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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

皮紙や金唐革紙をみた「紙の博物館」

2010年05月28日 | 博物館など
王子の飛鳥山公園にある「紙の博物館」に行った。王子といえば王子製紙、この博物館の隣には王子製紙のルーツ「抄紙会社」を1873(明治6)年に設立した渋沢栄一の邸宅があった。73年というと渋沢が大蔵省をやめ、第一国立銀行が開業した年である。栄一が関わった会社は500社に上るが、そのなかでも最も古いグループに属する。

ポケット・グラインダーという名前だが、巨大な砕木機
この博物館は、いまから60年前の1950年、旧王子3社(苫小牧、十條、本州)の製紙記念館として堀船1丁目(現在、首都高飛鳥山トンネルのある場所)で発足した。その後、財団法人となり98年に現在地に鉄筋4階建ての博物館として新築オープンした。
1階は京都・梅津の製紙工場の門扉、紙商・中井商店の看板など歴史的な記念碑、2階は製造工程などを紹介する「現在の製紙産業」、3階は紙のリサイクルなど小学生向けの「紙の教室」、4階は「紙の歴史」のコーナーになっている。
わたくしは4階の「紙の歴史」に最も関心があった。以前印刷博物館を見学したが、印刷より時代が古く、幅が広い。素材の歴史は興味深い?。まずパピルスをはじめ紙以外の書写材料からはじまる。

エジプトのパピルス
書写のための素材は、エジプトのパピルス(BC3000年~)、インドや東南アジアの貝多羅ばいたら パルミラヤシ 5C)、メキシコのアマテ(イチジク 12C)、中国の木簡(BC4C~)など植物を使ったものが多い。しかし例外がある。ヨーロッパのパーチメント(皮紙 BC2C~)で、羊、山羊、子牛の生皮をつかったものだ。展示されていたのは、ネウマという四線譜の楽譜(複製だった(昔ルネッサンス音楽の授業を受けたときは読めたのだが)。色の発色がすばらしい。しかし残酷である。また中国の甲骨文字の甲骨(BC1400年~)は、動物の骨や亀の腹の甲が使用された。
そして紀元前2世紀に中国で紙が発明された。紙は、火薬、羅針盤、印刷と並ぶ中国の四大発明といわれ、わたしが小学生のころは、2世紀に蔡倫が発明したことになっていた。その後の研究で時代は後漢書の記述より250年さかのぼり、場所も長安から甘粛省へ移動した。
ヨーロッパへは12世紀に伝わった。まずモロッコ経由でスペインのハティバに1144年、水彩紙で有名なイタリアのファブリアーノへ1276年、ドイツのニュルンベルクには1390年に到達した。
朝鮮経由で日本に伝わったのは奈良時代の610年、ヨーロッパよりずいぶん早いが、地の利だろう。764年の百万塔陀羅尼が展示されていた(複製)。塔とはいっても20センチくらいの木製の三重の皿のようなもので、内部に経文が納められている。これが世界最古の印刷物なのだそうだ。

色鮮やかなパーチメント(皮紙)の楽譜
日本の手漉き和紙は有名だが、ヨーロッパにも手漉きの紙はある。作り方の違いは、和紙はトロロアオイから採取した粘液のネリを加え、繊維が十分絡み合うよう揺する「流しずき」をする。一方洋紙は、ネリを使わず、揺すらない「溜めずき」で作ることだ。
江戸時代には藩が専売品として生産を奨励した。専売というと塩や生糸が有名だが、津和野藩を皮きりに四国(例 大洲藩、高知藩)、九州(例 福岡藩、高鍋藩)、山陽・山陰(例 広島藩、長州藩)の藩が紙の専売をおこなった。専売ではないが、関東では小川和紙が有名だ。東京でもあきる野市乙津で「軍道紙」が生産された。

明治になり、日本の製紙方法は一転する。木材パルプを使い抄紙機を使う工業的製造方法に変わったのだ。これで新聞や書籍用の用紙の供給が飛躍的に伸びた。1900年に3.6万トンだった生産量が1915年には16万トン、1925年には42万トンに伸びた。用紙が確保され、はじめて、新聞、雑誌、教科書の大量生産が可能になり、近代文化のインフラが整備された。

一見革にみえる和紙、金唐革紙
企画展「金唐革紙の魅力 ――過去から未来へ」が開催されていた。金唐革紙(きんからかわし)とは「和紙に金属箔(金箔、銀箔、錫箔等)を押し、版木に当てて凹凸文様を打ち出し、彩色をほどこした壁紙」(ウィキペディア)のことである。この説明は正確だが、どんなものかは一度みないとわからないだろう。旧・岩崎邸、旧日本郵船小樽支店、神戸市舞子の移情閣でみることができる。豪華絢爛、貴族の館の壁にふさわしいものである。鹿鳴館にもあったようだ。
ヨーロッパでは革でつくり、日本はそれを真似て和紙を合紙してつくったところがセコいというか、和魂洋才というべきか。工芸品として評判が高くバッキンガム宮殿など欧米に逆輸出された。
この企画展では秋田県大仙市の池田庭園のものが多く展示されていた。池田氏は山形県の本間氏・宮城県の斉藤氏と並ぶ大地主だった。邸宅の敷地は4万2000?、そのなかに1922年に建築された2階建ての白い洋館(私設図書館)がある。ただこの洋館は現在修復中で、今年11月オープンの予定なのでいまはみることができない。

住所:東京都北区王子1-1-3(飛鳥山公園内)
電話:03-3916-2320
開館日:火曜~日曜
開館時間:10:00-17:00(入館は16:30まで)
入館料:大人300円、小中高生100円


☆A4,B4という紙のサイズはコピーやノートの大きさなどでなじみがある。タテ・ヨコの比率は1:ルート2になっている。この博物館で、A全紙は1平方メートル(841×1189mm)、B全紙は1.5平方メートル(1030×1456mm)であることをはじめて知った。A列の系統はドイツのDIN476という規格を踏襲しているが、B列は日本の国内規格にすぎないそうだ。
☆紙はパルプでできているので基本的にリサイクルできる。日本の古紙回収率は73%とかなり高い。また古紙の利用率も60%と高いが上には上がある。回収率では韓国が89%、利用率では、韓国が74%、ドイツが70%、中国が64%、フランスが61%などとなっている(数字はいずれも2007年)。
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