多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

音羽の高台の鳩山会館

2010年10月27日 | 日記
文京区音羽の小高い丘の上に2階建の洋館が建っている。庭には芝生が広がりバラの花が咲き誇る。鳩山家4代が暮らした鳩山会館である。
安政生まれの鳩山和夫(1856-1911)がこの地に住み始めたのは、日清戦争より前の1891(明治24)年秋だった。前年に東京専門学校(現・早稲田大学)校長に就任し通勤に便利な場所を選んだものと思われる。長男一郎(1883-1959)がこの洋館を建てたのは関東大震災の翌年1923(大正13)年のことである。

音羽通りに面した門から入りアプローチをどんどん上ると、地上のビルの8階に相当する丘の上に洋館が建っている。アプローチを上るところは池之端の岩崎邸に似ている。建物や庭は駒場の前田邸と似ているがスケールはずいぶん違う。江戸時代から続く旧大名や華族と19世紀の政治家とでは違うのだろう。鳩山家は4代続けて政治家という家柄である。しかも一郎は第52代首相、由紀夫は第93代首相である。さしずめアメリカのケネディ一族のような家柄である。
1階は応接室が2間、食堂、居間、サンルームがあり、2階が居室になっている。この点は駒場の前田邸と同じだ。2階の書斎だった部屋に鳩山一郎記念室、和室だった部屋に威一郎記念室が開設されている。
一郎記念室には机と本棚があった。机は120センチ×75センチくらいのごく普通のサイズである。机上に国連旗と日の丸のミニチュアが置かれていた。日の丸の旗そのものは問題だが、国連旗とセットでみるとなかなかよい取り合わせだ。テーブルダイアリーが置かれており首相在任中の1956(昭和31)年7月27日(金)のページが開かれていた。門脇次官、局長代理、三笠宮、参事官とメモがある。おそらくこの日外務官僚と面談したのだろう。首相に就任し1年半ほどたったころで、3ヵ月後の10月19日に日ソ共同宣言を発表し、首相を辞任する。またICHIRO HATOYAMAと印刷された用箋と硯が置かれていた。
書棚には、「原敬日記」全9巻(乾文社)、「原田日記」(岩波書店)、芦田均「最近世界外交史」(明治図書)、松本烝治「私法論文集」(巌松堂書店)、「クーデンホーフ・カレルギー全集」全9巻(鹿島研究所)、「日本内閣史録」全6巻(第一法規)、刑法要論、その他レンブラント展、ひろしま美術館、ゴヤ展、マリー・ローランサン展などのカタログがある。一郎は1959年に死去しているので、家族の本も並んでいるようだ。
威一郎記念室には、威一郎(1918-93)が府立高校尋常科1年のとき(1931年)の成績表が展示されていた。ほとんど甲だが、修身、国語、地理、音楽が乙、40人のクラスで6番、81人の学年のなかで14番とある。身体測定の記録では、身長142センチ、体重37.2kg、胸囲70センチとある。なお一郎記念室にも東京高師附属4年のときの成績表が展示されていた。こちらは体操と行状のみ可で、ほかはすべて良、それも国語、漢文、歴史、数学、理化、唱歌は「美」という評価だった。
府立は6年制の高校で、出身者にいうといやがるが「下町の学習院」と呼ばれた。威一郎は運動神経抜群で、府立の野球部で名ピッチャーをつとめたらしい。
威一郎は大蔵省に入省し71年次官に上りつめ、74年に参議院議員に当選した。大蔵省で仲がよかったのが相沢英之で、69年に相沢と司葉子が結婚したときは仲人を務めた。2人の仲人招待状と、「お高い所から大変失礼とは存じますが役目がらお許しを頂き、媒酌人といたしまして一言ご挨拶を申し上げます」というあいさつの手書きの下書きが展示されていた。
また議員時代の給料袋まで展示されていた。92年6月のボーナス(期末手当)が額面291万6240円(手取り180万8070円)、7月の月給が114万8269円(手取り71万1929円)だった。
書棚には、明治碁譜など囲碁の本のほか、有斐閣法律学全集、昭和財政史、サムエルソン「経済学」、丸山眞男「現代政治の思想と行動」などが並んでいた。もしかすると邦夫が買った教科書も混じっているのかもしれない。「追悼・瀬川美能留」、大平正芳「春風秋雨」、三木睦子「三木と歩いた半世紀」といった私家本もたくさんあった。そのなかに勝田龍夫(元・日本債券信用銀行会長)「みだればこ」、草柳大蔵「斎藤隆夫かく戦えり」をみつけた。これは府立高校の同窓という関係の寄贈本なのかもしれない。

屋敷には、第一応接室、第二応接室などにステンドグラスがたくさんある。作者はアメリカ帰りの小川三知(さんち)。2階への踊り場には、朱色の五重塔のバックに鳩が10羽、遠くに4羽舞う和風の絵柄の窓がある。1階には12室(公開されているのは7室)、2階には9室部屋があった。

庭のバラのなかに「マダムミユキ」というひときわ赤くて大きく目立つ花があった。由紀夫夫人・幸(みゆき)の名をとったもので、いくつかの候補のなかから本人が選んだそうだ。
「華やかさとしとやかさを併せ持つ、まさに幸夫人にふさわしい美しいバラ」との説明があった。たしかに美しいバラではあるが、ちょっと歯が浮く誉め言葉である。命名された「第20回2010日本フラワー&ガーデンショウ」が開催されたのは今年の3月26日、首相辞任発表が6月2日だったので、半年くらいでずいぶん運命は変わるものである。すっかり影が薄くなったので見学者は少ないのではないかと思ってきたが、いまなおバスツアーで大勢訪れていた。 

住所:東京都文京区音羽1-7-1
電話:03-5976-2800
開館日:火曜日 ~ 日曜日
開館時間:10時 ~ 16時
入館料:一般500円、学生300円、中小学生200円


☆鳩山会館は有楽町線護国寺と江戸川橋の中間にある。護国寺の駅前には、出版企業ナンバーワンの講談社の巨大なビルがそびえたつ。K-スクエアというショールームで「懐かしの少年少女ふろく展」を開催していた。「少年クラブ」「少女クラブ」が展示され「少女クラブ」1959年11月号1冊だけ本文を読めるようになっていた。ちばてつや「ユカをよぶ海」、上田とし子「フイチンさん」、やまねあおおに「めだかちゃん」、「銀の花びら」(絵・水野英子)等が掲載されている。豪華執筆陣がそろっているので奥付をみると、編集長はやはり丸山昭だった。
グラビアページはちょうど松島トモ子の全盛期でたくさん出ている。その他浅野寿々子(墨田区立業平小学校5年 その後順子に)、柏木由紀子(劇団若草)、上田みゆきらが活躍していた。大人では、ザ・ピーナッツ、浅丘ルリ子、鰐淵晴子、江里チエミ、美空ひばり、芳村真理らが登場していた。読者は小学校高学年から中学生かと思われるが、「週刊現代」や平林たい子らの小説が出ている「群像」の広告が掲載されているのは、いかに自社雑誌といえどもやりすぎのように思った。
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