「定年後の生活」シリーズ第6弾としてボランティアを取り上げる。退職後の生活で、趣味、地域の人とのつきあいなどと並び、ボランティア活動を志す人は多い。わたくしの場合、いまのところ生活の柱にまでは育っていないが、福祉分野のボランティアに少しチャレンジした体験があるので、紹介する。
毎年12月3日から9日を「障害者週間」とすることが障害者基本法9条(2004年改正)で定められているそうだ。今年は新型コロナのパンデミックであまり大がかりには実施できなかったようだが、わたくしは入院中の精神障がい者を描いたドキュメンタリー映画「オキナワへいこう」(大西暢夫 2018年)と障がい者理解に関するパネル展を見た。
ボランティアというと、高齢者や障がい者、子ども、生活困窮者などを支援する活動をいうことが多い。選挙ボランティアや裁判支援のボランティアもやはりボランティアのはずだが、今回は前者、とりわけ高齢者や障がい者ボランティアに絞って話を進める。
退職して半年、少し落ち着いたころ、まず自分の今後の人生に身近な高齢者介護、とりわけ認知症に関心があるので区主催の認知症サポーター養成講座を受講した。たしか1時間ほどの座学を20人ほどで受け、オレンジリングをもらった。そして年に3-4回ステップアップ講座を聞いたり、認知症のグループホームを見学したり、小学生向けのサポーター養成講座のアシスタントをした。さらにランクが少し上の都のキャラバン・メイト養成セミナーという2日間の講座も受講した。
ただ問題なのは、なかなか街なかで認知症と思われる方に出会わないため、学んだことを活かすチャンスに遭遇しないことだ。もしかすると、自分が「ボーッとしている」だけだからかもしれないが・・・。
また予防生活援助サービス従事者研修という要支援1や2の人の生活支援をするための2日間セミナーも受講した。介護保険の支出を削減するためできた制度のようだ。ただし区によって活用の仕方が違うようで、残念ながら資格を取っただけで仕事はこない。聞いた話では、社会福祉協議会の「虹のサービス」という有償ボランティアと似ているそうだ。ただし仕事の内容は中高年の女性が得意な掃除、洗濯、調理などが主らしい。
そのほか高齢者向けということで、転倒リスク予防や介護による腰痛のセミナーも聞いた。
そうこうするうちに、ボランティアではなく、障がい者の面談調査をアルバイト調査員として行う仕事が飛び込んできた。わたくしが実際に会えたのは身体障がいの方20人ほど、精神障がいと知的障がいの方が各5人ほどだった。身体障がいの方は、年をとり病気になって聴覚や発声を失い障がい者になる人もいるので、どちらかというと70-80代の高齢の人が多い。心配ごとも「災害や病気・事故などの時に、すぐに助けにきてもらえるか」という人が多い。視覚、聴覚、音声機能、上肢、下肢、内部障害(内臓)など障がいの種類や障がいの程度もいろんな人がいた。障がい者手帳をもっていても、なかには70代でとても元気に働いている人や布教活動に励む人もいた。
精神障がいの方は、外からみても健常者との違いはないので、「身体障がいなら回りが気遣ってもらえるのに、精神障がいの人にももっと気遣ってほしい」という人もいたし、「最低賃金の仕事しか見つからない」「就職しても、突然ある朝調子が悪くなることもあるので、理解してくれる職場があれば」と仕事や就職の悩みを口にされる方が複数いた。知的障害の方は、親や兄弟と面談することが多いが「(面倒をみている)自分が死んだあと、いったいどうなるのか」が大変心配という方が多かった。詳しくはお聞きしていないがいろんな対策を立てておられるようだった。
自分にとっては、ハンディキャップがある人の生活や心配事がリアルにわかりたいへん勉強になったが、何かしてあげられるわけではないのでつらいといえばつらかった。
その後、デイサービス施設で車いすの方の「お散歩つきそいボランティア」を手伝った。これは正月明けの初詣とみやげ買い物のつきそうものだった。車いすを押すのは初めてだったので、いい勉強になった。またずいぶん感謝していただき、こんなことで喜んでいただけるのならとこちらもいい気持ちになった。ただし新型コロナのパンデミックで、春の花見をはじめ、イベントはすべて中止になった。
また障がい者向けということでバリアフリーマップづくりの講習に参加したこともある。
トイレや地下鉄の昇降口へのエレベータの位置をチェックする仕事だった。ためしに車いすに座って押してもらうと、健常者と視点の高さや視界が変わるので見える風景が違う。スピードや歩道の傾斜への恐怖感も違う。通行人・自転車がどのようにこわいか、知らない世界を見ることができ貴重な体験だった。今後、機会があればマップづくりを手伝いたいと思った。
冒頭に述べたドキュメンタリー映画「オキナワへいこう」のあらすじは次のようなものだった。
大阪府堺市の精神病院の開放病棟に入院中の70代の女性・益田さんが「どうしても沖縄に旅行したい」といい出し、賛同する男性患者4人と看護師たちも努力したが、5人のうち3人の主治医の許可が出ず、旅行に行けたのは男性1人(山中さん)、女性1人(益田さん)だけだった。益田さんも出発間際まで「旅行には行かない」と言い張っていた。理由は、旅行のための外出という制度はなく、いったん退院してすぐ入院という診断書は書けないと医師がいうので、「二度とここに戻れないのではないか」という恐怖からだった。
幸い2人とも3泊4日の楽しい旅行を実現し、無事病院に戻ることができた。浦添市の若竹福祉会という障がい者支援センターでは沖縄民謡を踊り、益田さんはかつて自分の母と歌った「ふるさと」を歌おうとして泣いてしまった。
みやげを持ち病院に戻った2人のうち山中さんは、スーパーで「こんないい男がいる」と、ひとめぼれした女性に声をかけられ仲良くなる。そして10年ほどの長期入院を切り上げ、2人で新しいアパートに転居し同居生活を始める。
はじめは益田さんが主人公のドキュメンタリーかと思ったら、後半は山中さんの独立がメインで、山中さんが主人公のようだった。おそらくテーマは精神障がい者の自己決定で、それを阻むものが医師だったということなのだろう。映画としてはややまとまりが悪かった。
しかし精神病院のなかにカメラを持ち込み、長期間密着撮影を続けるとは、大した監督だと思った。大西暢夫監督は本橋成一さんの弟子だそうだ。本橋さんは 「ナージャの村」(1997)などの写真家・映画監督である。
それにもまして、わたくしが精神病院の入退院システムや開放病棟のことなど、何一つ知らないことに改めて気づいた。差別についても、在日朝鮮人差別以外のことは知らないし、知るべき知識、経験はまだまだある。
映画鑑賞後、スタッフとの質疑応答があった。精神障がい者を「地域で見守る」という構想が行政にあるそうだ。では市民が具体的にどんなことを支援できるかというと、まだ有識者たちで協議が始まった段階とのことだった。また教育現場で、かつて混合教育を進める運動があったが、それはインクルージョンということで進んでいるようだった。
もうひとつのパネル展のほうは、障がい者差別解消法(2016施行)、福祉センター、子ども発達支援センターはじめ区内の障がい者施設の紹介、高次脳機能障害者支援事業 社会福祉協議会のさまざまな活動分野、作業所の紹介などだった。
福祉分野は相談窓口、助成制度、施設が数多くある。ところが困ったことにどこに何を相談しにいってよいのかわからないことが多い。シンプルな例でいうと、ヘルプマークはどこでもらえるのかわからない人が多くいることを、障がい者調査のときに知った。
認知症は高齢者福祉の分野、障がい者は障がい者福祉の分野と担当課や係が分かれていて、自分の担当分野以外のことはなにひとつわからないといわれることが多い。現実にはもともと身体障がいがあり、高齢になって認知症も出てきたとか、知的障がいの人である時期から身体障がいも加わったという人もかなりの数でいる。
またホームヘルパーやデイサービスで、同じサービスを受けるのに障害者総合支援法を使うか介護保険法を使うかで違いがあるなどということは、サービス利用者にはわからない。自分がどちらの適用を受けているのか知っている人はあまりおらず、役所の人だけが知っている。また地域単独でやっている事業もあり、転居すると事情がすっかり変わるサービスもある。しばらく使わないと、それを理由に打ち切りになってしまうこともあるそうだ。
ここで取り上げた高齢者や障がい者への福祉ボランティア以外に、幼児や小学生対象のボランティア、災害ボランティア、イベントのボランティア、外国人を相手にするボランティアもある。社会福祉協議会やボランティア・センター、社会貢献活動団体サポート施設で相談することができる。
「ボランティア」を取り上げたものの、座学にはいろいろ参加したが、自分が体験したことはほとんどないという締まらない結末で申し訳ない。ただ、相手が認知症の方でも外国人でも、困っていそうな人をみたら、こちらから積極的に語りかけるという基本は同じだと思える。
そういえばシルバー人材センターの年4回の清掃ボランティア(沿道のごみ、空き缶の清掃)というものもあった。しかし今年は新型コロナの大流行で4回のうち3回は中止になった。今年はボランティアの世界も、コロナで散々な年だった。
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毎年12月3日から9日を「障害者週間」とすることが障害者基本法9条(2004年改正)で定められているそうだ。今年は新型コロナのパンデミックであまり大がかりには実施できなかったようだが、わたくしは入院中の精神障がい者を描いたドキュメンタリー映画「オキナワへいこう」(大西暢夫 2018年)と障がい者理解に関するパネル展を見た。
ボランティアというと、高齢者や障がい者、子ども、生活困窮者などを支援する活動をいうことが多い。選挙ボランティアや裁判支援のボランティアもやはりボランティアのはずだが、今回は前者、とりわけ高齢者や障がい者ボランティアに絞って話を進める。
退職して半年、少し落ち着いたころ、まず自分の今後の人生に身近な高齢者介護、とりわけ認知症に関心があるので区主催の認知症サポーター養成講座を受講した。たしか1時間ほどの座学を20人ほどで受け、オレンジリングをもらった。そして年に3-4回ステップアップ講座を聞いたり、認知症のグループホームを見学したり、小学生向けのサポーター養成講座のアシスタントをした。さらにランクが少し上の都のキャラバン・メイト養成セミナーという2日間の講座も受講した。
ただ問題なのは、なかなか街なかで認知症と思われる方に出会わないため、学んだことを活かすチャンスに遭遇しないことだ。もしかすると、自分が「ボーッとしている」だけだからかもしれないが・・・。
また予防生活援助サービス従事者研修という要支援1や2の人の生活支援をするための2日間セミナーも受講した。介護保険の支出を削減するためできた制度のようだ。ただし区によって活用の仕方が違うようで、残念ながら資格を取っただけで仕事はこない。聞いた話では、社会福祉協議会の「虹のサービス」という有償ボランティアと似ているそうだ。ただし仕事の内容は中高年の女性が得意な掃除、洗濯、調理などが主らしい。
そのほか高齢者向けということで、転倒リスク予防や介護による腰痛のセミナーも聞いた。
そうこうするうちに、ボランティアではなく、障がい者の面談調査をアルバイト調査員として行う仕事が飛び込んできた。わたくしが実際に会えたのは身体障がいの方20人ほど、精神障がいと知的障がいの方が各5人ほどだった。身体障がいの方は、年をとり病気になって聴覚や発声を失い障がい者になる人もいるので、どちらかというと70-80代の高齢の人が多い。心配ごとも「災害や病気・事故などの時に、すぐに助けにきてもらえるか」という人が多い。視覚、聴覚、音声機能、上肢、下肢、内部障害(内臓)など障がいの種類や障がいの程度もいろんな人がいた。障がい者手帳をもっていても、なかには70代でとても元気に働いている人や布教活動に励む人もいた。
精神障がいの方は、外からみても健常者との違いはないので、「身体障がいなら回りが気遣ってもらえるのに、精神障がいの人にももっと気遣ってほしい」という人もいたし、「最低賃金の仕事しか見つからない」「就職しても、突然ある朝調子が悪くなることもあるので、理解してくれる職場があれば」と仕事や就職の悩みを口にされる方が複数いた。知的障害の方は、親や兄弟と面談することが多いが「(面倒をみている)自分が死んだあと、いったいどうなるのか」が大変心配という方が多かった。詳しくはお聞きしていないがいろんな対策を立てておられるようだった。
自分にとっては、ハンディキャップがある人の生活や心配事がリアルにわかりたいへん勉強になったが、何かしてあげられるわけではないのでつらいといえばつらかった。
その後、デイサービス施設で車いすの方の「お散歩つきそいボランティア」を手伝った。これは正月明けの初詣とみやげ買い物のつきそうものだった。車いすを押すのは初めてだったので、いい勉強になった。またずいぶん感謝していただき、こんなことで喜んでいただけるのならとこちらもいい気持ちになった。ただし新型コロナのパンデミックで、春の花見をはじめ、イベントはすべて中止になった。
また障がい者向けということでバリアフリーマップづくりの講習に参加したこともある。
トイレや地下鉄の昇降口へのエレベータの位置をチェックする仕事だった。ためしに車いすに座って押してもらうと、健常者と視点の高さや視界が変わるので見える風景が違う。スピードや歩道の傾斜への恐怖感も違う。通行人・自転車がどのようにこわいか、知らない世界を見ることができ貴重な体験だった。今後、機会があればマップづくりを手伝いたいと思った。
冒頭に述べたドキュメンタリー映画「オキナワへいこう」のあらすじは次のようなものだった。
大阪府堺市の精神病院の開放病棟に入院中の70代の女性・益田さんが「どうしても沖縄に旅行したい」といい出し、賛同する男性患者4人と看護師たちも努力したが、5人のうち3人の主治医の許可が出ず、旅行に行けたのは男性1人(山中さん)、女性1人(益田さん)だけだった。益田さんも出発間際まで「旅行には行かない」と言い張っていた。理由は、旅行のための外出という制度はなく、いったん退院してすぐ入院という診断書は書けないと医師がいうので、「二度とここに戻れないのではないか」という恐怖からだった。
幸い2人とも3泊4日の楽しい旅行を実現し、無事病院に戻ることができた。浦添市の若竹福祉会という障がい者支援センターでは沖縄民謡を踊り、益田さんはかつて自分の母と歌った「ふるさと」を歌おうとして泣いてしまった。
みやげを持ち病院に戻った2人のうち山中さんは、スーパーで「こんないい男がいる」と、ひとめぼれした女性に声をかけられ仲良くなる。そして10年ほどの長期入院を切り上げ、2人で新しいアパートに転居し同居生活を始める。
はじめは益田さんが主人公のドキュメンタリーかと思ったら、後半は山中さんの独立がメインで、山中さんが主人公のようだった。おそらくテーマは精神障がい者の自己決定で、それを阻むものが医師だったということなのだろう。映画としてはややまとまりが悪かった。
しかし精神病院のなかにカメラを持ち込み、長期間密着撮影を続けるとは、大した監督だと思った。大西暢夫監督は本橋成一さんの弟子だそうだ。本橋さんは 「ナージャの村」(1997)などの写真家・映画監督である。
それにもまして、わたくしが精神病院の入退院システムや開放病棟のことなど、何一つ知らないことに改めて気づいた。差別についても、在日朝鮮人差別以外のことは知らないし、知るべき知識、経験はまだまだある。
映画鑑賞後、スタッフとの質疑応答があった。精神障がい者を「地域で見守る」という構想が行政にあるそうだ。では市民が具体的にどんなことを支援できるかというと、まだ有識者たちで協議が始まった段階とのことだった。また教育現場で、かつて混合教育を進める運動があったが、それはインクルージョンということで進んでいるようだった。
もうひとつのパネル展のほうは、障がい者差別解消法(2016施行)、福祉センター、子ども発達支援センターはじめ区内の障がい者施設の紹介、高次脳機能障害者支援事業 社会福祉協議会のさまざまな活動分野、作業所の紹介などだった。
福祉分野は相談窓口、助成制度、施設が数多くある。ところが困ったことにどこに何を相談しにいってよいのかわからないことが多い。シンプルな例でいうと、ヘルプマークはどこでもらえるのかわからない人が多くいることを、障がい者調査のときに知った。
認知症は高齢者福祉の分野、障がい者は障がい者福祉の分野と担当課や係が分かれていて、自分の担当分野以外のことはなにひとつわからないといわれることが多い。現実にはもともと身体障がいがあり、高齢になって認知症も出てきたとか、知的障がいの人である時期から身体障がいも加わったという人もかなりの数でいる。
またホームヘルパーやデイサービスで、同じサービスを受けるのに障害者総合支援法を使うか介護保険法を使うかで違いがあるなどということは、サービス利用者にはわからない。自分がどちらの適用を受けているのか知っている人はあまりおらず、役所の人だけが知っている。また地域単独でやっている事業もあり、転居すると事情がすっかり変わるサービスもある。しばらく使わないと、それを理由に打ち切りになってしまうこともあるそうだ。
ここで取り上げた高齢者や障がい者への福祉ボランティア以外に、幼児や小学生対象のボランティア、災害ボランティア、イベントのボランティア、外国人を相手にするボランティアもある。社会福祉協議会やボランティア・センター、社会貢献活動団体サポート施設で相談することができる。
「ボランティア」を取り上げたものの、座学にはいろいろ参加したが、自分が体験したことはほとんどないという締まらない結末で申し訳ない。ただ、相手が認知症の方でも外国人でも、困っていそうな人をみたら、こちらから積極的に語りかけるという基本は同じだと思える。
そういえばシルバー人材センターの年4回の清掃ボランティア(沿道のごみ、空き缶の清掃)というものもあった。しかし今年は新型コロナの大流行で4回のうち3回は中止になった。今年はボランティアの世界も、コロナで散々な年だった。
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