大阪の千日前で漫才をみた。
NHK朝ドラ「わろてんか」のモデルは、もちろん吉本興業・創業者の吉本せいである。
ドラマでの拠点劇場は「南都風鳥亭」だが、これはなんば花月のもじりであることに年末になって気付いた。花鳥風月なので、そんなことは関西の人ならすぐに勘が働いたかもしれない。
もうひとつ理由があった。昨年秋、薬研掘ではじめて講談を聞き、話芸というものもなかなかたいした「芸」のひとつだということに気がついたことだ。落語は以前、春風亭正朝一門の寄席を何度か聞いたことがあり、次ははじめて劇場で漫才をみてみようということにした。
初笑いのため、なんばに出かけた。といってもなんば花月は料金がちょっと高目なので、向かいのよしもと漫才劇場に入ってみた。漫才劇場はビルの5階にあるが、建物自体がちょっと変わっていて、1階から3階はドン・キホーテなんば千日前店、地下1階がNMB48劇場、8階には府立上方演芸資料館「ワッハ上方」が入っている。

花月は2階席もあり880席なのに比べれば335席とかなり小さい。しかし満席でかつ立見の人が50人ほどいた。ほとんど女性・子どもかと思ったが、そういでもなく男性や高齢者もバランスよくいた。上演時間は1回120分だが、最後の30分は新喜劇で、漫才は11組、その他漫才・新喜劇それぞれに前説が付く。前説は携帯電話を切れとか録音・撮影禁止、場内飲食禁止などのアナウンスだが、NHKの公開放送のような拍手の練習まであったのには驚く。
普通のコンビは5分だが、持ち時間10分の芸人が4組あった。笑い飯、平和ラッパ・梅乃ハッパ、吉田たち、キングコングだった。比較的年長のコンビだったが、年長ということは、芸能の世界で長く生き残っているということなので、実力があるということだろう。たしかに何か特色のある芸人たちだった。平和ラッパ・梅乃ハッパは74歳と64歳のコンビだが、たしかに加山雄三、ベンチャーズやフラメンコなどギターの演奏がうまかった。漫才ネタとしては背中にギターを乗せて弾いていた。「一芸に秀でる」とはよくいったものだ。吉田たちは、一卵性双生児で、それだけでもたしかにネタ話をたくさんつくることができる。子どものころの花一匁、遠足のお菓子やおかずを交換しても中身は同じ、ライバル意識などネタが無尽にありそうだった。笑い飯は、人気ラーメン店の行列に割り込んだヤクザを注意するシーンとガムのかみ捨てを注意するマナー・ネタだった。仕種で笑わせていた。キングコングは「森の熊さん」の輪唱だった。ただ同じことをあまり何度もやるとしつこいと感じた。
ベテランに共通しているのは、声がよく、かつよく通ること、仕草が洗練されていることだった。仕種のほうは、型が決まっているといってもよく、日本舞踊、歌舞伎など古典芸能全般、いやバレーなど芸術全般に通じる。
出番が5分の若手のほうも自分たちの強みを磨き、それぞれのやり方で客にアピールしていた。
さや香(男性2人)は上戸彩と麻婆豆腐との比較というネタで勝負していた、kento fukayaは絵がうまかった。ツートライブはヤクザ言葉がネタ、アキナは枕草子の一節を使っていたが少し難しかった。尼神インターは女性2人、ブスをからかうネタだったがあまり面白くなかった。あとでテレビで見た時のほうが印象がよかった。修学旅行の夜のバカな中学生と教師の会話のクロスバー直撃は、あとで考えるとなかなか秀逸なネタという感じがした。その他、どつき漫才やダジャレの漫才もあった。
ただ、人を5分笑わせることはなかなか難しい技だということがよくわかった。

よしもとヤング新喜劇はあの「ほんわか、ほんわか」というおなじみのテーマミュージックで始まる。調べると、20世紀初頭に作曲された「Somebody Stole My Gal」というデキシーの曲だそうだ。
関西のテレビ番組は、古くからスチャラカ社員(朝日放送)、番頭はんと丁稚どん(毎日放送)、てなもんや三度笠(朝日放送)などお笑いの伝統があった。土曜の昼下がりの吉本新喜劇はいまも毎日放送で続いている。植村花菜の「トイレの神様」にも「新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを泣いて責めたりも した」という歌詞があった。
この日の舞台は花月うどんといううどん屋、役者は若夫婦(信濃岳夫、森田まりこ)、その父(ダブルアートのしんべえ)、アルバイト店員(松浦真也)、5年も行方不明の兄(守谷日和)、2人のヤクザ(吉田裕、ダブルアートのタグ)、地上げの不動産屋2人(諸見里大介、川畑泰史)の9人
行方不明の兄がつくった借金の取り立てに来る2人組のヤクザ、店を売れと迫る不動産屋、勝負は、勝てば取り立て、負ければ帰るなぞなぞで行う。解答の解説を森田が行うというパターンで進行。途中で5年ぶりに兄が帰宅するが、父は怒っている。最後は父が兄を許し、ヤクザはガラス拭きのパントマイムをしながら去っていき、ハッピーエンドで終わる。
ダブルアートのしんべえは鼻に目や口が集合した顔そのものがネタ、諸見里大介は大きな体格とシャ・シ・シュ・シェ・ショの滑舌が特色だった。
分析的に書いているので、ちっとも楽しんでいないのではないかと思われるかもしれないが、そんなことはない。笑うところは大いに笑わせていただき、初笑いになった。回りの客も笑っていた。とくに子どもが大声で笑うのを聞くのは気持ちがよい。しかし正直言うと、やや退屈なコンビや少ししつこいと感じるものもあった。
もう2000円出して花月で中田カウス・ボタン、今くるよなど有名な人をみたほうがよかったかというと、微妙なところだ。

なんばの街はかなり大きく、しかも地下鉄、南海、近鉄、JRの駅の場所が、地下でつながっているとはいえバラバラだった。よしもとは南海や地下鉄の駅からは近い。
なんば花月のライバル、松竹・角座は北に300mくらい、歌舞伎・新劇・松竹新喜劇の大阪松竹座は400mくらいのところにある。国立文楽劇場も北東へ600mくらいのところにあるので、笑いだけでなく芸能の集積地域でもある。

花月から南西に700mくらいの場所に難波八坂神社がある。鳥居をくぐるといきなり巨大な獅子頭に出くわし面食らう。高さ12m、幅11m。奥行き10mもある獅子頭の形の建物で、本殿ではないが、舞台になっていて奉納舞が舞われるという。大阪らしい、冗談のような建物だ。
よしもとから1.2キロほど南には、「商売繁盛笹もってこい」の十日戎で有名な今宮戎神社がある。マークはニコニコ笑っている戎である。ちょうちんにもこのマークが入っている。いかにも笑の神のような神社だ。

また千日前の商店街は食べ物店がメインだが千日前道具屋筋商店街というものもあった。厨房用品、包丁、食品サンプルなどの専門店が並んでいた。

☆古典芸能といえば、はじめて謡曲を謡った。10年近く前に矢来能楽堂で一度「鵺」(ぬえ)の公演をみたことがあったが、謡うのは初めての体験だった。「高砂や この浦舟に帆を上げて」というかつては結婚式で謡われた有名な「高砂」である。一本調子のところはよいのだが、上げたり下げたり、伸ばしたりはなかなか難しいものだということがわかった。能楽協会専務理事の先生の謡を聞くと、浪曲のようなうなりも入っているし、ビブラートも付いている。
地声で腹から声を出すということはなんとなく知っていたが、とにかく大声で「ケンカしている」ような感じとまでは思わなかった。たしかに健康にはよさそうだった。
NHK朝ドラ「わろてんか」のモデルは、もちろん吉本興業・創業者の吉本せいである。
ドラマでの拠点劇場は「南都風鳥亭」だが、これはなんば花月のもじりであることに年末になって気付いた。花鳥風月なので、そんなことは関西の人ならすぐに勘が働いたかもしれない。
もうひとつ理由があった。昨年秋、薬研掘ではじめて講談を聞き、話芸というものもなかなかたいした「芸」のひとつだということに気がついたことだ。落語は以前、春風亭正朝一門の寄席を何度か聞いたことがあり、次ははじめて劇場で漫才をみてみようということにした。
初笑いのため、なんばに出かけた。といってもなんば花月は料金がちょっと高目なので、向かいのよしもと漫才劇場に入ってみた。漫才劇場はビルの5階にあるが、建物自体がちょっと変わっていて、1階から3階はドン・キホーテなんば千日前店、地下1階がNMB48劇場、8階には府立上方演芸資料館「ワッハ上方」が入っている。

花月は2階席もあり880席なのに比べれば335席とかなり小さい。しかし満席でかつ立見の人が50人ほどいた。ほとんど女性・子どもかと思ったが、そういでもなく男性や高齢者もバランスよくいた。上演時間は1回120分だが、最後の30分は新喜劇で、漫才は11組、その他漫才・新喜劇それぞれに前説が付く。前説は携帯電話を切れとか録音・撮影禁止、場内飲食禁止などのアナウンスだが、NHKの公開放送のような拍手の練習まであったのには驚く。
普通のコンビは5分だが、持ち時間10分の芸人が4組あった。笑い飯、平和ラッパ・梅乃ハッパ、吉田たち、キングコングだった。比較的年長のコンビだったが、年長ということは、芸能の世界で長く生き残っているということなので、実力があるということだろう。たしかに何か特色のある芸人たちだった。平和ラッパ・梅乃ハッパは74歳と64歳のコンビだが、たしかに加山雄三、ベンチャーズやフラメンコなどギターの演奏がうまかった。漫才ネタとしては背中にギターを乗せて弾いていた。「一芸に秀でる」とはよくいったものだ。吉田たちは、一卵性双生児で、それだけでもたしかにネタ話をたくさんつくることができる。子どものころの花一匁、遠足のお菓子やおかずを交換しても中身は同じ、ライバル意識などネタが無尽にありそうだった。笑い飯は、人気ラーメン店の行列に割り込んだヤクザを注意するシーンとガムのかみ捨てを注意するマナー・ネタだった。仕種で笑わせていた。キングコングは「森の熊さん」の輪唱だった。ただ同じことをあまり何度もやるとしつこいと感じた。
ベテランに共通しているのは、声がよく、かつよく通ること、仕草が洗練されていることだった。仕種のほうは、型が決まっているといってもよく、日本舞踊、歌舞伎など古典芸能全般、いやバレーなど芸術全般に通じる。
出番が5分の若手のほうも自分たちの強みを磨き、それぞれのやり方で客にアピールしていた。
さや香(男性2人)は上戸彩と麻婆豆腐との比較というネタで勝負していた、kento fukayaは絵がうまかった。ツートライブはヤクザ言葉がネタ、アキナは枕草子の一節を使っていたが少し難しかった。尼神インターは女性2人、ブスをからかうネタだったがあまり面白くなかった。あとでテレビで見た時のほうが印象がよかった。修学旅行の夜のバカな中学生と教師の会話のクロスバー直撃は、あとで考えるとなかなか秀逸なネタという感じがした。その他、どつき漫才やダジャレの漫才もあった。
ただ、人を5分笑わせることはなかなか難しい技だということがよくわかった。

よしもとヤング新喜劇はあの「ほんわか、ほんわか」というおなじみのテーマミュージックで始まる。調べると、20世紀初頭に作曲された「Somebody Stole My Gal」というデキシーの曲だそうだ。
関西のテレビ番組は、古くからスチャラカ社員(朝日放送)、番頭はんと丁稚どん(毎日放送)、てなもんや三度笠(朝日放送)などお笑いの伝統があった。土曜の昼下がりの吉本新喜劇はいまも毎日放送で続いている。植村花菜の「トイレの神様」にも「新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを泣いて責めたりも した」という歌詞があった。
この日の舞台は花月うどんといううどん屋、役者は若夫婦(信濃岳夫、森田まりこ)、その父(ダブルアートのしんべえ)、アルバイト店員(松浦真也)、5年も行方不明の兄(守谷日和)、2人のヤクザ(吉田裕、ダブルアートのタグ)、地上げの不動産屋2人(諸見里大介、川畑泰史)の9人
行方不明の兄がつくった借金の取り立てに来る2人組のヤクザ、店を売れと迫る不動産屋、勝負は、勝てば取り立て、負ければ帰るなぞなぞで行う。解答の解説を森田が行うというパターンで進行。途中で5年ぶりに兄が帰宅するが、父は怒っている。最後は父が兄を許し、ヤクザはガラス拭きのパントマイムをしながら去っていき、ハッピーエンドで終わる。
ダブルアートのしんべえは鼻に目や口が集合した顔そのものがネタ、諸見里大介は大きな体格とシャ・シ・シュ・シェ・ショの滑舌が特色だった。
分析的に書いているので、ちっとも楽しんでいないのではないかと思われるかもしれないが、そんなことはない。笑うところは大いに笑わせていただき、初笑いになった。回りの客も笑っていた。とくに子どもが大声で笑うのを聞くのは気持ちがよい。しかし正直言うと、やや退屈なコンビや少ししつこいと感じるものもあった。
もう2000円出して花月で中田カウス・ボタン、今くるよなど有名な人をみたほうがよかったかというと、微妙なところだ。

なんばの街はかなり大きく、しかも地下鉄、南海、近鉄、JRの駅の場所が、地下でつながっているとはいえバラバラだった。よしもとは南海や地下鉄の駅からは近い。
なんば花月のライバル、松竹・角座は北に300mくらい、歌舞伎・新劇・松竹新喜劇の大阪松竹座は400mくらいのところにある。国立文楽劇場も北東へ600mくらいのところにあるので、笑いだけでなく芸能の集積地域でもある。

花月から南西に700mくらいの場所に難波八坂神社がある。鳥居をくぐるといきなり巨大な獅子頭に出くわし面食らう。高さ12m、幅11m。奥行き10mもある獅子頭の形の建物で、本殿ではないが、舞台になっていて奉納舞が舞われるという。大阪らしい、冗談のような建物だ。
よしもとから1.2キロほど南には、「商売繁盛笹もってこい」の十日戎で有名な今宮戎神社がある。マークはニコニコ笑っている戎である。ちょうちんにもこのマークが入っている。いかにも笑の神のような神社だ。

また千日前の商店街は食べ物店がメインだが千日前道具屋筋商店街というものもあった。厨房用品、包丁、食品サンプルなどの専門店が並んでいた。

☆古典芸能といえば、はじめて謡曲を謡った。10年近く前に矢来能楽堂で一度「鵺」(ぬえ)の公演をみたことがあったが、謡うのは初めての体験だった。「高砂や この浦舟に帆を上げて」というかつては結婚式で謡われた有名な「高砂」である。一本調子のところはよいのだが、上げたり下げたり、伸ばしたりはなかなか難しいものだということがわかった。能楽協会専務理事の先生の謡を聞くと、浪曲のようなうなりも入っているし、ビブラートも付いている。
地声で腹から声を出すということはなんとなく知っていたが、とにかく大声で「ケンカしている」ような感じとまでは思わなかった。たしかに健康にはよさそうだった。