多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

脱原発100万人アクションin 芝公園

2011年06月20日 | 集会報告
3.11から3か月、メルトダウン(+メルトスルー)した福島第一原発からは、いまだに放射線が空中に飛散し、大量の汚染水は土壌や地下水に滲出し続けている。
大事故から3か月目の6月11日(土)午後、全国108か所、海外でも11か国20か所で同時に脱原発100万人アクションが開催された。東京では、新宿、代々木、芝公園の3会場で行われたが、わたしは芝公園の集会に参加した(参加者6000人)。集会が始まったころは、小雨が降ったり止んだりのはっきりしない天候だった。
この会場には郡山を中心に福島から40人の方が参加した。集会は1時間半ほどで、7つの呼びかけ団体の方をはじめ14人の方から発言があった。そのうち、福島のグループ、「あさこはうす」の小笠原厚子さん、たんぽぽ舎の柳田真さんのスピーチを紹介する。
あさこはうすは、青森県下北郡大間町の電源開発の原子力発電所建設敷地内にあるログハウスである。小笠原さんの母、熊谷あさ子さんは30年以上ただ一人土地を売らず守り続け、2006年に亡くなったが、娘の厚子さんが遺志を継ぎ守っている。

●福島県民の訴え

福島から、東京在住者も含め5人の方の発言があった。
教員の方は次のように語った。
「バスに放射線測定器を積み、東北自動車道を郡山からやってきた。数値は郡山から東京までほとんど変わらない。内幸町の東電前で0.2マイクロSv/時、この会場でも0.1マイクロSv/時だった。放射線は福島だけの問題ではない。日本全体の問題だ。原発がある限り、第二、第三の福島が必ず出てくる。電気が足りないのは工夫すればなんとかなる。しかしいったん原発事故が起きると、工夫してもどうにもならない問題がたくさんある。」
そのあと、4人の方から「毎日気にするのは放射線量のことばかり。組合の分会へ線量のデータを毎日流している」
「6月26日(日)午後、福島駅近くで『1万人ハンカチパレード』を行う」
「放射能被ばくから子どもを守るハーメルンプロジェクトのTシャツを買うと、売上の一部が支援になる」
「被災地で餓死していく動物たちのことも気にかけてほしい」
「福島県の放射線健康リスク管理アドバイザー、山下俊一・長崎大学教授は100ミリSvまで大丈夫だという。そこで10日に解任署名を立ち上げた」
などのアピールが続いた。

●「あさこはうす」小笠原厚子さん
いま大間原発の工事はいったん中止になっている。しかし本工事以外の工事は続いている。電源開発の最初の計画では、あさこはうすは炉心から50mの至近距離にあった。電源開発は、どうしても土地を買収できないので、200m移動する計画変更を行い申請した。そして電源開発は2003年に共有地の裁判を起こした。結審は04年4月の予定だったがなんとか2年間延ばすことができた。当初の計画では05年着工、2010年稼動の予定だったが、200mの移動と訴訟の遅れのため06年着工、12年稼動にずれこんだ。そういうことがなければ今ごろ原発は稼動していた。
現在原子炉は完成したが、まだ燃料棒は入っていない。いままで大間で細々と声を上げてきたが、稼動させないよう東京で声を上げていただきたい
裁判が終わり、電源開発はあさこはうすや畑の周囲と道路の脇に高いフェンスを建てた。わたしが道路を使わなければ、「不使用」とみなされ道路を封鎖されるおそれがある。そこでわたしの代わりに、毎日郵便屋さんにこの道路を使ってもらうため「あさこはうす郵便」をつくった。郵便屋さんや宅急便は、多いときは朝と午後の2回来てくれる。
子どもたちは原発をつくっていいと一言も言っていない。子どもを守るのは大人の責任だ。母が35年間土地を売らなかったのは、自分の子どもや海を守りたかったのだと思う。これ以上原発はつくらないでほしい。

●柳田真さん(たんぽぽ舎
23年間原発をやめようという活動と食品の放射能汚染測定の仕事をしてきた。
今日は、運動をどう広げるかということに絞り、2つの実践と提案を述べる。
ひとつは、この5月に反原発自治体議員・市民連盟を全国230人で結成したことだ。代表は布施哲也さん(前清瀬市議)、3つの行動を行おうとしている。まずバス80台での浜岡ツアー、そして全7回の連続講座の開催、3つ目は各議員と市民がいっしょに自治体の食品汚染測定し、あわせて電力を東電だけでなく競争入札で買うことだ。競争入札による電気料金削減は立川市で成功し1700万金額を下げることができた。
もうひとつは60畳の共同スペースを6月21日から2年間借り入れたことだ。たんぽぽ舎の下の4階のフロアで、連続学習会、コンサート、美術展を開催できる。21日は「原発なくてもこの夏はだいじょうぶ」という講演、22日は素人の乱の松本哉さんを招きオープン式を行う。その後2日に1回くらいのペースでイベントを行う。
市民が自治体議員とも力を合わせ地域から中央を包囲して、原発をやめさせるこの闘いをいっしょにがんばろう。

東電本社前 右・福島県民を先頭にしたデモ隊、左・罵声を浴びせる在特会
集会に引き続き、霞が関の経済産業省、内幸町の東京電力本社、銀座を経由し、東京駅北の常盤橋公園まで7キロ弱のデモに移った。デモが始まるころには幸い雨は上がり途中で蒸し暑くなってきた。
福島の人たちを先頭に、打楽器隊も交え
「原子力発電所はいらない」「すべての原子力発電所は止めよう!」
「放射能から子どもたちを守ろう!」「安全な野菜を食べたい!」「安全な魚を食べたい!」とシュプレヒコールの声を上げた。
そして東電本社前で、「東電は福島の汚染物質を取り除け!」「もとの暮らしやすい福島に戻せ!」「福島の水と空気と土を返せ!」「安心を返せ!」「東京電力は福島の水を、もとのきれいな状態に戻せ!」と声を上げた。
すると向かいの歩道から罵声が浴びせられた。在日特権を許さない市民の会の男女メンバーたちだ。「見敵必殺」のTシャツを着た男性や「排日排除」の黒ヘルの青年もいる。
今日のデモは、反天皇制でも朝鮮人学校教科書無償化要求でもないのに、なぜこの人たちが怒声を浴びせているのかわけがわからなかった。
怒声をよく聞くと「ギーゼンシャ(偽善者)、出ーて行け!」「サーヨーク、出ーて行け!」「キーチガイ、出ーて行け!」と連呼していた。これでは「敵」とみなしたものはいかなる理由であれ排除するといっているのと同じことで、1930年代のナチスの突撃隊と同じだ。
いまは在特会のメンバーのような考え方は少数派だが、来年自由社、育鵬社の歴史・公民教科書で学ぶ生徒が増えれば、3―4年後に在特会は一定の社会勢力になるかもしれない。

☆東京電力の200m手前の富国生命ビルに関西電力東京支社がある。1972年運転開始の美浜2号機は、東電福島や浜岡が止まっているいま、日本でもっとも危険な原子炉だ。そこで「若狭の原発を即時中止しろ!」「関西電力は原子力推進を止めろ」「関西電力は原発から撤退しろ!」とシュプレヒコールした。
脱原発・東電株主運動が話題になったが、関西でも「脱原発へ!関電株主行動の会」が古くから行動している。今年の総会は6月29日だが、「取締役・八木誠(社長)の解任」「
原発が国策でも、関西電力は責任をもって原発をやめる」「原発から撤退するまで役員には報酬を支給しない」など7本の株主提案が召集通知(p55から61参照)に並んでいる。この提案をしたのは全国124人の関電株主行動の会のメンバーである。これとは別に「CSRに基づく会社運営」「原発から自然エネルギーへの転換」などを提案する36人のグループもある。
関電の株価は1318円
(6月17日終値)、13―14万円投資すれば、来年株主提案の一員に加わることができる。
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