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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

風は吹かず、吹かせられなかった中央区・森山都議選

2017年07月25日 | 日記
6月23日告示、7月2日投票で、都議選が行われた。結果は小池・都民ファーストの圧勝、都議会自民党の大敗だった。民進党は改選直前と大差なしということになっているが、4年前の獲得議席15が今回は5だから風前の灯状態だ(風が吹いた2009年は54だった)。
中央区選出の都議は定数1、すなわち衆議院小選挙区と同じ1人区だ。無所属・森山高至候補の事務所は自宅から近いところにあった。たまたま6月9日(土)の午後、自転車を押して移動中の森山氏を勝どきの交差点で見かけたこともあり、行かないわけにもいかないと、とりあえず事務所によってみた。以下、一ボランティアの体験記である。

告示日までは3つ折りリーフのポスティングを行った。1日2―3時間程度、おもに午前中に行ける日のみ9日間、月島、勝どき、築地、新富町などで合計3400枚ほどまいた。最終日にはまく資材がなくなっていた。
いままで選挙で支援した候補者たちの考え方は、聞かなくてもほぼ自信をもって応援できた人だった。しかし森山候補のことはわたくしがテレビのワイドショーを見なかったこともあり、何も知らない。「築地を守る」「公共事業を見直す」と主張していることは知っていたが、憲法や戦争法についてどんな考えの人かわからなかった。そこで回りに事務所の人しかいないときを見計らって3-4分立ち話して聞いてみた。
1 戦争法について
何事も話し合って決めるべきだ。したがって「解釈改憲」で決めるのはよくない。
2 憲法「改正」について
憲法成立過程で「押しつけ」だったから改憲すべきという論がある。そこで、成立の経過や事情についてはっきりさせるべきだ。
3 9条について
世間には闘いや争いが常にある(たとえば選挙にしてもそうだ)。自衛のための戦争は当然のことであり、賛成だ。

自衛戦争についての考えはわたくしとは違うが、とりあえず改憲派ではなさそうだったので、少し安心してボランティアを続けることにした。

告示日は1投票区8枚だけポスター貼りをした。地元なので、どこで横断歩道を渡るべきか、というようなことも見当がつき早く作業できることを実感した。2年前江戸川でポスターを貼ったときは地図しか頼るものがなく、ずいぶん時間がかかった。
地下鉄築地駅近くの蕎麦屋には石島ひでき候補(自民)の大きな看板があり、この蕎麦屋は自民党御用達の店だったことに気づいた。それにしてもやたらにビデオカメラが多い、なぜかと思ったら矢田美英区長がいたからのようだ。
ほかにやることはないというので、朝10時半ごろから自転車で候補の遊説を追いかけた。候補は月島のスーパーの前の交差点で街宣していた。ところがマイクなしの肉声なので驚いた。聞くと車載アンプとの接続が悪く、車は修理に向かったということだった。そのうちトラメガが届きふつうにスピーチが始まった。そのあと、月島の露地をウグイスの女性のインタビューを歩きながら受ける「ブラタモリ」ならぬ「ブラ高至」が始まった。絵に描いたようなどぶ板選挙だ。
基本は自転車遊説で、脇を選挙カーが伴走した。その自転車隊をツイキャスで放映する。リアルタイムで宣伝するという意図のようだった。選挙カーはウグイスのアナウンスか「森山のテーマ」を流していた。
 もーりやーま もーりやまたかし みんなといっしょに築地をまもる
 もーりやーま もーりやまたかし 公共事業を見直すぞ

インパクトの強いメロディだった。浅原彰晃のテーマソングを思い出すという外部の声もあったそうだが、これはこれで新鮮だった。大きな公園やタワーマンションに近づくと、転写をおり街宣をしたり握手を求めるというスタイルだった。

いままでわたくしがかかわった選挙は基本的に市民選挙だったが、今回はちょっと違った。魚市場で働く人は男女とも(つまり女将さん会の方も含め)もとは中央区在住であってもいまは中央区以外の23区あるいは千葉や神奈川に転居し「職場」としての築地に通勤している人が多い、したがって有権者は少ないそうだ。
そんなこともあり、市民の参加は少なかった。また水産関連の方、とりわけ仲卸の大半が豊洲移転に反対しているかというと、そういうわけでもないようだった。むしろ中央区以外の人のほうが「食の安全」がらみで築地移転問題への関心のほうが高いようにも感じられた。来ている人は、森山さんの個人的友人や「趣味は選挙」のようなタイプの人が主で、豊島、千代田、品川、台東、江東、足立、江戸川、練馬、和光、神奈川県などさまざまな地域からの人たちだった。逆に地元中央区の人は、2人の区議を入れても10人もいないようだった。
選対本部長は、東海地方の元衆議院議員(その当時は民主党・比例代表)で、元参議院議員(この方も議員当時は民主党・議員の死去に伴う繰り上げ当選)、衆議院議員の元秘書などがスタッフとして参加していた。

告示後も従前と同じくらいの時間、9日のうち7日間応援に行った。水曜は市場が休みのことが多く、自宅にいる水産業者の方に選対以外の事務所から電話入れを73本、翌日も少し電話入れをしたが、これはふつうの電話帳を使った。平日午前なのでかかったのは17%のみ。留守および留守電があまりにも多いとモチベーションが下がることを実感した。3日間で合計210本ほどかけた。
最終日2日前の金曜は、わたしは日本橋を歩いていなかったので自転車で参加、ただ築地6、7丁目の路地裏巡りが長く新川、箱崎、蠣殻町で午前は時間切れとなり、浜町、横山町、人形町など日本橋らしいところへは行けずに終わった。 
夕方、集会に出た後(これはすばらしい内容だった。後述)、月島第二児童公園前でのファイナル決起集会に参加した。宇都宮健児弁護士、評論家の上杉隆氏、構造設計の今川憲英氏がスピーチした。

ファイナル決起集会
7月1日の最終日夕方、月島もんじゃストリートを練り歩きし、月島出張所付近でのスピーチには前日に引き続き地元在住の上杉隆氏の応援スピーチがあった。いままで最終日の夜7時から8時のエンディングは、ターミナル駅で大きな集会に参加していたが、今回は築地6,7丁目の露地を女将さん会のメンバーも加わり20人くらいで練り歩き、事務所前で街宣があっただけで、わたくしには少し物足りなかった。ただ偶然の巡り合わせで最後の5分ほど桃太郎の「本人」旗をもつことになった。
 
普通はここでおしまい、打ち上げに一杯のむところで終わり(選挙当日「追い出し」の電話をかけることがあるが、わたくしはそこまでやったことはない)だが、今回は付録がある。
40年ほど選挙には行っているが、選挙当日はじめて出口調査に遭遇した。NHK、読売、朝日の3社3人が小学校の正門に立っていた。向こうは、回答してくれるならだれでもよいようだったので、読売(女性)、朝日(男性)に答えた。
質問内容は、性別、年代、投票者、支持政党、小池都政への支持度合い、小池の築地政策(「築地は残し豊洲は活用する」)への評価、その他読売は、投票に当たっての関心事項(なければ無回答でOK)だったと思う。3社もいたのでなぜかと、調査員に聞くと、選管にそういわれたからとのこと、そういうことになっているのかと納得した。
夜20:50開票開始というので21:45開票所へ一般傍聴に行った。もちろん立会人は各陣営から1人ずつ着席していた。傍聴人はほとんどおらず、わたくしは3番目だった。22:40ごろ開票作業終了、立会人のチェックを経て23:20ごろ最終結果が発表された。

結果は悲惨だった。
 西郷 あゆ美  都民ファーストの会 新  25,792
 石島 ひでき  自由民主党 新        17,965
 森山 高至   無所属 新             8,736
 立石 はるやす 無所属 現             6,842
 さいとうかずえ 希望ファーストの会 新    1,347
当選した西郷とはトリプル、次点の石島とでもダブルの差だった。昨年7月の参議院選比例代表で共産党が集めた票に、票数で930票、得票率にして3%しか上積みできていない(投票率の関係で有効投票が8000ほど少ないとか、比例では生活の党や社民党が別にカウントされている、などの違いはある)。
敗因について、わたくしは売り物のはずの「政策」をほとんど語らなかったからではないかと思った。投票日2日前の夕方、環境情報センターで開催したミニ集会で、森山候補はたった20分の講演だが充実した内容の講演をした。
 1 築地市場を再整備しながら環状2号を通す具体的な工法(築地市場内の開口部は一部だけなので、その部分のみ再整備と道路整備を一体として工事する)、
2 臨海エリアの交通の便が悪いので、1)既存のバス路線を一度整理し、合理的な路線に組み直す、2)品川などとの海上交通便の新設
 3 今後もタワーマンションを建てつつ、公開空地を利用して仮設建築でケアハウス、保育園などの公共施設を増やす
 というような建築エコノミストならではのアイディアを語った。そして「あまり早くいうと他候補にマネされるので、ギリギリまで取っておいた」が、投票日前夜にウェブでみて投票する人も多いので「今夜アップする」と、本人が言っていた。しかしファイナル決起集会の記事と動画のなかでほんの一部、触れているのみだった。講演は手描きの図解付きで説得力があった。

自筆図解(左・顔のかたちの中央区、築地は口、右・築地市場と環状2号、公開空地に公共施設)
選挙公報や三つ折りチラシには、公共事業の見直し、食文化の築地をまもる、と抽象的なことしか書かれていないので、有権者は選びようにも選べなかったのではなかろうか。
自転車街宣をしていたときに、主婦の方から「この候補は、自分の名前しかいわないの?」と言われてしまった。
悪いことに、投票日4日前の朝日朝刊のアンケートで「今後の国政選挙では、どの政党を支持するか」という質問に「自民党」と出てしまった。もちろん誤報だが、なぜこんなことになったのかわからない。もうひとつ、告示5日目に小池晃・共産党書記局長が応援に来たとき、渡辺浩一郎・自由党都連代表、大前伶子さん(大前研一氏の姉)、などのスピーチがあったときに本人だけがこないということがあった。急病とか怪我ということになっていたが、昨年10月に東京10区補選の際、池袋駅西口でみた光景が頭に浮かび、愕然とした。
(この件は、選挙後のことだが候補者本人から共産党中央地区委員会に直接、謝罪があったとのことだ)。
ウェブにはそれなりに力を入れていたようだが、選挙が終わってから、リーフなどに書いてあった連絡用メールアドレスはある支援組織の仲間内がみるだけで事務所にはまったく届いていないことがわかった。これにも非常に驚いた。
その他、小池の「築地は守る、豊洲は生かす」という選挙目当ての方針発表で、他候補との違いが見えにくくなったこと、連合東京が都民ファーストを推薦するなど固い組織票があったこと、逆に浮動票はすべて都民ファーストに行ってしまったこと、準備不足、などを挙げる人もいた。

事務所で敗戦の弁を述べる
このようにいままで選挙ボランティアとしてやってきた、ポスティング、電話入れ、桃太郎など一通りの手伝いはした。ふだん市民選挙で市民がやっているポスティング、ポスター貼り、電話入れなどの裏方作業は共産党の方が大部分やってくださっていたようだった。選挙はがきの宛名書きのみ事務所や女将さん会の女性陣がやっていたようだ。
敗け戦の経験もたくさんあるし一緒懸命やったが供託金没収ということもあった、しかしこの選挙はよくわからなかった。選対メンバーではないのでわからないのかもしれない。
敗因を並べると、逆にいったいどういう戦略で当選を目指したのかさっぱりわからない。無所属で当選するには「風」を起こすしかない。しかし風を起こすことはできず、風は吹かなかった。
自分としては、中央区の選挙とはどんなものかみてみたいという関心もあった。たとえば下町では祭りイコール選挙だと聞いた。波除神社の祭りをみに行って、森山候補本人が法被姿で神輿をかつぐのは目にしたが、選挙とどう関係しているのかはわからなかった。、ほとんど何もわからないまま終わった選挙だった。
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