東京都中央区には「活字発祥の碑」がある。1873年(明治6年)本木昌造の弟子・平野富二が築地1丁目に活版製造所をつくったからだ。1876年(明治9年)に設立された秀英舎(後の大日本印刷)も現在の銀座4丁目にあった。
戦中から昭和20年代にかけて中央区(京橋区と日本橋区の合計)の印刷工場の数は23区で1位だったが、いまも中央区の地場産業は印刷業で、印刷業の事業所数は166のうち108で65%、製造品出荷額で73%を占めている(2014年工業統計調査報告)。
1年半ほど前、区のわくわくツアーというイベントで、東銀座にある中村活字という会社を訪ねたことがあった。いまも活版印刷を業務として営んでいると聞き期待したのだが、本や雑誌といったページものではなく、ハガキや名刺など端物の印刷をしているとのことだった。もともと都庁や役所に強い会社だったが、いまは全国の活版ファンからの注文に応えているとのことだった。
入船2丁目のミズノプリテック6階に「ミズノ・プリンティング・ミュージアム」という企業博物館がある。室内には、紀元前2200年のバビロニアの円筒印章やエジプトのパピルス文書(4-7世紀)に始まり、現存する世界最古の印刷物「百万塔陀羅尼(だらに)」という経文(770年)、鋳造活字印刷を発明したグーテンベルクの「42行聖書」(1450-1455)、イギリスで1850年に製造された鉄製印刷機コロンビアンプレスなど貴重な文化遺産が所狭しと並んでいた。1988年の社屋新築時に会長のコレクションを企業のフィランソロピー活動の観点から約160平方mのスペースに公開し、オープンしたものだそうだ。
百万塔陀羅尼とは、恵美押勝の乱(764)を平定した称徳天皇が、戦死した将兵の霊や鎮護国家を祈念するため無垢浄光(むくじょうこう)大陀羅尼経の一部を100万巻印刷し法隆寺・東大寺・興福寺・薬師寺・四天王寺など10の大きな寺に10万基ずつ奉納した経典である。経は木製三重の塔の上部の相輪に収められている。現存する世界最古の印刷物(770)で、いまも法隆寺に4万基ほど、その他博物館などが少し保有するが、そのひとつがここにあるというわけだ。
真ん中の茶色が本物の木製の塔(白いものはレプリカ)
福沢諭吉の著作が何冊も展示されていた。『西洋旅案内』(1867)、『西洋事情』(1870)、『学問のすゝめ』(1872-1876)、『民間経済録』(1880)などである。「「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言へり」で始まる『学問のすゝめ』は17編からなる。初版は500部ほどしか作成されなかったが、その後人気が出て350万部も出版された。初版で残っているのは10部だが、そのうちの1冊がここにある。
その他、印刷雑誌創刊号(1891年2月)、明治時代の東京の地図、世界三大美書といわれるウィリアム・モリスのケルムスコット・プレス版「チョーサー著作集」、ジョン・ホーンビイの「タンテ著作集」、コブデン・サンダーソンの「英訳聖書」などがあった。
印刷雑誌の印刷者は佐久間貞一(秀英舎の創立者)と記されていた。
また印刷物だけでなく大きな印刷機械も何台も展示されていた。1850年イギリスで製造されたコロンビアンプレス、1860年やはりイギリスで製造されたアルビオンプレス、1885年ごろ平野富二が製造した国産印刷機1号の手引き活版印刷機などである。これは築地活版製造所でつくられたものだが、現存するものは1台しかないので2007年に日本機械学会から「機械遺産」として認定された。
歴史的に価値がある、世界各国の印刷関連物の「宝の山」のような展示の場だった。みればみるほどワクワクし、見ていて飽きない。
和文タイプ
しかしわたくしがとくに興味をもったのは、もっと最近のもの、たとえば活版印刷の活字やクワタ、インテルなどの詰め物、タイプ印刷用の和文タイプ、それにとって代わった初期ワープロ、富士通オアシス100などだった。
和文タイプは、わたくしが社会人になった40年ほど前は、企画書、契約書などの清書用にまだまだ普通にビジネスユースで使われていた。タイプ機を買って家で内職する主婦もかなりいた。やがてワープロに「進化」し、「ワード」「一太郎」などパソコン・ソフトに置き換わった。DTP組版ソフトとしてはクオーク、その後はインデザインが主流になっていった。
ミュージアムで、まだ展示品として整備されてはいなかったが、そう遠くない将来、これらも機械遺産に認定されるのではなかろうか。
この30年で印刷工程は、主としてコンピュータ化により大きく変化した。たとえば30年前にはオフセット印刷の写植や写真製版が主流だったが、DTPに変った。パソコン登場以前は、写植の切り貼りや修正、フィルムのネガ・ポジ反転の繰り返しやレタッチ修正が職人技だった。少年週刊誌の表紙の製版で、特定の製版工の人が有名になったこともあった。いまではCTPで直接刷版を作成する方法も普及している。
パソコンになる以前は、ロットリングで地図やグラフを清書するトレースという業務もあり、0.1ミリ罫をまっすぐきれいに引ける人が重宝された。しかしいまではイラストレーター(アドビ)を使えば、素人でもだれでも、直線でも曲線でも描けるようになった。また写真に写りこんでいる電線を消したり、肖像写真のバックをきれいに消すエアブラシという専門職種もあった。これもフォトショップ(アドビ)というソフトに置き換わった。こうした職人技の継承は、おそらくニーズがないのでムリかと思われるが、歴史的文化として、たとえばビデオ記録したり、当時の工具や材料、半製品などが保存・公開されるとよいと思う。できるうちにやっておかないとすぐに散逸・消失してしまう。このミュージアムのコンセプトとは異なるので、ここでは無理かもしれないが、印刷関連業界のどこかで心がけていただきたいものである。
☆今年のNHK大河ドラマは「西郷どん」で、主人公・隆盛は鈴木亮平が演じている。鈴木は2014年春の朝ドラ「花子とアン」で花子の夫、 村岡英治役を演じた。その職業は家業の印刷会社で、このミュージアムの機械が使用された。そこで鈴木もこのミュージアムの見学をしたので色紙が残っていた。
ミズノ・プリンティング・ミュージアム
住所:東京都中央区入船2丁目9-2 ミズノプリテック6階
電話:03-3551-7595(代表)
休館日:土日曜日、祝日
開館時間 10:00~16:00
入館料:無料
☆見学は予約制
2018.1.31 「国産印刷機1号の手引き活版印刷機」の製造年を「1885年ごろ」に修正した
戦中から昭和20年代にかけて中央区(京橋区と日本橋区の合計)の印刷工場の数は23区で1位だったが、いまも中央区の地場産業は印刷業で、印刷業の事業所数は166のうち108で65%、製造品出荷額で73%を占めている(2014年工業統計調査報告)。
1年半ほど前、区のわくわくツアーというイベントで、東銀座にある中村活字という会社を訪ねたことがあった。いまも活版印刷を業務として営んでいると聞き期待したのだが、本や雑誌といったページものではなく、ハガキや名刺など端物の印刷をしているとのことだった。もともと都庁や役所に強い会社だったが、いまは全国の活版ファンからの注文に応えているとのことだった。
入船2丁目のミズノプリテック6階に「ミズノ・プリンティング・ミュージアム」という企業博物館がある。室内には、紀元前2200年のバビロニアの円筒印章やエジプトのパピルス文書(4-7世紀)に始まり、現存する世界最古の印刷物「百万塔陀羅尼(だらに)」という経文(770年)、鋳造活字印刷を発明したグーテンベルクの「42行聖書」(1450-1455)、イギリスで1850年に製造された鉄製印刷機コロンビアンプレスなど貴重な文化遺産が所狭しと並んでいた。1988年の社屋新築時に会長のコレクションを企業のフィランソロピー活動の観点から約160平方mのスペースに公開し、オープンしたものだそうだ。
百万塔陀羅尼とは、恵美押勝の乱(764)を平定した称徳天皇が、戦死した将兵の霊や鎮護国家を祈念するため無垢浄光(むくじょうこう)大陀羅尼経の一部を100万巻印刷し法隆寺・東大寺・興福寺・薬師寺・四天王寺など10の大きな寺に10万基ずつ奉納した経典である。経は木製三重の塔の上部の相輪に収められている。現存する世界最古の印刷物(770)で、いまも法隆寺に4万基ほど、その他博物館などが少し保有するが、そのひとつがここにあるというわけだ。
真ん中の茶色が本物の木製の塔(白いものはレプリカ)
福沢諭吉の著作が何冊も展示されていた。『西洋旅案内』(1867)、『西洋事情』(1870)、『学問のすゝめ』(1872-1876)、『民間経済録』(1880)などである。「「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言へり」で始まる『学問のすゝめ』は17編からなる。初版は500部ほどしか作成されなかったが、その後人気が出て350万部も出版された。初版で残っているのは10部だが、そのうちの1冊がここにある。
その他、印刷雑誌創刊号(1891年2月)、明治時代の東京の地図、世界三大美書といわれるウィリアム・モリスのケルムスコット・プレス版「チョーサー著作集」、ジョン・ホーンビイの「タンテ著作集」、コブデン・サンダーソンの「英訳聖書」などがあった。
印刷雑誌の印刷者は佐久間貞一(秀英舎の創立者)と記されていた。
また印刷物だけでなく大きな印刷機械も何台も展示されていた。1850年イギリスで製造されたコロンビアンプレス、1860年やはりイギリスで製造されたアルビオンプレス、1885年ごろ平野富二が製造した国産印刷機1号の手引き活版印刷機などである。これは築地活版製造所でつくられたものだが、現存するものは1台しかないので2007年に日本機械学会から「機械遺産」として認定された。
歴史的に価値がある、世界各国の印刷関連物の「宝の山」のような展示の場だった。みればみるほどワクワクし、見ていて飽きない。
和文タイプ
しかしわたくしがとくに興味をもったのは、もっと最近のもの、たとえば活版印刷の活字やクワタ、インテルなどの詰め物、タイプ印刷用の和文タイプ、それにとって代わった初期ワープロ、富士通オアシス100などだった。
和文タイプは、わたくしが社会人になった40年ほど前は、企画書、契約書などの清書用にまだまだ普通にビジネスユースで使われていた。タイプ機を買って家で内職する主婦もかなりいた。やがてワープロに「進化」し、「ワード」「一太郎」などパソコン・ソフトに置き換わった。DTP組版ソフトとしてはクオーク、その後はインデザインが主流になっていった。
ミュージアムで、まだ展示品として整備されてはいなかったが、そう遠くない将来、これらも機械遺産に認定されるのではなかろうか。
この30年で印刷工程は、主としてコンピュータ化により大きく変化した。たとえば30年前にはオフセット印刷の写植や写真製版が主流だったが、DTPに変った。パソコン登場以前は、写植の切り貼りや修正、フィルムのネガ・ポジ反転の繰り返しやレタッチ修正が職人技だった。少年週刊誌の表紙の製版で、特定の製版工の人が有名になったこともあった。いまではCTPで直接刷版を作成する方法も普及している。
パソコンになる以前は、ロットリングで地図やグラフを清書するトレースという業務もあり、0.1ミリ罫をまっすぐきれいに引ける人が重宝された。しかしいまではイラストレーター(アドビ)を使えば、素人でもだれでも、直線でも曲線でも描けるようになった。また写真に写りこんでいる電線を消したり、肖像写真のバックをきれいに消すエアブラシという専門職種もあった。これもフォトショップ(アドビ)というソフトに置き換わった。こうした職人技の継承は、おそらくニーズがないのでムリかと思われるが、歴史的文化として、たとえばビデオ記録したり、当時の工具や材料、半製品などが保存・公開されるとよいと思う。できるうちにやっておかないとすぐに散逸・消失してしまう。このミュージアムのコンセプトとは異なるので、ここでは無理かもしれないが、印刷関連業界のどこかで心がけていただきたいものである。
☆今年のNHK大河ドラマは「西郷どん」で、主人公・隆盛は鈴木亮平が演じている。鈴木は2014年春の朝ドラ「花子とアン」で花子の夫、 村岡英治役を演じた。その職業は家業の印刷会社で、このミュージアムの機械が使用された。そこで鈴木もこのミュージアムの見学をしたので色紙が残っていた。
ミズノ・プリンティング・ミュージアム
住所:東京都中央区入船2丁目9-2 ミズノプリテック6階
電話:03-3551-7595(代表)
休館日:土日曜日、祝日
開館時間 10:00~16:00
入館料:無料
☆見学は予約制
2018.1.31 「国産印刷機1号の手引き活版印刷機」の製造年を「1885年ごろ」に修正した