8月28日(土)酷暑の午後3時、新宿で8.28都教委包囲行動が実行された(主催:都教委包囲首都圏ネットワーク 参加150人)。この日も34度の猛暑だった。表が青地に「石原やめろ」、裏が赤地に「日の丸強制反対」と書かれたウチワが参加者に配布され、みんな手に手に風を送っていた。
夏の終わりの都教委包囲デモは2003年の10・23通達以来今回で7回目になる。平日午後のことが多く、わたくしが参加するのは数年ぶりのことだ。
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今回のデモコースは、はじめて新宿通りの繁華街を通るコースだった。西口・柏木公園を出発し、新宿西口大ガードを越え靖国通りを北上して右折、紀伊国屋に出る通りを左折しいよいよ人通りの多い新宿通りに入る。外人観光客が多い場所なので、デモを背景にパフォーマンスしながら記念写真を撮ってもらっている人もいた。マツモトキヨシの店員がメガフォンで客の呼び込みをやっていたが、わたしたちは、それより大きな声でシュプレヒコールを繰り返した。
「『日の丸・君が代』の強制反対!」
「10・23通達を撤回しろ!」
「愛国心の押しつけを許さないぞ」
「歴史の偽造を許さないぞ」
「強権的石原教育行政反対」
「教職員は闘うぞ」「市民、労働者、学生は団結して闘うぞ」
わたしには言いやすいフレーズばかりだった。
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伊勢丹を右折し、明治通りから甲州街道に出て西へ向かう。ちょうど跨線橋の架け替え工事で車線が狭くなり歩道と距離があいていたので、残念ながら通行人に声は届かなかった。サザンテラスへの歩道橋に上り写真を撮っていると、隣の女性もカメラを向けていた。なんと「警視庁」の腕章をつけた女性の公安だった。新宿駅南口を越え都庁のところで右折し、やっとゴールの多目的広場に到着した。炎天下で歩いた時間は1時間弱、熱中症の危険を感じるほどのデモだった。そこで、塩アメを配っている人もいた。ちょうど都庁の高層ビルがきれいに見える広場だったので、庁舎に向かい、こぶしを振り上げ最後のシュプレヒコールを上げた。
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その後第二庁舎前に集合し、歩道でミニ集会を開催した。
君が代強制解雇裁判を共にすすめる会、予防訴訟をすすめる会、板橋高校・藤田先生を応援する会など、裁判闘争を継続しているグループを中心に15人の方からスピーチがあった。すでに最高裁までコマを進めているグループもいくつかある。
うれしい勝訴判決の報告が2つあった
ひとつは、東京地裁での「業績評価裁判」勝訴判決である。これは、04年度の人事評価で5段階の下から二番目のC評価を受け、昇給が先延ばしされたのは不当だと世田谷区の教員が都教委を訴えた裁判である。5月13日の判決でC評価は事実に基づかないと断定し、都人事委員会の判定を取消し、裁量権濫用で13万8584円の損害賠償を言い渡した。9月27日から控訴審が始まるが、都教委の控訴理由書はまだ出ていない。業績評価で裁判を起こした人は、岩手、埼玉、広島、静岡、山口など全国各地で13件に上る。
もうひとつは、公務災害認定請求書握りつぶしは不当だと都教委を訴えた、文京7中の元教員の裁判である。わずか3日前の8月25日の判決で、校長室のロッカーに原告の請求書が長年「保管」されていたのは「不作為による義務違反」とし、50万円の損害賠償を命じた。Hさんが頚肩腕障害を発病して30年、腕が痛くて子どもも抱けず、眠れず、箸すら持てなくなった。公務災害認定を請求したのが87年なのですでに24年に近い。解雇されてからでも17年半にもなる長い闘争の結果だ。いまHさんは石原都知事に宛てて、謝罪と速やかな50万円の支払い、控訴断念の3つを要請している。
その他、対石原都知事という意味で、和田中夜スペ裁判、豊洲土壌コアサンプル廃棄差し止め訴訟と豊洲汚染地購入の公金支出金返還請求訴訟を提訴した築地市場移転反対の2つのグループのスピーチがあった。
東京以外では、宮城、石川、兵庫、大阪、三重の6人の方から各地の闘いのスピーチがあった。三重の方は、高校無償化朝鮮学校除外の首謀者、地元選出衆議院議員・中井洽をのさばらしてはいけないと訴えた。ただし、じつは三重県教組自体が総選挙で中井を推薦したそうだ。
2008年3月大阪の門真市立第三中学校で教員と多くの卒業生が君が代不起立を決行した。これに対し産経新聞と週刊新潮がキャンペーンをはり 09年2月大阪府教委は、校長を含む2人に文書戒告、7人に厳重注意処分を発令した。これは教員個人の処分ではなく、学校全体の懲戒を意味し、かつての国立二小、七生養護に匹敵する「事件」である。09年11月文書戒告を受けた教員が大阪府と門真市を相手取り大阪地裁に提訴し、9月22日に次回口頭弁論が行われる。
最後に、86歳の益永スミコさんが「わたしは自分自身の良心に従うという考えでやっている。自由を勝ち取るには一人ひとりが闘うしかない、いっしょに闘い続けよう」とアピールした。
最後に「被処分者と連帯しつつ、石原都政下の都教委を糾弾し、都の教育行政の民主化を強く求め、さらに改悪教育基本法の実働化を阻止していこう」との集会決議を採択し、第二庁舎の都教委に向けて、ふたたび「『日の丸・君が代』強制反対!」「10・23通達を撤回しろ!」とシュプレヒコールを上げた。
益永さんは元教員ではない。考えてみると参加者の半分近くは教職員以外の一般市民である。都教委包囲新宿行動も7回目となり多くの市民の参加と協力を得られるようになったのは喜ばしいことである。
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☆ジョニーHさんがギターの弾き語りで「東京音頭」の替え歌「東京怨頭」(とうきょううぉんど)を披露した。「傑作」なので頭の2番の歌詞を紹介する。
ハァーおどろおどろしや チョイト東京の知事はヨイヨイ
私腹肥やして、私腹肥やして満腹で
立ち上がれずヨイヨイヨイ、立ち上がれずヨイヨイヨイ
オットチャンもオッカチャンも、元気だして、元気だして・
ハァーおどしおどして チョイト君が代歌わせるヨイヨイ
大の大人の、大の大人のやることか
立たなくて良い良い良い、歌わなくて良い良い良い
(以下省略 8番まである)
夏の終わりの都教委包囲デモは2003年の10・23通達以来今回で7回目になる。平日午後のことが多く、わたくしが参加するのは数年ぶりのことだ。
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今回のデモコースは、はじめて新宿通りの繁華街を通るコースだった。西口・柏木公園を出発し、新宿西口大ガードを越え靖国通りを北上して右折、紀伊国屋に出る通りを左折しいよいよ人通りの多い新宿通りに入る。外人観光客が多い場所なので、デモを背景にパフォーマンスしながら記念写真を撮ってもらっている人もいた。マツモトキヨシの店員がメガフォンで客の呼び込みをやっていたが、わたしたちは、それより大きな声でシュプレヒコールを繰り返した。
「『日の丸・君が代』の強制反対!」
「10・23通達を撤回しろ!」
「愛国心の押しつけを許さないぞ」
「歴史の偽造を許さないぞ」
「強権的石原教育行政反対」
「教職員は闘うぞ」「市民、労働者、学生は団結して闘うぞ」
わたしには言いやすいフレーズばかりだった。
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伊勢丹を右折し、明治通りから甲州街道に出て西へ向かう。ちょうど跨線橋の架け替え工事で車線が狭くなり歩道と距離があいていたので、残念ながら通行人に声は届かなかった。サザンテラスへの歩道橋に上り写真を撮っていると、隣の女性もカメラを向けていた。なんと「警視庁」の腕章をつけた女性の公安だった。新宿駅南口を越え都庁のところで右折し、やっとゴールの多目的広場に到着した。炎天下で歩いた時間は1時間弱、熱中症の危険を感じるほどのデモだった。そこで、塩アメを配っている人もいた。ちょうど都庁の高層ビルがきれいに見える広場だったので、庁舎に向かい、こぶしを振り上げ最後のシュプレヒコールを上げた。
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その後第二庁舎前に集合し、歩道でミニ集会を開催した。
君が代強制解雇裁判を共にすすめる会、予防訴訟をすすめる会、板橋高校・藤田先生を応援する会など、裁判闘争を継続しているグループを中心に15人の方からスピーチがあった。すでに最高裁までコマを進めているグループもいくつかある。
うれしい勝訴判決の報告が2つあった
ひとつは、東京地裁での「業績評価裁判」勝訴判決である。これは、04年度の人事評価で5段階の下から二番目のC評価を受け、昇給が先延ばしされたのは不当だと世田谷区の教員が都教委を訴えた裁判である。5月13日の判決でC評価は事実に基づかないと断定し、都人事委員会の判定を取消し、裁量権濫用で13万8584円の損害賠償を言い渡した。9月27日から控訴審が始まるが、都教委の控訴理由書はまだ出ていない。業績評価で裁判を起こした人は、岩手、埼玉、広島、静岡、山口など全国各地で13件に上る。
もうひとつは、公務災害認定請求書握りつぶしは不当だと都教委を訴えた、文京7中の元教員の裁判である。わずか3日前の8月25日の判決で、校長室のロッカーに原告の請求書が長年「保管」されていたのは「不作為による義務違反」とし、50万円の損害賠償を命じた。Hさんが頚肩腕障害を発病して30年、腕が痛くて子どもも抱けず、眠れず、箸すら持てなくなった。公務災害認定を請求したのが87年なのですでに24年に近い。解雇されてからでも17年半にもなる長い闘争の結果だ。いまHさんは石原都知事に宛てて、謝罪と速やかな50万円の支払い、控訴断念の3つを要請している。
その他、対石原都知事という意味で、和田中夜スペ裁判、豊洲土壌コアサンプル廃棄差し止め訴訟と豊洲汚染地購入の公金支出金返還請求訴訟を提訴した築地市場移転反対の2つのグループのスピーチがあった。
東京以外では、宮城、石川、兵庫、大阪、三重の6人の方から各地の闘いのスピーチがあった。三重の方は、高校無償化朝鮮学校除外の首謀者、地元選出衆議院議員・中井洽をのさばらしてはいけないと訴えた。ただし、じつは三重県教組自体が総選挙で中井を推薦したそうだ。
2008年3月大阪の門真市立第三中学校で教員と多くの卒業生が君が代不起立を決行した。これに対し産経新聞と週刊新潮がキャンペーンをはり 09年2月大阪府教委は、校長を含む2人に文書戒告、7人に厳重注意処分を発令した。これは教員個人の処分ではなく、学校全体の懲戒を意味し、かつての国立二小、七生養護に匹敵する「事件」である。09年11月文書戒告を受けた教員が大阪府と門真市を相手取り大阪地裁に提訴し、9月22日に次回口頭弁論が行われる。
最後に、86歳の益永スミコさんが「わたしは自分自身の良心に従うという考えでやっている。自由を勝ち取るには一人ひとりが闘うしかない、いっしょに闘い続けよう」とアピールした。
最後に「被処分者と連帯しつつ、石原都政下の都教委を糾弾し、都の教育行政の民主化を強く求め、さらに改悪教育基本法の実働化を阻止していこう」との集会決議を採択し、第二庁舎の都教委に向けて、ふたたび「『日の丸・君が代』強制反対!」「10・23通達を撤回しろ!」とシュプレヒコールを上げた。
益永さんは元教員ではない。考えてみると参加者の半分近くは教職員以外の一般市民である。都教委包囲新宿行動も7回目となり多くの市民の参加と協力を得られるようになったのは喜ばしいことである。
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☆ジョニーHさんがギターの弾き語りで「東京音頭」の替え歌「東京怨頭」(とうきょううぉんど)を披露した。「傑作」なので頭の2番の歌詞を紹介する。
ハァーおどろおどろしや チョイト東京の知事はヨイヨイ
私腹肥やして、私腹肥やして満腹で
立ち上がれずヨイヨイヨイ、立ち上がれずヨイヨイヨイ
オットチャンもオッカチャンも、元気だして、元気だして・
ハァーおどしおどして チョイト君が代歌わせるヨイヨイ
大の大人の、大の大人のやることか
立たなくて良い良い良い、歌わなくて良い良い良い
(以下省略 8番まである)