落合恵子さんの「母に歌う子守唄――わたしの介護日記」という講演を聞いた。
落合さんはいま63歳、8年前に母がパーキンソン病を発病し、4年前にはアルツハイマーを併発し、7年間介護生活を続けた末、昨年夏、84歳で見送る体験をされた。
写真は「母に歌う子守唄 その後」(朝日新聞社 2008年2月)
本人曰く「怒髪天を突く」ヘアスタイルで登場した落合さん、講演は、作家メイ・サートンの「私から年齢を奪わないでください。働いて、ようやく手に入れたのですから」という言葉を引き「加齢はすばらしい」という話から始まった。
続いて女性が気にする顔のしわについて、社会運動家リア・ロバックがインタビューで語った「わたしのしわはわたしの成長のあかしです。わたしの目尻に刻まれたこのしわは、過ぎた日々の笑いが刻んでくれたものです。(略)わたしのしわはわたしの人生の地図そのもの」という言葉を紹介された。
わたしの母は日曜の昼下がりのNHKの番組「のど自慢」が好きだった。7~8年前、介助すればまだ歩けたとき、いっしょにテレビをみながら「あと何度、母といっしょにこの番組をみられるだろう」と思ったのが介護の出発点だった。
日中はヘルパーや介護の方にお世話になったが、夜は自分ひとりで面倒をみることにしていた。物忘れが進行すると、夜5分おきにトイレに通いだした。「お母さん、いま行ったじゃないの」と言っても、また「おしっこ」の繰り返しだ。トイレに連れて行き、疲れた自分が床に座ったまま眠りこんでしまったこともあった。
人間は認知症になっても、「不安」、とりわけ「自分の物忘れに対する不安」は澱(おり)のように残る。また回りの人にやさしくされているという体感は残る。
発症して7年目の昨年夏のある日、医師から「血圧が上がらない、利尿剤が効かない。あと一両日」と告げられたとき、わたしには「それは、今日だ」という予感があった。最後にわたしが母に話しかけた言葉は「お母さんありがとう」だった。そして母の上半身を抱き「わたしをもう一度生む?」と聞くと、まぶたは開かなかったが口角がひゅっと上がり笑顔になりかけたように思えた。それが母の最期だった。一人娘だったので喪主として、母の望みだった音楽と花に囲まれた密葬を執り行った。
秋になっても、まだ穏やかな悲しみにたどりつくことはできず「お母さんがいない」と大声で泣くことがあった。
自分は、幸い在宅で見送ることができた。しかし自分が生きるだけでせいいっぱいという人も多いので、後ろめたさを感じる。小泉劇場以来の「格差社会」をこのまま継続してよいのか。2007年7月の新潟県中越沖地震では、幸い直接的被害は少なかった。しかしあのとき要介護4や5の人は一体どうしたのだろうか。
一人一人が生まれてきてよかった、長生きしてよかったと感じられる社会に変えていかなければいけない。それがわたしの「母から残された宿題」である。
落合さんの講演は、キャロル・キングの「You've Got A Friend」(君の友達 1971年)をバックグラウンドミュージックに、歌詞を読み上げながら「一人で考えるよりいっしょに考えよう」というメッセージで締めくくられた。
ただ僕の名前を呼ぶだけでいい
どこにいたって そう 君のためなら
僕は駆けつけてあげるよ
冬も 春も 夏も そして秋も
ただ名前を呼びさえすればいいんだ
僕は 現われるから
だって僕は 君の友達だから…
だって 君の友達だから
素敵なことだとおもわないかい
君には友達がいる
僕は 君の友達だから…
訳文の出典
落合さんはいま63歳、8年前に母がパーキンソン病を発病し、4年前にはアルツハイマーを併発し、7年間介護生活を続けた末、昨年夏、84歳で見送る体験をされた。
写真は「母に歌う子守唄 その後」(朝日新聞社 2008年2月)
本人曰く「怒髪天を突く」ヘアスタイルで登場した落合さん、講演は、作家メイ・サートンの「私から年齢を奪わないでください。働いて、ようやく手に入れたのですから」という言葉を引き「加齢はすばらしい」という話から始まった。
続いて女性が気にする顔のしわについて、社会運動家リア・ロバックがインタビューで語った「わたしのしわはわたしの成長のあかしです。わたしの目尻に刻まれたこのしわは、過ぎた日々の笑いが刻んでくれたものです。(略)わたしのしわはわたしの人生の地図そのもの」という言葉を紹介された。
わたしの母は日曜の昼下がりのNHKの番組「のど自慢」が好きだった。7~8年前、介助すればまだ歩けたとき、いっしょにテレビをみながら「あと何度、母といっしょにこの番組をみられるだろう」と思ったのが介護の出発点だった。
日中はヘルパーや介護の方にお世話になったが、夜は自分ひとりで面倒をみることにしていた。物忘れが進行すると、夜5分おきにトイレに通いだした。「お母さん、いま行ったじゃないの」と言っても、また「おしっこ」の繰り返しだ。トイレに連れて行き、疲れた自分が床に座ったまま眠りこんでしまったこともあった。
人間は認知症になっても、「不安」、とりわけ「自分の物忘れに対する不安」は澱(おり)のように残る。また回りの人にやさしくされているという体感は残る。
発症して7年目の昨年夏のある日、医師から「血圧が上がらない、利尿剤が効かない。あと一両日」と告げられたとき、わたしには「それは、今日だ」という予感があった。最後にわたしが母に話しかけた言葉は「お母さんありがとう」だった。そして母の上半身を抱き「わたしをもう一度生む?」と聞くと、まぶたは開かなかったが口角がひゅっと上がり笑顔になりかけたように思えた。それが母の最期だった。一人娘だったので喪主として、母の望みだった音楽と花に囲まれた密葬を執り行った。
秋になっても、まだ穏やかな悲しみにたどりつくことはできず「お母さんがいない」と大声で泣くことがあった。
自分は、幸い在宅で見送ることができた。しかし自分が生きるだけでせいいっぱいという人も多いので、後ろめたさを感じる。小泉劇場以来の「格差社会」をこのまま継続してよいのか。2007年7月の新潟県中越沖地震では、幸い直接的被害は少なかった。しかしあのとき要介護4や5の人は一体どうしたのだろうか。
一人一人が生まれてきてよかった、長生きしてよかったと感じられる社会に変えていかなければいけない。それがわたしの「母から残された宿題」である。
落合さんの講演は、キャロル・キングの「You've Got A Friend」(君の友達 1971年)をバックグラウンドミュージックに、歌詞を読み上げながら「一人で考えるよりいっしょに考えよう」というメッセージで締めくくられた。
ただ僕の名前を呼ぶだけでいい
どこにいたって そう 君のためなら
僕は駆けつけてあげるよ
冬も 春も 夏も そして秋も
ただ名前を呼びさえすればいいんだ
僕は 現われるから
だって僕は 君の友達だから…
だって 君の友達だから
素敵なことだとおもわないかい
君には友達がいる
僕は 君の友達だから…
訳文の出典
とても感動した内容でした 2010年12月 人権週間でテーマは「いのちの感受性 あなたがあなたであること」でした
同じお話って・・・
それは 何処に行っても伝えたい事なんでしょうね!?