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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

人、人、人の原発1000万人アクション

2011年09月22日 | 集会報告
9月19日(祝)13時半から明治公園で「さようなら原発1000万人アクション」が開催された(参加 主催者発表6万人)。
13時「寿」のオープニングコンサート、13時半開会と聞いていたので、ジャスト13時に会場に到着した。すると人の波で入口を探すのもむずかしい。外苑西通りに面したコーナーでは革マル派が「野田政権による原発再稼働阻止!」の大きな横断幕を掲げアピールしていた。
公園に入ると人、人、人。明治公園は文字通り立錐の余地もなかった。あとで聞くと公園に入りきれない人もいたという。この公園の集会に出たのは、2010年4月の「沖縄に基地はいらない」全国同時アクション以来である。メーデーなどでいっぱいになることはあったのかもしれないが、わたくしははじめての体験だ。人の波をかきわけ本部を目指そうとしたが途中であきらめた。立つと後ろの人がみえないとのアナウンスがあり、狭いスペースに腰を下ろした。気温は高かったが、ときおり涼しい秋の風が吹き、晴れているのに一瞬雨粒が落ちてきた。

公園のなかは色とりどりの旗がいっぱい、旗をみると遠く仙台、静岡、三重、兵庫などから参加した団体もあった。バスを連ねて上京した福島からの一団は「怒 福島隊」の白旗を掲げていた。

スピーチする大江健三郎さん。後ろに内橋克人さん、鎌田慧さん、落合恵子さんたち呼びかけ人の姿がみえる
8人の方からスピーチがあったが、残念ながら上空のヘリの轟音とスピーカーのハウリングで聞こえない箇所がずいぶんあった。そこでわたくしの位置で聞こえたもののなかで印象に残ったフレーズを紹介する(ユーチューブの動画で、少し補正した)。
●鎌田慧さん(ルポライター/呼びかけ人)
核に依存して生きることは人類は絶対にできない。共存できないことは広島、長崎、そして今度の福島の事故でも証明されている。今日の集会は、これまでの集会のひとつの結節点であり、同時にこれから始まる集会の出発点だ。署名は100万人を突破したがまだ900万人分ある。1000万の声を脱原発に向けて突き付けよう。来年3月24日に日比谷野外音楽堂で集約集会を開催する
●大江健三郎さん(作家/呼びかけ人)
(恩師・渡辺一夫の言葉を転用し)原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業はなしとげられないと申す人々もいられます。それは嘘であります。原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います
わたしたちに何ができるか。民主主義の集会、市民のデモしかありません。しっかりやりましょう。
●内橋克人さん(経済評論家/呼びかけ人)
新しい原発安全神話が台頭し始めたことに注意すべきだ。技術が発展すれば安全な原発は可能であるという安全神話の改訂版が、新たな装いをこらし台頭しつつある。たとえば、地下深く原発を埋め込み、洞窟のなかで原子力発電を続けるという企み、こうした計画が進んでいる。そうまでして原発を推進する意図は、日本を核で再武装する能力を潜在的に持ち続けようとする政治的意図だ。
●落合恵子さん(作家/呼びかけ人)
容易に核兵器に変わりうるようなものをもつことは、恒久平和を約束した憲法をもつ国に生きるわたくしたちは決して許容してはならないはずです。
想像してください(imagin)。まだひらがなしか知らない小さな子どもが夜中に突然起きて「放射能来ないで!」と泣き叫ぶような社会を、これ以上続けさせてはいけないはずです。
●澤地久枝さん(作家/呼びかけ人)
女性の方に語りたい。今日までひとりの戦死者も出さなかった戦後は、二度と戦争はさせないと決心した、戦争を体験した日本の女たちの力だと思う。地球と命を守り、平穏な未来を確保するべく命を生み育む女性たちが役割を果たすべきときはいまだ。血縁を問わず国境を越えて命を守る闘いにはその夫、恋人、友人たちも闘いの同志に連なるだろう。その周りにはわたしのような高齢の、思いを同じくする人がいることを確かめ合って進んで行こう。老若男女を問わぬ人間の砦を築いていこう。ここでわたしたちは負けるわけにはいかないのだ。
●フーベルト・ヴァイガーさん(FoEドイツ代表)
フクシマの事故はイタリア、ドイツなどヨーロッパの国に大きな変化をもたらした。ドイツでは事故のあと今日のような大きなデモが起こりついに政府は8基の原発を停止し、その他の原発も2022年までに停止することを決定した。すなわち最大の産業国のひとつが2022年に脱原発を実現するのだ。
脱原発は、もはやできるか、できないかではない。政治的にやるかやらないかの話なのだ
●山本太郎さん(俳優)
目の前に危機が迫っている。いま生き延びるためには原発をいっせいに停止するしかない。とにかく生き延びたい。一人で生きても仕方がない。みんなで生き延びたい。
山本さんは日本テレビの「news every.」で放映するからとのことで、テレビ局のビデオカメラを片手に、檀上でシュプレヒコールを行った。
●武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)
3.11原発事故でわたしたちは被爆者になった。大混乱でいろんなことが起こった。地域で職場で学校で、家庭のなかで、どれだけの人が悩み悲しんだことだろう。毎日いやおうなく迫られる決断。逃げる/逃げない、食べる/食べない、子どもにマスクをさせる/させない、洗濯物を外に干す/干さない、畑を耕す/耕さない、何かにもの申す/黙る、さまざまな苦渋の選択があった。私たちは静かに怒りを燃やす東北の鬼だ。わたしたちを助けてほしい。どうか福島を忘れないでほしい。

なおスピーチ全文はこのサイトで聞くことができる。

どこまでも人が続く長大なデモの列
約1時間の集会を終え、渋谷、代々木、新宿の3つのコースに分かれてデモの列が出発した。ところが6万人なので、スタートするだけでも時間がかかった。普通は個人や市民グループは隊列の前のほうに配置されるが、このアクションではすべてA(渋谷コース)といわれ、人が殺到した。わたしは1時間くらいで出発できたが、2時間以上かかった人もいたのではなかろうか。主催者もこの人数は想定以上で制御の範囲を超えていたようだ。そういえば会の冒頭カンパ要請があったが、とてもカンパ隊が歩ける状況ではなかったので、わたしの知る限り集めていなかった。
警官もこんな大規模デモは経験がないようで、反天連なら完全にサンドイッチされるのが、自動車に対する交通整理に手がいっぱいでまばらだった。そして歩道にもこちら側の仲間がたくさん歩いている。こんなデモははじめてだった。
「さようなら原発」「命が大事」「原発反対」「子どもを守れ」「大人を守れ」、気持ちよくシュプレヒコールすることができた。
6月のデモのときは、桜田通りに右翼の街宣車、東電前に在特会が待ち構え、「サーヨーク、出ーて行け!」「キーチガイ、出ーて行け!」と叫んでいた。今回は原宿で日の丸を掲げ羽織袴姿の数人の20代の若者をみかけただけだった。「敬老の日」なのでお年寄りを大切にしようと訴えていた。こちらのデモは60歳以上の人も多いのだから、ぜひ敬ってほしいものだ。
デモ参加者は親子、男性、女性グループ、学生など澤地さんがいう「老若男女」そのものだった。ただかつての大きなデモにはたくさん参加していた大学生が比較的少ない。もちろん法政大学の学生はたくさん参加していた。また首都大学東京と東京大学の連合もみかけた。
それに代わり60代以上の男性グループが目についた。芝浦工大、明大などの旗を掲げていたので、定年を迎えたいわゆる全共闘世代の人が出てきたようだ。60年安保世代が9条改憲阻止の会で6.15共同行動を開催していることは知っていた。やっと70年安保世代がグループで再登場した。40年前の学生デモがこの日復活したようなものだ。市民運動で60歳以上の女性が多いのは従来と変わらないが、今後は元気な「若」老人のパワーに期待したい。
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