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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

3月11日の高校校門前ビラまきと反原発行動

2017年03月20日 | 日記
3月11日(土)、快晴だったが寒い朝、今年は、中央区の晴海総合高校の校門近くで卒業式校門前ビラまきを行った。
この高校は生徒数750人程度(今年の卒業生は234人)でそれほど大きくはなく、男子2割、女子8割という学校だ。ただ2016年度から1クラス増えたため、総合高校10校のなかでは一番大きい。
校舎の入口付近には塀も正門もないので、旗を掲揚するポールは少し離れたところにあった。

晴海総合高校の都旗、日の丸、校旗の掲揚ポール
今年の都教委包囲・首都圏ネットワークのビラの表面はいつもと同じく「誰にも立たない、歌わない自由があります」と2003年の10.23通達による強制への批判、戦争法と憲法改悪への批判、格差・貧困社会の批判が並ぶ。

チラシの裏面
裏面は、「次代をになうのは若い皆さんです。未来を決めるのは私たちみんなです」というキャッチで、安倍首相のトランプ詣でや日米同盟、福島原発事故の終わらない被害、都教委作成の「オリンピック・パラリンピック学習読本」や共謀罪との関係でのオリパラ問題、過労自殺・非正規雇用・多額な奨学金負担など問題山積の現代社会に対し「若者たちが政治に関心をもち(略)真実を見抜く力をもって未来を切り開いていきましょう」と呼びかけている。

生徒の受取はよくはなかった。路上でビラを受け取らないことが「世の中標準」になっているので仕方がないともいえる。とはいっても、手を振り「ノー・サンキュー」の仕種をしてくれたり「大丈夫です」と断ってくれるのはまだよく、当方が透明人間であるかのように無視して通過する生徒が多いことには驚かされる。それでもこちらが「お早うございます」と呼びかけ、返事してくれたり会釈してくれる生徒は2―3割いた。受け取ってくれるのはだいたいそういう生徒で、大半が女子だった(もっとも女子8割の学校だからだが)。
9時ごろからやってきた保護者は「ご卒業おめでとうございます」と声をかけると、7-8割受け取ってもらえた。この学校は卒業生が全員制服だったが、親も地味な感じがした。
高校生や保護者の顔をみていると、配布しているビラは、表現が固いように感じた。書き手の思いがあふれ、ずいぶん多くの論点を詰め込んでいるので、もっと減らし、文章もビジュアルも少し柔らかくしないと、世の中に合わず違和感を感じさせるようになってしまう。
たまに「わたしは違うんです」という人がいてそれでも校舎に入っていくので、あとで考えたのだが、この学校の校舎は首都大学東京の法科大学院と共用なので、大学院の職員や学生だったのかもしれない。そういえば、外人の人が「ください」と手を伸ばしてきた。アシスタント・ティーチャーかと思ったが、大学院の関係者だったのかもしれない。築地市場の署名運動のときもそうだったが、日本人よりも海外の人のほうが路上のビラや署名に抵抗が少ないように思える。
晴海総合高校は中央区で唯一の都立高校だ。私立を入れても日本橋女学館と2校しかない。向かいは中央区に4つしかない区立中学の1つ、晴海中学、その隣は月島三小、西側の隣は新月島公園で小学生たちが少年野球の練習をしていた。いわば文教地区だが、リバーサイドの高層マンション群やオフィス棟がみえる地域だ。
中央区の人口が最大だったのは1953年で17万人、徐々に減ってボトムが97年の7万人、そこから反転に転じ16年に2倍の14万人、今年1月には55年ぶりに15万人になった。2010年の国勢調査で5年間の人口増加率が全国2位(1位は三重県朝日町)、15年には5位(1位は千代田区)なので、おそらくここ10年で最も人口増加率の高い自治体なのではないかと考えられる。また増えているのが30代、40代なので、当然子どもの数は多くなる。乳幼児をたくさん見かけるし、高校生も増えているのではないかと思う。

左端が校舎、近隣に超高層のオフィルビルやマンションが立ち並ぶ
今年の3.11はたまたま土曜日だった(まあ、曜日は6年に1度巡ってくるのだが)。朝ビラまきをしたあと、反原発行動に3つも参加した。
まず、「原発事故隠蔽・責任放棄の3・11 「天皇・皇族出席の追悼式典」反対!一斉黙祷反対!核・原発を止めよう!」(主催:3.11行動実行委員会)日比谷公園から出発し経産省、関西電力東京支社、東電申し入れ、銀座を経て築地のデモ。14時46分は、ちょうど東電前にいた。スタートの日比谷公園や内幸町交差点付近で右翼の騒音がうるさかった。

待ち構える右翼の日の丸
次に東電本店合同抗議 (呼びかけ:経産省前テントひろばたんぽぽ舎)。これは42回となっているので2013年ごろから毎月やっている。わたくしは時々しか参加していない。和太鼓や合唱もありにぎやかだ。避難住宅に住む福島被災者の方の悲惨な話を聞いた。また昨年から大阪に転居した園良太さんの鋭いメッセージも聞けた。大阪で「Go West Come West!!! 3.11関東からの避難者たち」というグループを結成したそうだ。

最後に「0311反原発!国会前大集会+首相官邸前抗議」(主催:首都圏反原発連合
わたくしは官邸前のほうに参加、これは毎週金曜に同じ場所でやっている。わたくしは原則として月1回参加している。小太鼓の少年を数か月ぶりに見かけた。
他の月と同じようにシュプレヒコールを上げた。ただ人数はいつもの2-3倍いるので、声の迫力が違った。

首相官邸前抗議
思い起こすと6年前の3月11日(金)、放射能の被災は数日後だったのでその時点では地震と津波が問題だった。土曜の校門前ビラ撒きが決まっていたので、無理して徒歩で自宅に向かった(幸い途中で地下鉄が動き始めた)。土曜の朝、校門前に行ってはじめて式が延期になったことを知った。それで翌日曜日、違う高校でビラまきをした。
しかしわたくしは一番恵まれていたほうで、一緒に撒く予定をしていた一人は千葉から徒歩で自宅をめざし、もう一人は勤務先の私立学校で生徒の世話をするため泊まり込みとなった。
あのときの卒業生はもう24歳だ。ブラック企業で苦しんでいたり、多額の奨学金「ローン」を背負っていないとよいのだが。
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