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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

NODA・MAPの「足跡姫」

2017年04月01日 | 観劇など
NODA・MAP第21回公演「足跡姫――時代錯誤冬幽霊(ときあやまってふゆのゆうれい)」を池袋の東京芸術劇場プレイハウスで観た。江戸時代の阿国(おくに)歌舞伎をモチーフにした作品だ。

私が野田秀樹の芝居を初めて観たのは1975年秋、東大劇研時代の「一本丸太助」、昔の演劇パンフを引っ張り出すと、次は劇団夢の遊眠社4回公演「つっぱれ!おじょうず2万7千光年の旅」(77年6月)だったようだ。もう40年も前で野田がまだ20歳のころだ。NODA・MAP第1回公演「キル」(94年1月)も観た。「MIWA」「エッグ」は抽選漏れで観られなかったが、「パンドラの鐘」(99年)、「贋作 桜の森の満開の下」(01年)、「透明人間の蒸気」(04年)、「ロープ」(06年)、「キル」(07年)、「ザ・キャラクター」(10年)、「逆鱗」(16年)は観ている。
この芝居には、野田の芝居のシナリオのエッセンスがたくさん含まれている。
「サルワカが掘る穴の向こうは地球の裏側、じつは舞台のすっぽん(注 花道にある小型の切り穴で、床が昇降する)」という設定、これは「走れメルス」(76年)の向こう岸とこちら岸をつなぐ鳴門海峡や婦人用便所、「赤穂浪士」(80年)に出てきた地下鉄・弥生町とセトウチの弥生町を結ぶ蝶ヶ原林道の抜け道、「ゼンダ城の虜」(81年)の13世紀のマルセイユと20世紀の東武練馬をつなぐ竪穴式住居のように、扉の向こうやトンネルの向こうは「アナザー・ワールド」という設定と同じだ。もっとも21世紀のいまでは、アベ・シンゾーがマリオの恰好をして地球の裏からリオのオリンピック・スタジアムに飛び出す時代になったが・・・。
野田の芝居につきものの「お願いたてまつり~、クリスマスツリ~」(p21 以下のページ数は「新潮」2017年3月号のページ数)、(p48では)「お願いたてまつり~、スカイツリー」「ガッツが、ぐわあっと叫んでいる」(p33)など、言葉遊びというか洒落も随所に登場する。いつもより多すぎるくらいだ。また逆から読んでも同じ「変わるさ」「サルワカ」のような回文や「大衆」と「体臭」のような同音異義語もたくさん出てくる。「売れない幽霊小説家」は「う」と「れ」の文字をなくせという暗号なので、なくすと「ゆいしょうせつ、か」つまり「由比正雪か」というパズルのような言葉遊びも、野田の芝居の特徴のひとつだ。

またこの芝居は、野田自身の芝居に対する「思い」があふれる作品だ。
「しっくりこない、この終わり方」「この筋の裏には、何が隠されているの?」(p45)、「リアリテイがないんだ!わかるか?お前たちの芝居には」「それだよ、ありてい、りありていだよ」「理にかなった、理のある体。理在り体だ。嘘があってはダメだ」(p52)というセリフもある。
ラスト近くには「お前はまだ、何も創っていない」「よし、だったら、姉さんが大好きだった起死回生の「筋」を、どんでん返しを作ってみせる」(p81)というセリフも登場する。
「やめて。台本もできていないのに数独に逃げている作家みたいな真似」(p36)、「スタニスラフスキー『俳優修業』より。みたいなことを言ってみても、演技論なんてこんな時、何の役にも立たないじゃないか」(p54)、「いくぞ、ローゼンクランツ、ギルデンスターン」(p63)というセリフまで出てくる。
野田の「芝居への思い」とはどういうものなのかは、結局あまりよくわからなかった。「面白くなくてはいけない、しかしただ面白いだけでもいけない、劇作家はなかなか大変なんだよ」というようなことかもしれない。井上ひさしも晩年に近いころチェーホフをモチーフにした「ロマンス」(2007)という作を書いたが、長く戯曲を書いていると演劇あるいは劇作家についてぜひ書きたくなるものなのかもしれない。
もう一度シナリオを読み返すと、姉さんの肉体は滅びても姉さんのひたむきは(芝居のなかで)生き返るとあり「演劇は永遠だ」という話なのかもしれない。それよりは、幕が引かれさえすれば、幕の後ろで、姉さんはケロッと起き上がる。「舞台にあるのは、ニセモノばかり~、本当の「死」なんてありゃしない。」(p44)のほうが演劇の可能性がより広がって面白そうなのだが・・・。
もちろん、2012年に亡くなった野田と同い年の盟友・十八代目 中村勘三郎へのオマージュであることは明らかだ。本人がチラシに「作品は、中村勘三郎へのオマージュです」と自筆で書いているのだから。シナリオのラストはサルワカが江戸中橋広小路(現在の京橋)に猿若座(のちの中村座)をつくり初代の猿若勘三郎となり、猿若が死んでも消えることなく少なくとも一八代(つまり勘三郎)までは次々と現れる。「あの無垢の板で出来た花道の先、大向こうで、ひたむきな心は、生き返る」(p81)のである。
残念ながらわたくしは「野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ」はみていない。当時観た方と居酒屋で出会い「意外によかった」とおっしゃっていた記憶がある。舞台には花道がついていたし、歌舞伎のように派手な色と大胆なデザインの衣装を使っていた。

役者では古田新太がうまかった。セリフと演技のバランスがとれていて、一番笑いをとっていた。コント役者ともいえるレベルだった。また「真剣」を振り回すチャンバラ・シーンがあったがかなりの出来で感心した。古田は楽屋でも役者のリーダー役だったようだ。公演パンフレットに「この間りえちゃんが、野田さんが出した動きの指示に対して『そっちへ行く動機が分からない』って言うから、オイラが『とりあえず遠い目をしろ。そうすれば、どこにだって行ける』って言ったんですよ。その時も稽古場に衝撃が走ってたな。のぶえちゃんなんて、金言のように台本の裏表紙に書いてたし」(笑)
また中村扇雀(3代目)の発声が非常によかった。当然かもしれないが所作や所作や身のこなしもきれいだった。発声といえば、総体として役者の発声、滑舌がよかった。遊眠社の時代には、役者の発声が悪いのが最大の欠点だったが、いつのまにか野田自身の発声までよくなっていることに気付いた。
宮沢りえは、阿国の役なので踊りのシーンがたくさんあるが上手だった。公演パンフに、昨年10月「影向」の公演を野田が観て「ダンサーデビューじゃん」とほめてくれたのがこの作品に反映しているのかもしれない、という言葉があるがなるほどそうかもしれない。
スタッフでは、まず照明、ラストの桜吹雪に部分的にスポットが当たりハラハラ散る桜の花びらは見事だった。さすがあかり組・服部基。音響(zAk)かサウンドデザイン(原摩利彦)かどちらの主導かわからないが、大太鼓の迫力、そしてテーマ音楽として使われた「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲も効果的だった。
ラストの盛り上がりがもうひとつだと思ったのは、桜の花びらへの見事な照明と「カヴァレリア」の大音響が、妻夫木の演技に優ったからかもしれない。

NODA・MAPというと私には渋谷のシアターコクーンの印象が強いが、09年に野田が東京芸術劇場芸術監督に就任して以降は原則としてここなので、池袋のイメージがだいぶ強くなってきた。昨年は昼の部の観劇だったが、今年は夜19時開幕の部だった。女性が多いのはいつものことだが、男性で、ちらほらわたしのような年配の人がいてうれしかった。NODA・MAPのチケットはなかなか取りにくく、平日昼ならとりやすいかと思ったのだが、第一希望と第二希望の昼ははずれ、第三希望の夜のみ当たった。どうもよくわからない。
おそらく仕事のせいなのだろうが、開演30分後とか1時間後に入場した女性がいて、気の毒だった。なにしろ入場料だけで1万円なのだから。駒場のころは800円、「小指の思い出」(83年)でも2200円だからずいぶん立派になったものだ。
終演後、長いエスカレーターを降り屋外に出ても熱さが残る夜だった。
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