできるかもしれないし、マネできることがあるならばしてもよいと思う。
4 この選挙で議員が半分強に減った共産党のために
今回、共産党は東京で8人、全国では64人候補者を取り下げた。そして東京では2014年の総選挙と比べ比例の得票率は15.4%が10.4%へ、全国でも11.4%が7.9%へと減少し、その結果、21人だった衆議院議員が12人へと半分強に減ってしまった。投票率は前回とほぼ同じく低く、ほんの3か月前の都議選では17から19に議席を伸ばしていた。10月28日の記事に勘で「地方の比例票の減少が大きかったのだろうか」と書いたがとんでもない話で、東京でも5%、全国以上に得票率が下がっている。これは政党にとっては大変なことだ。
東京では25の選挙区のうち共産党が8つの区で立候補を取り下げ、市民組織との共同で立候補したのが5区、単独で立候補したのが3区、立憲と競合したのが9区、合計17人が立候補し、当選したのは比例復活で1、比例単独で1の2人だった。
市民との共闘をするなかで、共産党支援の方は掲示場のポスターのみならず、それ以外の場所での大型ポスター貼りや街宣での動員など熱心に働いていた。それだけに不満が蓄積していると思う。
自分は別に共産党の人ではないのだから、そんなことまで考える必要はないとは思う。しかし数年前まで都知事選などで市民として統一候補づくりをしていたころ、一番恐れたのは共産党が抜け駆けして候補者を発表してしまうことだった。そんな時代に戻らないように何か方策を考えるべきだと思う。
◎付録 「希望の党」の今後について
「排除」発言で小池代表のパワーが少し弱まり、小池の10区の後継・若狭勝が落選・政界引退したのはよかった。当選した50人のなかには旧民進の地方出身議員で、立憲民主に近い考えの人も何人もいる。希望全体が少し野党化してくれるか、一部が立憲民主に移籍するかどちらが可能性が高いかと考えていた。しかし共同代表の選挙で、小池に考えが近い玉木雄一郎が立憲民主との協調を訴えた大串博志に39対14で圧勝したのは残念だった。こうなったら市民としては「心ある議員は立憲民主に移籍してほしい」と願いたい。
長妻昭議員、市民とともに街宣カーの上で
市民と政党という点で、こんなことまで気にしたり、考えたりするようになったことがこの選挙のひとつの成果?なのかもしれない。
市民のイニシアティブで政治をつくり、選挙をプロデュースする。「観客民主主義」から「参加民主主義」へ(新潟国際情報大学・佐々木寛教授)という理念は正しいとしても、いったいどう道筋をつけるのか、また本来政党は市民にとってなんのためにあるのか。政治家と政党、政治家と市民の関係はまだ考えやすいが、党員ではない市民は政党とどうつきあい、どう働きかけるべきか、いろいろ考えさせられる選挙だった。
市民連合の新橋大街宣での立憲民主党・枝野代表(10月8日)
☆個人的には、若い世代の動向も気になっている。都選管の投票率の年代別比較をみるといつも21-24歳が最低で、最高は65-69歳である。18歳は少し高いとはいえ昨夏の参議院選でみると50-54歳と同じくらいだ。しかも18-19歳と20代の若年層の自民党支持率がきわめて高い(毎日、テレビ朝日)。60代以上はいずれは退場していき、20代の世代がその代わりを占める。今後もこのまま若い世代の自民支持が続くのなら、「お先真っ暗」である。
ここを何とかするしかない。しかし昨年若い人(30歳前後の大学院生)とこの問題を話したとき「20代の自民支持者を『転向』させようとするよりは、60代の自民支持者を『転向』させるほうがずっと簡単で早いと思います」といわれて、ガッカリしたことがあった。
●東京2区の市民の反省会
東京2区の市民の反省会が選挙の2週間後に開催された。候補者の統一は成立したものの、結果は落選だったので、意気が上がらない。
候補者の性格・資質の欠点、9条や防衛、原発再稼働に関する考え方への批判、演説内容が抽象的など演説の仕方への不満、選対事務局の問題点、市民の声を聞く体質がない政党への不満など、多くの反省点が語られた。とくに共産党支援者で、今回は候補者一本化で立憲民主の候補の選挙を支援した方は複雑な気持ちだったようだ。逆によかった点は市民参加選挙だったことや、野党共闘で区をまたいで政党同士がつながる初めての選挙だったことが挙げられた。
雨のなか、築地・波除神社前での街宣
●市民と野党をつなぐ会@東京
市民と野党をつなぐ会@東京は、市民と立憲野党の共同候補づくりの連絡組織である。25区のうち13区で市民との共同候補が実現(立憲民主7、共産5、社民1)、うち7区で当選(小選挙区4、比例復活3)した。なお候補者を統一できなかった選挙区から2人、比例単独で当選した候補が1人いるので、立憲野党の衆議院議員は合計10人となった(東京全体では42人中の10人 23%)。残念ながら候補者の統一ならず立憲民主と共産が競合した選挙区が8区あり、選挙直前の民進党瓦解により、それまでの努力が無になった選挙区もいくつかあった。
選挙から18日後の9日夜、中野で選挙を振りかえる拡大運営委員会が開催された。この会では、統一候補実現への働きかけや市民と野党の共同という点に絞って各地区から報告があった。
公選ハガキに「市民と立憲野党の統一候補」と入れた候補、「市民と野党が支える候補」というシールを掲示場のポスターに追加で貼った区、立憲民主の街宣車で市民がスピーチしたときに「比例は共産」とはっきりアピールした区、などさまざまな工夫と努力が語られた。ただし小さいチャレンジはしたものの、アピール不足で、「共同候補」ということが有権者になかなか浸透しなかったところが多い。
候補者本人が統一選対を言いだし、立憲民主、共産、社民、市民の選対を実現させ当選した区、短期集中で運動を盛り上げ比例復活で当選した区、候補の統一には成功したが、肝心の候補は他県からの落下傘候補なので、どんな人か応援する市民にもわからなかった区、民進党の候補を推していたが、候補者本人が希望へ行くといい、結局希望から断られたのか立憲民主から立候補したが、そのときには支援者の気持ちが離れてしまった区、候補が共産党嫌いでかつワンマンで選挙を進めるため市民が困った区、今まで推してきた候補が裏切って希望の、しかも他県の選挙区に行ってしまったため、共産党候補に統一されたたものの一般市民から「民進党はどうしたんだ」といわれた区、また候補者の統一ならず、会としては選挙に関わらなかったため、選挙に関する会からの情報が入らないので、個人が情報不足になったという副作用を報告した区もあった。
悲喜こもごもだったが、やはり当選した区と落選した区、候補の統一がならず、ある意味で不戦敗だった区では、うれしさ、くやしさの濃淡が異なった。
今回は、区割り変更の影響も語られた。極端なところでは、いままで2つの区の選挙区だったのが6つの区にまたがるように変わった。また民進党の瓦解で民進の区議も勝手連的な応援しかできなかったという報告もあった。
その他、選挙制度に関する問題点も話題に上った。小選挙区制は二大政党制を前提にしている。だが現実は多党制なので、どうしても権力政党に有利に働く。一方政党にとっては、候補者すべてを降ろして一本化させるという選択はない。
わたくしが感じたことをいくつか列挙する。
1 突然の解散というが・・・。
突然の解散で、「選挙の準備をする時間がなかった」という感想が多く聞かれた。今回は解散に民進党の崩壊が加わり、対応が大変だった。たしかにわたくし自身も予定が狂ってスケジュール調整が大変だった。今回民進党の瓦解は前原、小池とその周辺の数人にしかわからなかったのは事実だろう。しかし解散総選挙は、考えてみればいつも政権党の総理が突然決断するのだから、参議院とは違いいつでも突然なのだ。2014年暮れのときも同じだった。政治家と同じように、4年の任期の残り2年を切ればいつ選挙があってもおかしくないと考えて、市民のほうも準備行動を進めるほかない。
2 比例代表選挙を市民はどう戦うのか
統一候補を打ち出すと、候補者を降ろした政党への配慮が重要となる。このことは民進党の区議に「統一候補づくり」の要請にいったときに、区議から「小選挙区で当選できなかった場合、どうなるのか。そこまできっちり考えてから提案してほしい」といわれ、たしかに政治家にとって、救済策は死活問題だということに気がついた。さらに政党にとって候補を降ろすことはもっと大きい問題だ。
「つなぐ会」では、野党共闘の候補であることをもっと強調すべきだったとか、比例も新しいスタイル、たとえば「比例は、立憲民主、共産、社民、自由の4党からお好きなところへ」とアピールするなどの意見が出た。
後の共産党のところでも述べるが、自分の1票は別にして、それ以上に「選挙区は(A党の)○○さん、比例はB党へ」とB党票を積み上げる運動方法をどうすれば実現できるのか、考える必要がある。
もちろん、市民がなぜ政党間の「取引」のようなことにまで配慮しないといけないのか、という批判はあるのだが・・・。
3 どうやって自公の46%の「民意」を取り崩し、取り込むか
この総選挙の結果、自民284、公明29で合計313議席、議席全体の67.3%、維新11・希望50まで含めるとじつに80.4%となった。もちろん自公の比例票は67%ではないものの45.8%に達し、立憲民主・共産・社民は合計しても29.5%にしかならない(東京都では自公41%、立憲・共産・社民35%)。投票した人のじつに2人に1人が自公を推した。46%もの民意は、モリカケ問題が暴露されても、戦争法や共謀罪の強引な国会運営があっても崩れない(2014年選挙でも46.8%でほぼ同じ)。この現実を直視しなければならない。
立憲野党の候補統一は当選のための必要条件のひとつではあっても、十分条件ではない。どうやって2人に1人の自公支持者をこちらに振り向かせるかということが本当の課題だ。なぜ自公は国民に支持されるのか、自公支持の人の心情を同じ市民として知り、考えるべきということは10年くらい前から人にもいってきた。しかしここまで自公勢力が大きくなると、運動についても、選挙での自公の強みのうちマネできるところ、取り入れるべきところは取り入れたほうがよいと考えた。自公は組織選挙だという。町内会や消防団、商店会などで、具体的にどうやって影響力を及ぼしているのか参考になることもあるかもしれない。「選挙区は自民、比例は公明」というバーターがある程度成功していると聞く。しかし「創価学会ぎらいの自民支持者」は確実にいるはずで、その人たちにいったいどう働きかけているのだろう。
もちろん市民は組織化されていないし、そこが強みになる側面もあるだろう。またわかってもできないこともあるし、あえてやるべきではないという点もあるとは思う、しかし、逆に自公の強みのなかからアキレス腱のような弱点を発見することもできるかもしれないし、マネできることがあるならばしてもよいと思う。
4 この選挙で議員が半分強に減った共産党のために
今回、共産党は東京で8人、全国では64人候補者を取り下げた。そして東京では2014年の総選挙と比べ比例の得票率は15.4%が10.4%へ、全国でも11.4%が7.9%へと減少し、その結果、21人だった衆議院議員が12人へと半分強に減ってしまった。投票率は前回とほぼ同じく低く、ほんの3か月前の都議選では17から19に議席を伸ばしていた。10月28日の記事に勘で「地方の比例票の減少が大きかったのだろうか」と書いたがとんでもない話で、東京でも5%、全国以上に得票率が下がっている。これは政党にとっては大変なことだ。
東京では25の選挙区のうち共産党が8つの区で立候補を取り下げ、市民組織との共同で立候補したのが5区、単独で立候補したのが3区、立憲と競合したのが9区、合計17人が立候補し、当選したのは比例復活で1、比例単独で1の2人だった。
市民との共闘をするなかで、共産党支援の方は掲示場のポスターのみならず、それ以外の場所での大型ポスター貼りや街宣での動員など熱心に働いていた。それだけに不満が蓄積していると思う。
自分は別に共産党の人ではないのだから、そんなことまで考える必要はないとは思う。しかし数年前まで都知事選などで市民として統一候補づくりをしていたころ、一番恐れたのは共産党が抜け駆けして候補者を発表してしまうことだった。そんな時代に戻らないように何か方策を考えるべきだと思う。
◎付録 「希望の党」の今後について
「排除」発言で小池代表のパワーが少し弱まり、小池の10区の後継・若狭勝が落選・政界引退したのはよかった。当選した50人のなかには旧民進の地方出身議員で、立憲民主に近い考えの人も何人もいる。希望全体が少し野党化してくれるか、一部が立憲民主に移籍するかどちらが可能性が高いかと考えていた。しかし共同代表の選挙で、小池に考えが近い玉木雄一郎が立憲民主との協調を訴えた大串博志に39対14で圧勝したのは残念だった。こうなったら市民としては「心ある議員は立憲民主に移籍してほしい」と願いたい。
長妻昭議員、市民とともに街宣カーの上で
市民と政党という点で、こんなことまで気にしたり、考えたりするようになったことがこの選挙のひとつの成果?なのかもしれない。
市民のイニシアティブで政治をつくり、選挙をプロデュースする。「観客民主主義」から「参加民主主義」へ(新潟国際情報大学・佐々木寛教授)という理念は正しいとしても、いったいどう道筋をつけるのか、また本来政党は市民にとってなんのためにあるのか。政治家と政党、政治家と市民の関係はまだ考えやすいが、党員ではない市民は政党とどうつきあい、どう働きかけるべきか、いろいろ考えさせられる選挙だった。
市民連合の新橋大街宣での立憲民主党・枝野代表(10月8日)
☆個人的には、若い世代の動向も気になっている。都選管の投票率の年代別比較をみるといつも21-24歳が最低で、最高は65-69歳である。18歳は少し高いとはいえ昨夏の参議院選でみると50-54歳と同じくらいだ。しかも18-19歳と20代の若年層の自民党支持率がきわめて高い(毎日、テレビ朝日)。60代以上はいずれは退場していき、20代の世代がその代わりを占める。今後もこのまま若い世代の自民支持が続くのなら、「お先真っ暗」である。
ここを何とかするしかない。しかし昨年若い人(30歳前後の大学院生)とこの問題を話したとき「20代の自民支持者を『転向』させようとするよりは、60代の自民支持者を『転向』させるほうがずっと簡単で早いと思います」といわれて、ガッカリしたことがあった。