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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

樺太1945年夏 氷雪の門

2007年08月14日 | 観劇など
1974年制作の「樺太1945年夏 氷雪の門」(村山三男監督)をみた。
終戦直前の1945年8月9日ソ連が参戦し、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出されたが、樺太第三の町・真岡の交換手20人は引揚げず、職務を遂行していた。ところが8月20日突如、真岡の町の沿岸にソ連艦隊が現われ、艦砲射撃を加えたうえ上陸して狙撃を開始した。関根律子を班長とする第一班の交換手は緊急を告げる電話回線を守ったが、通じる回線は次々に途絶え最後の1本に。一方ソ連兵は郵便局に迫り、窓から射殺される親子の姿が見えた。律子はポケットから青酸カリの瓶を取り出し、8人の女性とともに服毒した。最後の電話の声は「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら……」だった。
映画としては、特攻隊を描いた石原慎太郎の「俺は、君のためにこそ死ににいく」よりよくできていると思った。
理由は、9人の女性の家族も含め一人一人の人間をていねいに描けていることだ。たとえばある交換手の姉(南田洋子)一家は国境近くの恵須取に在住し8月16日にソ連軍が進軍したため脱出したが、その途上で家族4人とも犠牲になった。ある交換手(岡田可愛)の妹(岡田由紀子)は従軍看護婦として病院で勤務していたが集団自決した。
ウサギを飼う少女(木内みどりだと思った)は、「どうせソ連兵に食われてしまうなら」という父に反抗し、ウサギをバスケットに入れ職場に連れてきた。最後のシーンは、交換手たちの死体の周りを子ウサギが歩き回るものだった。
1963年、北海道稚内市・稚内公園内に、彫刻家・本郷新による女人像、望郷の門、霊石を三位一体とする慰霊碑が建造された。これは「氷雪の門」と呼ばれている。タイトルはこの慰霊碑に由来する。

考えてみると、真岡郵便局だけでなく樺太の他の郵便局や満州、朝鮮北部でもソ連軍が襲撃してきたところならどこでも起こりえた(あるいは実際に起きていたのかもしれない)悲劇である。
しかしこの映画の場合は、冷たいようだが、一言でいえばリーダーの判断ミスともいえる。人命第一というリーダーの判断基準からすれば、もっと早く退避すべきだったし、実話では9人が死亡した後、3人の女性が男性局員に救出されている。なお服毒した青酸カリは藤田弓子の実家が薬局だったので入手したことになっている(つまり強制的な集団自決ではないことを暗に匂わせている)。
出演は、班長・関根律子に二木てるみ 、交換手に岡田可愛、木内みどり、藤田弓子、鳥居恵子など。その他、局長が千秋実、師団長に島田正吾、参謀長に丹波哲郎、その他浜田光夫、栗田ひろみ織本順吉赤木春恵、七尾伶子など豪華キャスト。
なお「氷雪の門」上映委員会のメンバーに「俺は、君のためにこそ死ににいく」の新城卓が入っている。

☆この映画を見た場所は遊就館。ただでも皇国史観による大東亜戦争の解説、展示品は戦勝祈願の血染めの日章旗、特攻兵器「桜花」、人間魚雷「回天」などシュールな場所。

神社の前で売っているおみやげは「新総理誕生 晋ちゃんまんじゅう」(630円)「晋ちゃんwithアッキー スイートサンドクッキー」(630円)「アッキーラッキークッキー」(700円)「太郎ちゃんの暴れまがり明太子せんべい」(525円)「ちょい不良オヤジ 太郎ちゃんの牛乳カステラ」(525円)「漫画王 ちょい不良おやじ太郎ちゃんのちょいピリ辛明太子カシューナッツ」(600円)などアナザーワールドの商品オンパレード。

「防衛省誕生桜まんじゅう」(840円)「戦艦大和小倉ようかん」(500円)くらいまではわかりますがねぇ
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