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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

フォーラム'90の「死刑廃止のカウントダウンにむけて」

2011年01月01日 | 集会報告
結成20年を迎えた「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム'90」が「死刑のない社会へ」という集会を開催した。
20年ほど前の1989年12月15日国連は「死刑廃止国際条約」を採択した。日本政府がこの条約を批准することを求め、死刑廃止に取り組むいくつかの団体がゆるやかな集まりをつくり90年12月に日比谷公会堂で1500人の集会を行った。それから20年、当時88カ国だった死刑廃止国は139カ国、世界の7割に増え、いまや存置国と廃止国の数は逆転した。日本でも90年当時3年4か月死刑の執行が停止されていた。しかし93年から執行が再開され、なかでも鳩山邦夫法務大臣は07年12月から7か月の間に13人もの大量死刑執行を行った。また昨年7月28日、就任前には死刑廃止を信条としていた千葉景子法相が2人の執行を行った。
この日の集会は、辺見庸さんの講演、神田香織さんの講談、上々颱風のミニ・コンサート、19人の方のひとくちアピールなど、盛りだくさんのプログラムだった。会場の日比谷公会堂は満席で、1850人もの人が全国から集まった。
わたくしは、パネル・ディスカッション「死刑廃止のカウントダウンにむけて」の中山千夏さんの「正義の名で人を殺すのは最低の殺人だ」という言葉がとりわけ印象が強かったので紹介したい。パネリストは、加賀乙彦さん、中山千夏さん、森達也さん、司会は弁護士の安田好弘さんである。

■どうして死刑廃止を考えるようになったのか
加賀●25、26歳のころ東京拘置所の医務官となり死刑囚の人とつきあい、30歳のころ精神医学の立場から死刑囚の論文を書いた。100人の死刑囚に会いつきあううちに、こんな残虐な刑罰が日本にあるのは恥だと思うようになった。そして90年にフォーラム90に参加した。廃止を求める理由は、死刑が残酷・残虐なこと、奇妙な死刑執行の仕方、法務大臣1人の決意で命を取ること、それらすべてだ。
中山●とくに死刑に詳しいわけでもないのに、こんな野蛮なことはなくなるのは当然だと信じて疑わず、80年に参議院選に立候補したとき男女平等と並び死刑廃止を公約にした。根本のところは、人は人を殺してはいけない、殺すことに反対ということで、戦争に反対するのと同じスタンスだ。正義の名で人を殺すのは最低の殺人だ。あらゆる殺人は間違いでないといけない。正しい殺人などあってはいけない。それなのに死刑と戦争は殺人を正しいことにする。だから死刑と戦争は絶対ダメ!ずっとそう言っている。しかしなくならない。
森●僕の世代は死刑というと、マンガ「がきデカ」のこまわり君の「死刑!」というセリフくらいしかイメージが浮かばない。「A2」を撮り、死刑確定囚の岡崎一明さんから会いたいといわれ面会に行った。目の前で笑ったり、冗談をいっている人がいずれ殺される。それをみんなわかっている。これは何だろう、何か変だ、と思った。それから死刑のことをいろいろ調べたり、死刑囚にあった。結論は、死刑執行には意味がないということだ。死刑制度を存続させるなら、その意味を提示してほしい。納得できるロジックはひとつもない
安田●横浜の裁判員裁判で死刑判決を受けた人と3日間面会した。「罪を償い、被害者の妹さんの気持ちが収まるなら自分が死刑になるしかない」という。しかし最後に、ハラハラ涙を流し「でも生きて償いたいんです」といった。こんな悲しい言葉を早くなくしたい

■なぜ死刑廃止を実現できないのか
中山●人権問題は世論を待てない。人権問題は政治の力で片付いていく。人権は「コメ」から遠いので、片付けるのはどうしても知識層になる。知識層には考えるヒマがある。しかし日本の知識層の人権感覚は鈍い。また上層部の人は「有象無象」の命に対する関心が薄い。ひとつひとつの命が大事という感性がないので、関心もない。ジャーナリズムも同じで感性が悪すぎる。30年この問題をみてきて、これが大きな壁だと思う。
加賀●取材のため外国特派員協会の人が自宅にきて「日本は科学技術が進み、仏教が普及し慈悲の心を大事にする。平安時代には400年も死刑がなかった。なぜ今になって死刑を執行するのか」と聞かれ、わたしはうまく答えられなかった。徳川時代から仇打ちは当然の人権だと思われていた。時代劇は評判がよいが、少しでも悪いことをした人は殺される。その子分も簡単に殺される。悪いやつは殺してもかまわない、死をもって責任を取れ、死刑は正義の裁き、という考えが日本人の心にしみ込んでいるのではないだろうか。映画や小説をとおして、人が殺されるのが面白い、人を殺す快感が日本人の心にしみついているとしか思えない。
森●補足のようなことを2つ述べる。ひとつは、死刑に関する情報公開がほとんどなされていないということだ。今年の夏、刑場が公開されたが、それは法務大臣が公開しろといったからだった。本来メディアがいうべきことだ。先進国で例外的に死刑を存置しているアメリカでは情報公開が進んでいる。それで死刑の方法は、絞首刑が電気椅子に変わり、薬物になった。苦痛を与えない死にするためだ。日本ではそれすらない。明治時代から変わっていない。また公開といっても、野球にたとえればグラウンドを見せたにすぎない。せめてルールやプレイヤーに関する情報を与えなければ、野球のことはわからない。そんな状況で、存置か廃止かの議論などできるはずがない。国民が求めなくても、メディアに知らしむべしという意識が浮上してもよいと思う。
もうひとつは、この20年に限定するとオウム真理教事件が大きい。最近「A3」という本を出版した。テーマは麻原彰晃で、あらためて法廷の記録を調べたり関係者に会った。この裁判はムチャクチャだ、ありえない。日本は司法国家ではない。そこまでして麻原を死刑にする。オウムという絶対悪をどのようにしても処断しないと正義は成り立たないという雰囲気が日本中に蔓延した。こういう時期に、死刑廃止はとんでもないということになった。
安田●オウムはたしかに大きかった。わたしたちが人権という点で、裁判所にたてつき、追い込んできたことが一気に吹っ飛んでしまった。
今日出た以外の論議では、政治家が悪いという人もいる。また検察が悪いという議論もある。死刑存置の最大の政治勢力は市民でも世論でもなく検察だ。市民に批判されず選挙もないので責任を問われない。検察が政治性をもち、法務省全体を握り死刑存置の政策を遂行している。法務省の官僚は全員検察官だが、検察庁と法務省を完全に分離する必要があるという議論だ。

■現在の困難な状況のなかで、どうすればよいか
加賀●制度存続の理由に、日本人の80%以上が死刑に賛成というアンケートがある。しかし死刑囚がどのような状況で拘禁され、どのような恐怖を毎日覚え、日常生活はどのようなものかいっさい知らされていない。回答者は子どものときから思い描いている死刑のイメージで簡単に答えているのではないか。もし死刑囚の実態をよく知り、処刑の残虐性を直視すれば、けして死刑賛成にはならないと思う。
麻原の話があったが、わたしは10人の精神科医の一人として精神鑑定に携わった。一目見て、死刑囚に多い拘禁ノイローゼの混迷状態だとわかった。それを裁判官がたった一度拘置所に行って「正常」だと判断した。どのような根拠で、どのような精神医学的経験からそういう判断をしたのか、じつに不思議に思える。
中山●わたしは一人の人間として、国や社会と立ち向かわないと戦争は止められないと思うので、我(が)をしっかり持ち、死刑はダメと遠くへ向かって言い続けたい
森●2年前、NHK-BSの仕事で、ノルウェイの刑事行政・刑事司法の取材に行った。日本にとってのオウムは世界にとっては9・11であり、それ以降厳罰化の流れが進んでいる。しかしその流れに反し、北欧では寛容化を進めている。それにもかかわらず治安は良好だ。殺人(故殺)は年に1件前後、過失致死や傷害致死を含めても年に20-30件に過ぎない。ノルウェイにはもちろん死刑はない。最高刑は禁固21年だ。日本は1197件だったがこれは過失致死や殺人未遂、心中も含めた数字で、それを除けば600件程度だ。人口は日本が30倍なのでノルウェイやスウェーデン並みで世界のトップクラスといえる。しかもその数字は毎年戦後最低を更新し続けている。12月17日の取手・通り魔事件で通り魔殺人が大きなニュースになっているが、通り魔殺人は20年で十数件、スズメバチで死ぬ件数より少ない。
しかし北欧と日本では国民の意識がまったく違う。日本の国民は、こんなに治安が悪いと受け止めている。メディアがこういう客観的なデータをきちんとアナウンスすれば、意識が変わるきっかけになるかもしれない。
安田●死刑廃止の方策は簡単にはみつからない。方策はひとつではないと思う。たとえば中山さんがいうように一人だけでも言い続けること、加賀さんがいうように死刑の実態を明らかにすること、そして森さんがいうように日本の治安を考え直すこと、死刑を廃止して100年たってもうまくやっていることを報道することなど、さまざまある。みなさんひとりひとりがどうすれば死刑廃止ができるか、みんなで考え、さらにその考えに基づきそれぞれの場で死刑廃止に取り組むことが重要だと思う。

☆このほか、弟を殺されたのに死刑廃止運動を行うオーシャンの会の原田正治さん、死刑台から生還した免田栄さん、13年間死刑執行のない事実上の死刑廃止国、韓国の事情などの「ひとくちアピール」も強く印象に残ったので、別の機会に紹介したい。
2010年の「総目次」を作成した。リンクさせたので、参考にしていただけると幸いである。
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