麻生首相は月刊文春11月号で「私は決断した。(略)国会の冒頭、堂々と私とわが自民党の政策を小沢党首にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う」と書いている。本来なら選挙戦に突入している10月9日夜、世田谷から杉並に選挙区を移した保坂展人議員の「おこそう!すぎなみミラクル保坂のぶとと大集会」が阿佐ヶ谷の杉並区産業商工会館で開催された。
若い世代が企画した集会だったので、20代の人によるインタビュー、推薦政党各議員と保坂議員の対談、寿の歌、そしてオープニングのバックミュージックはレゲエと、プログラムは新鮮かつユニークだった。
はじめに漫画家の石坂啓さんとジャーナリスト斎藤貴男さんから応援のスピーチがあった。石坂さんは「漫画家はストーリーのなかで悪役キャラクターもつくるので、悪意をもつ人間に感情移入することができる。そういうひねくれた目で政治家の言動をチェックしている。保坂さんのように心の内と表情と言葉が一致している政治家は稀有だ。味方を一人でも増やすため連携してほしい」と述べ、斎藤さんは「30年近く記者をしてきて、権力を世襲した人間は何も考えていないということがやっとわかってきた。自分に都合のいい社会をつくろうとしていると断言してよい。企業は空前の大儲けをしているのに、一番後で実行すべき人間のコストダウンをしている。そういうなかで格差社会の下のほうの人間に道徳や愛国心を強要している」と語った。
そして保坂議員が登壇した。
新宿高校定時制に通っていた16歳のころ、西永福に住み、浜田山のジュース工場で洗びん機でびんを洗う仕事をしていた。その後22歳でフリーライターになり、内申書訴訟の経験から子どもの問題を週刊セブンティーンで連載した。ちょうど校内暴力の嵐が全国に吹き荒れたころで、つっぱりの取材やいじめの問題を取り上げた。そのときに難しいことを難しくいわず、子どもに言葉がしっかり届くようにすることを鍛えられた。その後、國弘正雄さんに誘われ土井委員長を支える会に入り12年前の総選挙に立候補した。そのときのポスターは、ピンクのスーツを着用した「子ども大好き、だから守りたい」だった。いま見るとちょっと危ない。子どもの問題だけやって当選したが、じつはその当時、教育問題は国会であまり議論できなかった。議論できるようになったのは皮肉なことに「教育を変える」と宣言した安部政権のころからだ。文科省のいじめ調査やタウンミーティングのやらせ問題を、300議席を超える圧倒的多数の与党を相手に追及した。いま大きなドラマが始まろうしていることをひしひしと感じている。
徹子の部屋ならぬ「のぶとの部屋」では、保坂議員を推薦する政党の議員との対談が行われた。保坂議員は、死刑廃止では国民新党・亀井静香議員らと、病院閉鎖問題では格差是正をめざす議員有志の会で超党派の活動を繰り広げ、共謀罪では民主・平岡秀夫議員らと共闘した。「人をつなぐのが好き」と語る保坂議員らしいスタイルだった。
民主・田中良都議とは破綻の危機に直面する新銀行東京と石原知事の責任問題、生活者ネット・小松久子区議とは全国から注目される杉並の教育問題や食の安全の問題、国民新党・亀井亜紀子参議院議員とはいっしょに視察した津和野の共存病院や糸魚川の姫川病院など地方の病院の危機の問題や、雇用保険で建設されたが民間にたたき売られている雇用促進住宅の問題が語られた。その他、無所属の福士敬子都議から、推薦はしないが応援するとのスピーチがあった。
亀井亜紀子議員との対談には、23歳で2児の父という人と21歳フリーターの人が質問に加わった。
Q 自分たちの世代ははたして年金を受給できるのか、受給できた場合、生活できる金額かどうか。
亀井 25年支払わないと年金が支給されない25年条項を撤廃し、自分が支払った年数に応じて受け取れるよう制度を変更すべきだ。いま基礎年金は月額6万6000円だがそれでは足りないので、せめて生活保護の金額まで引き上げたい。
保坂 憲法25条は生存権を保障している。月額6万6000円を8万円に引き上げ、かつ保険でなく税方式に変えたい。厚生年金に加入している人は2階建て部分が加算され、企業によっては企業年金が加わる。
なお税の取り方、使い方について国民の意識改革も必要だ。官にお任せではいけない。
Q 夜8時~9時に帰宅するころ、塾に通う子どもを駅でみかける。親の価値観を押し付けられているようでかわいそうな気がする。これからこの国を支える子どもをどう育てるべきか。
亀井 わたしはカナダの州立大学を卒業した。いっしょに卒業した人には70代のおじいさんもいたし年代はバラバラだった。入るときはオープン、出るのは難しいというシステムで、いつでも大学に戻れるようになっていた。日本の大学にも敗者復活の仕組みが必要だ。学費は年間6000ドルくらいだが、少ない科目だけ受講するパートタイムなら2000-3000ドル程度だった。スチューデント・ローンを利用している人も多かった。
保坂 12年前荻窪駅前で演説したとき、ドラマ教育を提唱した。これは一般の演劇部や学芸会の芝居とは少し違う。いまの子どもはケンカして仲直りするのが不得意だ。遊びや冒険で喜怒哀楽を体験する機会が少ないからだ。そこで逆説的ではあるが、学校のなかでシミュレーション体験する機会を与え、子どもの復元力を育てることを目的にする。その例として、イギリスの学校では感情を解き放すドラマの時間を設けている例があった。「生まれてこなかったほうがよかった」と思う小学生をなくしたい。
寿のナビィとヨシミツが「安里屋ユンタ」、「上を向いて歩こう」の替え歌「前を向いて歩こう」の2曲を披露し、会場は大合唱となった。
最後に、ふたたび保坂議員が登壇した。
小泉改革で弱肉強食、ジャングルルールの世界となり、人々の麻酔がさめ「痛み」だけが残っていることがわかったのが現在だ。政治はだれのために、何のためにあるのか。ガンバレガンバレといわれ、がんばってもけしてゴールに到達できない。個人の力でどんなにがんばってもどうにもならない。相互扶助で格差と貧困をカバーしなくてはいけない。この国では区別されていないが、税金と保険料は違う。社会保険は相互扶助の精神により社会保障を実現するものだ。
今月から、いままで年金から天引きされなかった高齢者の天引きが始まる。天引きにかからない低所得の人には請求書が届く。支払えなければ保険証を取り上げられる。入院している人が病院を追い出される。医療は緊急課題である。年金と医療保険は一体の問題だ。社会保険庁は300万人の年金記録を捨ててしまった。いまでも医師不足だが、再来年年輩の医師1500人がやめる。レセプト請求がコンピュータに限定されるからだ。
こういう問題を解決するには政権を変えないといけない。
☆保坂さん自身が「すぎなみミラクル」という名前は自分は思いつかなかったと語るユニークな集会だった。2005年9月の選挙では自民党の敵失という「みらくる」が起こり、当選した保坂議員。この日の集会は反与党、非共産の大連合の様相だった。人気ブログの読者には無党派のファンも大勢いる。今回はぜひ杉並で「みらくる」の嵐を自ら巻き起こしてほしいものだ。
なおこの集会の一部が、この動画のサイトで見られる。
若い世代が企画した集会だったので、20代の人によるインタビュー、推薦政党各議員と保坂議員の対談、寿の歌、そしてオープニングのバックミュージックはレゲエと、プログラムは新鮮かつユニークだった。
はじめに漫画家の石坂啓さんとジャーナリスト斎藤貴男さんから応援のスピーチがあった。石坂さんは「漫画家はストーリーのなかで悪役キャラクターもつくるので、悪意をもつ人間に感情移入することができる。そういうひねくれた目で政治家の言動をチェックしている。保坂さんのように心の内と表情と言葉が一致している政治家は稀有だ。味方を一人でも増やすため連携してほしい」と述べ、斎藤さんは「30年近く記者をしてきて、権力を世襲した人間は何も考えていないということがやっとわかってきた。自分に都合のいい社会をつくろうとしていると断言してよい。企業は空前の大儲けをしているのに、一番後で実行すべき人間のコストダウンをしている。そういうなかで格差社会の下のほうの人間に道徳や愛国心を強要している」と語った。
そして保坂議員が登壇した。
新宿高校定時制に通っていた16歳のころ、西永福に住み、浜田山のジュース工場で洗びん機でびんを洗う仕事をしていた。その後22歳でフリーライターになり、内申書訴訟の経験から子どもの問題を週刊セブンティーンで連載した。ちょうど校内暴力の嵐が全国に吹き荒れたころで、つっぱりの取材やいじめの問題を取り上げた。そのときに難しいことを難しくいわず、子どもに言葉がしっかり届くようにすることを鍛えられた。その後、國弘正雄さんに誘われ土井委員長を支える会に入り12年前の総選挙に立候補した。そのときのポスターは、ピンクのスーツを着用した「子ども大好き、だから守りたい」だった。いま見るとちょっと危ない。子どもの問題だけやって当選したが、じつはその当時、教育問題は国会であまり議論できなかった。議論できるようになったのは皮肉なことに「教育を変える」と宣言した安部政権のころからだ。文科省のいじめ調査やタウンミーティングのやらせ問題を、300議席を超える圧倒的多数の与党を相手に追及した。いま大きなドラマが始まろうしていることをひしひしと感じている。
徹子の部屋ならぬ「のぶとの部屋」では、保坂議員を推薦する政党の議員との対談が行われた。保坂議員は、死刑廃止では国民新党・亀井静香議員らと、病院閉鎖問題では格差是正をめざす議員有志の会で超党派の活動を繰り広げ、共謀罪では民主・平岡秀夫議員らと共闘した。「人をつなぐのが好き」と語る保坂議員らしいスタイルだった。
民主・田中良都議とは破綻の危機に直面する新銀行東京と石原知事の責任問題、生活者ネット・小松久子区議とは全国から注目される杉並の教育問題や食の安全の問題、国民新党・亀井亜紀子参議院議員とはいっしょに視察した津和野の共存病院や糸魚川の姫川病院など地方の病院の危機の問題や、雇用保険で建設されたが民間にたたき売られている雇用促進住宅の問題が語られた。その他、無所属の福士敬子都議から、推薦はしないが応援するとのスピーチがあった。
亀井亜紀子議員との対談には、23歳で2児の父という人と21歳フリーターの人が質問に加わった。
Q 自分たちの世代ははたして年金を受給できるのか、受給できた場合、生活できる金額かどうか。
亀井 25年支払わないと年金が支給されない25年条項を撤廃し、自分が支払った年数に応じて受け取れるよう制度を変更すべきだ。いま基礎年金は月額6万6000円だがそれでは足りないので、せめて生活保護の金額まで引き上げたい。
保坂 憲法25条は生存権を保障している。月額6万6000円を8万円に引き上げ、かつ保険でなく税方式に変えたい。厚生年金に加入している人は2階建て部分が加算され、企業によっては企業年金が加わる。
なお税の取り方、使い方について国民の意識改革も必要だ。官にお任せではいけない。
Q 夜8時~9時に帰宅するころ、塾に通う子どもを駅でみかける。親の価値観を押し付けられているようでかわいそうな気がする。これからこの国を支える子どもをどう育てるべきか。
亀井 わたしはカナダの州立大学を卒業した。いっしょに卒業した人には70代のおじいさんもいたし年代はバラバラだった。入るときはオープン、出るのは難しいというシステムで、いつでも大学に戻れるようになっていた。日本の大学にも敗者復活の仕組みが必要だ。学費は年間6000ドルくらいだが、少ない科目だけ受講するパートタイムなら2000-3000ドル程度だった。スチューデント・ローンを利用している人も多かった。
保坂 12年前荻窪駅前で演説したとき、ドラマ教育を提唱した。これは一般の演劇部や学芸会の芝居とは少し違う。いまの子どもはケンカして仲直りするのが不得意だ。遊びや冒険で喜怒哀楽を体験する機会が少ないからだ。そこで逆説的ではあるが、学校のなかでシミュレーション体験する機会を与え、子どもの復元力を育てることを目的にする。その例として、イギリスの学校では感情を解き放すドラマの時間を設けている例があった。「生まれてこなかったほうがよかった」と思う小学生をなくしたい。
寿のナビィとヨシミツが「安里屋ユンタ」、「上を向いて歩こう」の替え歌「前を向いて歩こう」の2曲を披露し、会場は大合唱となった。
最後に、ふたたび保坂議員が登壇した。
小泉改革で弱肉強食、ジャングルルールの世界となり、人々の麻酔がさめ「痛み」だけが残っていることがわかったのが現在だ。政治はだれのために、何のためにあるのか。ガンバレガンバレといわれ、がんばってもけしてゴールに到達できない。個人の力でどんなにがんばってもどうにもならない。相互扶助で格差と貧困をカバーしなくてはいけない。この国では区別されていないが、税金と保険料は違う。社会保険は相互扶助の精神により社会保障を実現するものだ。
今月から、いままで年金から天引きされなかった高齢者の天引きが始まる。天引きにかからない低所得の人には請求書が届く。支払えなければ保険証を取り上げられる。入院している人が病院を追い出される。医療は緊急課題である。年金と医療保険は一体の問題だ。社会保険庁は300万人の年金記録を捨ててしまった。いまでも医師不足だが、再来年年輩の医師1500人がやめる。レセプト請求がコンピュータに限定されるからだ。
こういう問題を解決するには政権を変えないといけない。
☆保坂さん自身が「すぎなみミラクル」という名前は自分は思いつかなかったと語るユニークな集会だった。2005年9月の選挙では自民党の敵失という「みらくる」が起こり、当選した保坂議員。この日の集会は反与党、非共産の大連合の様相だった。人気ブログの読者には無党派のファンも大勢いる。今回はぜひ杉並で「みらくる」の嵐を自ら巻き起こしてほしいものだ。
なおこの集会の一部が、この動画のサイトで見られる。