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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

銀座でアートを見る 永井一正展ほか

2020年11月10日 | 美術展・コンサート
銀座7丁目のギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)で「いきることば つむぐいのち 永井一正の絵と言葉の世界」という展覧会をみた。ライオンビヤホールがある交詢通りで中央通りから1本西に入った交詢ビルの正面、アマンドの斜め前という銀座の中心部にある。

デザイナー・永井一正は1929年大阪生まれ今年91歳である。会場は3か所に分かれ、1階に布にモノクロで印刷した大き目の作品24点、2階に今年10月5日に収録したビデオ・インタビュー(約16分)、地下で、過去に富山やドイツで開催した展覧会の作品など20点くらいのスライドが上映されていた。

1階は暗い部屋で、布の裏と表に100×80センチほどの大きな作品が貼られていて、数は24点、テーマは原則として動物だ。そして高さ2.5mほど、太さ10センチほどの木製角柱が12本立ち並び、センテンスが書かれ白色灯で文字が浮かび上がるようになっている。「心が大きく動いていなければ、いきいきとすることができない」「人と違っているから、生きる意味が生まれる」といったことばで、これが「いきることば」なのだろう。ということは動物の絵が「つむぐいのち」だ。

2階のライブラリーで16分のインタビューをみて、永井のこれまでの歩みや「「いきることば つむぐいのち」の意味を知った。
永井は芸大彫刻科2年のとき眼底出血を2度起こし失明の危機にさらされ、休学して大阪に戻る。父が勤務していた大和紡績から声をかけられ工芸学校出身の助手を1人付けてもらいデザイン室室長となる。帆布やワイシャツのパッケージやパンフレットのデザインをした。デザインの仕事はもちろん初めてだったが楽しくて仕方なく「こんな楽しいことをして食べていけるとは不思議だ」と思ったほどだった。
1960年に日本デザインセンターが設立され、大阪出身の田中一光らとともにメンバーに加わった。亀倉雄策、原弘、山城隆一など錚々たる顔ぶれだった。ADC賞、毎日産業デザイン賞、朝日広告賞など数々の賞を受賞し有名になった。65・66年ごろLIFEサイエンスライブラリーのライフシリーズに取り組み、生命というテーマに出会った。このシリーズで日宣美賞を受賞した。1975年から86年までデザインセンターの社長を務めいまも最高顧問である。以下、インタビューの抜粋である。

生物を育む素地をもつ地球が奇跡的に誕生した。動物、植物、鳥、魚など生物には共通点がある。自分を守り、子孫を残す営みのために命が受け継がれていることだ。
創作の原点は自然であり、人間の五感は自然から受け継がれたものだ。
人間に限らずいちばん大事なのは命だ。文明や科学により人間の生活が便利になったが、一方自然破壊や地球温暖化で生物が脅かされている。人間はあらゆる生物と一体にならないといけない。わたしは表現をデザインで受け持ち、生命の美を表現している。
生物は環境にあった形態をとっている。それぞれが非常に不思議でそれぞれに美しい。美というものは厳然として自然にある
幸い人間は認識できる。わたしは、ひとつの表現手段として動物の姿を借りている。自分の命を燃やすためのひとつの表現手段としての動物だ。自然と自分が一体感をもったときに、発想が生まれてくる。 
アートにも逆境がある。新型コロナなど疾病もあるが、生きていれば、人間は解決するだろう。わたしは戦争と空襲を体験し、一瞬のうちに命を落とすことを知っている。戦争だけはもう二度としたくない
それぞれの人が生を充実していくことがアートにつながる

こういう永井の信条と基本的な発想を頭に入れたうえで地下で作品のスライドをみた。1983年の富山を描く100人100景展、91年の富山の美術展、91・92年の永井一正展、93年の永井一正デザインライフ、2012年の第10回世界ポスタートリエンナーレトヤマ2012などの動物をテーマにした永井の作品が下から上に次々に流れていく。
羊、サル、ヤギ、イノシシ、牛、シマウマ、熊、サイ、キリン、ライオン、ワニ、鹿、狼、犬、猫、ウサギ、みみずく、蛇、象、ねずみ、花などいろんな動植物が、黒、緑、青紫などさまざまな色彩で画面に現れた。たいていの作品にはLifeの文字があり「Save me please. I'm here」「LIFE to SHARE」「Save Nature」のセンテンスもたびたび登場した。また音も鳥やにわとり、犬の鳴き声、さまざまな虫の音、水滴のしたたる音、せせらぎが流れる音などさまざまな自然の音が幽かにする。壁の一部には葉っぱが留めてあり、ていねいなことに「いのちのことば」が書きつけられている。まるで南の国の落ち着く気分の密林のなかにでも佇んでいるようで、ゆるやかな時間を過ごせた。
最後にもう一度1階の文字付き布の作品を見る。
本物の美と出会う。自分が問い直される」「創作において、同じことを繰り返すのは、他人を偽り、自分を偽ること」「魂の鏡を磨いていないと、そこには本物は映ってこない」「いったん立ち止まって、すべてを考え直す時期にきている」「想像力からこそ優しさが生まれる」「自分自身が『ときめき』を感じなければ、人を『ときめかす』ことはできない」
動物の絵のほうだけでなく永井の「言葉」も、読んで噛みしめるほどに、味わい深い。

永井一正というと50年くらい前から亀倉雄策田中一光らと並びデザイン界の大御所だった。亀倉は97年に82歳で、田中は02年に71歳、福田繁雄は09年に78歳、粟津潔も09年に80歳、勝井三雄は19年に87歳。デザイナーではなくイラストレーターの灘本唯人は16年に90歳、和田誠は昨年83歳で亡くなっている。50年も経ち、さすがに時代が変わったように思っていたが、永井氏の心身ともに元気な様子を映像で見られてよかった。

ギンザ・グラフィック・ギャラリー(略称:ggg)
住所:東京都中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル
電話:03-3571-5206
開館日:月曜日から土曜日(日曜・祝日休館)
開館時間:11:00―19:00
入館料:無料


創英ギャラリー鈴木生・個展 合板を5-6枚貼り合わせたものを素材にした彫刻作品
まるごとミュージアムアフタヌーン・ギャラリーズというイベントで、銀座5から7丁目のギャラリー5軒を巡る機会があっ た。フレスコ画合板の木彫シルクスクリーンのタペストリー古着の写真テンペラ技法の日本画と、それぞれジャンルや技法の異なる作品展を見られた。
はじめの画廊で聞いた、美術館と画廊の違いは(好きな作品を)買えるかどうかということ、画家と画廊の奥の深い関係、「絵は感じるものなので、自分を理解することにつながる」という言葉が印象に残った。また最後の画廊で作者本人からお聞きした「-37.49の正しさ」の背景説明、すなわちビッグマック指数で捉えた日本企業の低賃金雇用と不安感、さらに人の無関心からくる怖さなども、お聞きして初めてわかるコンテンツだった。
画廊もそれぞれ個性があり、しかも銀座地区は画廊の数が多い。gggの隣も画廊だし、1930年代竣工の奥野ビルのテナントは大部分が画廊だ。
なお今年のまるごとミュージアムはコロナ禍で規模を縮小して開催された。


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