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植民地主義、分断と連帯を考える朝鮮独立運動106周年東京集会2025

2025年03月08日 | 集会報告

今年は、南北分断を日本政府の側から固定化した日韓条約から60年の年だ。わたしは気づかなかったが日本が朝鮮を保護国化した第二次日韓協約から120年(韓国併合の5年前)の年でもある。一方昨年12月3日、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が突然、非常戒厳を宣言したが6時間後に国会で解除が可決、逮捕・起訴と進み、3月中頃弾劾裁判の判決が出る見通しになっている。
そうしたなか、今年も「3.1朝鮮独立運動106周年集会」が、2月27日(木)夜、文京区民センターで開催された(主催:「3.1朝鮮独立運動」日本ネットワーク(旧100周年キャンベーン) 参加150人)

今年のメイン講演は吉澤文寿さんの1965年の日韓条約に関するものだった。それだけでなく1965年から60年前の第二次日韓協約、60年後の現在の日本の朝鮮への植民地支配責任、さらに植民地支配を巡る社会運動、そして分断から連帯へと視野の広いお話だった。
吉澤さんの講演は2020年のこの集会で「東アジアの共有財産としての韓国大法院「徴用工裁判判決」」をお聞きし「被害者中心アプローチ」を強調されていたことが印象に残っている。
吉澤さんの講演は、いま分断の時代といわれるが、「分断」およびその克服の話から始まった。なお吉澤さんが「朝鮮」という場合、韓国と共和国を含むコリアを意味するとの説明があった。

何に抗い、何を守り、育てるのか――乙巳(1905/1965/2025)年に日朝・日韓関係を考える

       吉澤文寿さん(新潟国際情報大学教授)
いま分断の時代といわれる。同じ社会運動をしている人の間でも、「沖縄に基地が集中しているのは日本の植民地主義の問題だ」「本土にも基地を移設すべき」というと、賛否が交錯する。植民地支配の問題はわたしたちにクサビ(楔)を打ち込む目印にもなりうる。
グローバルな視点でみても、アメリカでも、韓国でも、日本でもヨーロッパでも、自分たちの世界でモノを言い合っているような「分断」がある。これを克服したいと考え、問題提起する。
1 1905(乙巳(ウルサ いつし))年の日本の社会運動と朝鮮
近代日本の出発点は、幕藩体制の崩壊と明治政府の誕生だ。そのころからヤウンモシリ(アイヌ語の北海道)の開拓、琉球「強占」、朝鮮では江華島事件、征韓論から脱亜論、大阪事件という植民地主義の流れがあった。日清・日露戦争というが、舞台は朝鮮だった。そうしたなか東学が虐殺されたり、明成皇后(閔妃)が暗殺された。
日露戦争中の第一次日韓協約(1904)で財務顧問、外交顧問を置き、顧問のいうことを聞かないと国家財政を執行できないようになり、主権侵害が始まった
1905年に第二次日韓協約が締結され合法的に保護国とされ、第三次協約(1907年)で高宗を強制退位、軍隊を解散させ、その後、韓国併合条約、天皇による韓国併合詔書発布に至る。
朝鮮植民地化の本質は「国家主権の簒奪」であり、その方法の強制性、不法性である。隣国の国家主権を不法に簒奪したところを認識の基礎に置くべきである。
当時、日本の民衆は日露戦争勝利で提灯行列をする一方、政治への反発から日比谷焼き討ち事件も起こした。戦争反対意識ができはじめるのもレイシズムにあたる意識もこのころ出てくる。関東大震災の朝鮮人虐殺が起こった1923年が起点ではない。
朝鮮では日本の侵略に対し義兵闘争などが繰り広げられてきた。反植民地主義としての民族運動である。日本では民族運動と呼ぶとしても、植民地主義を容認する民族運動だった。そこに日本と朝鮮とのコントラストが出てくる。
日本軍慰安婦、あるいは強制労働、軍人軍属、在韓被爆者など戦時・戦中期の朝鮮人被害の問題が非常に重視される。ただわたしは、朝鮮人にとっては自主的な決定権がない、日本帝国による支配だった、という点をもっと考えるべきではないかと考える。「巨大な監獄」としての植民地支配全体を問う論理が必要である。

2 1965(乙巳)年の日本の社会運動と朝鮮 
戦後の体制を考えたとき、朝鮮戦争の問題抜きには語れない。朝鮮戦争で分断が固定化されていくわけだが、それを日本が支えている。理念的でなく、いまも朝鮮戦争は休戦体制で、国連軍の後方司令部は日本にある。そうしたかたちで日本は分断体制の維持に関与していることが問題だ。
日本での朝鮮人連盟への弾圧、済州島4.3事件で共産主義者と目された人への弾圧、命からがら日本に逃げてきた人への阪神教育闘争での朝鮮学校への弾圧には、共産主義者に対する徹底的な弾圧が背景にある。これも植民地支配の結果起きたことだといえる。
日韓条約については、日韓会談反対運動の話をしたい。
いまの日本、アメリカ、韓国の三国関係をわたしは1965年体制と呼ぶ。その本質は植民地支配責任問題を不問のままにして三国関係を維持することだ。なぜ65年体制が共和国敵視の体制になるかというと、端的にいって植民地支配の責任を問うていないからだ。植民地支配の責任を問えば日本は南とも北とも連携しなければならないという話になる。その問題を問うていないからいまに至っている。
日韓条約に反対する運動は韓国でも日本でもあった。韓国では、朴正熙政権による植民地責任不問の屈辱外交に反対するという運動だった。植民地支配の問題を何もやらないことに対し、当時の韓国の人たちは反対運動をした。共和国政府も、植民地支配の問題を問わないこの条約は無効であるとの声明を発表した。
日本国内では、日本社会党、日本共産党を中心とする「革新勢力」がアメリカの戦争を支援する日韓軍事同盟反対、端的にいえばアメリカの戦争に日本がまきこまれることに反対する運動を起こした。ここからは、過去の植民地支配の責任を問うというロジックは出てこない。ただ一部、日本朝鮮研究所が植民地支配の問題を取り上げた。
朝鮮人による反植民地主義運動対日本人による反戦平和運動、これはやはり植民地主義を問わない平和運動といえると思う。
日韓条約が締結されたあと、在日朝鮮人の人権がクローズアップされた。現在の問題との関係で注目すべきは、在韓被爆者の裁判がひとつのきっかけになったことだ。裁判で日本政府が敗訴し、厚生省(当時)は「韓国の人は日本のなかでは被爆者健康手帳をもらえるが、日本の外に出ると無効」という覚書402号を出す。これは韓国でも問題になり、政府が日本と交渉し始めるきっかけになる。
日本政府は「日韓請求権協定で解決済み」という前提をもとに「人道的対応」を行おうという提案をする。人道的対応とは、たとえば韓国での原爆治療に当たる医師の育成を日本が手助けしようとか、韓国からの被爆者の受け入れを一定程度やるということだ。

3 2025(乙巳)年の日本の社会運動と朝鮮
韓国が民主化された90年代に至り、被害者の人たちに支援者が加わり運動が広がった。日本軍慰安婦問題では金学順さんの証言があり、「この問題はまだ終わっていない」ということをさかんに訴えた。これに対する日本政府のスタンスは「人道的対応」、つまり韓国の世論を好転させるための手段であり、日韓請求権協定で解決済み、義務ではないという姿勢で、一貫している。
こうした日本側の政治的対応により何が生まれたのか。被害者のなかで、日本側の対応を評価する人とやはりこれはダメだという人の分断が生まれた。日本がやっているのは、被害者・支援者が分断される要因をつくっているということだ。日本のメディアは「それは韓国のナショナリズムの問題でしょう」というほうへ持っていこうとする。
ただ、2018年の韓国大法院判決決定以降、植民地支配責任を根本的に問うというロジックが生まれ、現在に至っている。日本政府は「ありえない判決」ということで反発している。
終わりに
日本の社会運動には、「3.11」以降の脱原発運動、安保法制反対運動など力量を示す場面があった。一方で、植民地主義を巡る闘いは、朝鮮学校に対する無償化適用の問題やヘイト行為との対決の問題など、現在も続いていている。
そのときに「反植民地/反分断主義」で分断を克服するような連帯をたいせつに、「1965年体制」の民主主義的な克服ということが実践できればと思う。

2.8尹錫悦即刻退陣ソウル大行動に参加して

    菱山南帆子さん総がかり行動)
昨年12月3日の尹錫悦大統領の非常戒厳宣言の2日後、日本でも韓国民衆に連帯する声明を出し、2月5日に大規模な院内集会が開催された。菱山さんは8日にソウルの大行動で連帯スピーチし、デモの最前列で横断幕を持ち歩いた。
集会でこの大行動参加の報告をしたが、韓国のデモの特色は女性が多く、K-POPに合わせペンライト(アイドル応援棒)を振り、デモに参加できない人がカンパし、おでんやトッポギを無料で配布する「先払い」で応援する。まだ日本にはない新しいデモのかたちだ。菱山さんのスピーチからその部分を紹介する。

ニムのための行進曲」と「また巡り逢えた世界」をよく聞いた。
「また巡り逢えた世界」は少女時代というKポップグループの曲で、結構昔発表された曲だが、なぜデモの歌になっているのか。キャンドル革命のときに流れていたということがあるが、韓国の女子大の学生たちが新しい学部新設反対の闘争を学内でやっているときに1600人の警官に囲まれ、女の子たちが震えあがりながら腕を組んで歌ったのがこの「また巡り逢えた世界」だった。それが動画で広がり、このデモでも使い、みんなで大合唱する状況になっている。
キッチンカーがずらっと並び、おでんやトッポギ、コーヒー、お菓子などいろんなものが配られているが、全部タダ、「先払い文化」である。「わたしは行けないが、チャリティでカンパすることによって応援する」連帯の輪が広がりに広がっていて、すごく暖かい印象を受けた。
全世代の女性たちとおじさんが結集していて、おじさんたちが一生懸命楽しもうとしている姿はとてもほほえましいものがあった。
戒厳令が出たときに「あっ、いままで大人たちががんばってやってきた運動にはこういう意味があったんだ。いままでがんばってくれてありがとう」と、ジェネレーションギャップがなくなって全世代参加型の運動がつくれているという話を聞いた。
韓国ドラマを見るより、いまはニュースをみていたほうがずっと面白いと言っていた。韓国のみなさん、運動をすごく楽しんでいた。
民主主義と左派のイデオロギーとフェミニズムがしっかり結託していま新しい運動を巻き起こしている。それに一生懸命大人たちが柔軟に合わせていることに、わたしはすごく感動した。「運動はこうあるべきだ」ではなく「運動はどんどん変わっていきながらもやっていく」。
わたしたちも見習って、わたしたちの運動を楽しく、楽しめる運動をやっていきたい。悲壮感に打ちひしがれる運動でなく、いまを楽しむような運動を韓国を見習ってつくっていきたいと思った。

韓国オプティカルハイテック労組の闘争を支援する

          大畑龍次さん韓国オプティカルハイテック労組を支援する会
韓国オプティカルハイテックは、日東電工の韓国現地法人で100%出資子会社。2022年10月に発生した工場火災を理由に廃業を決定し、そこで働く労働者を解雇した。ただ生産設備は平澤にある韓国オプティカルに移設し、生産を継続している。設備だけでなく、労働者の雇用も継続しろと、現在7人の組合員が韓国オプティカルへの雇用継承を要求して闘っている。バックにいる全国金属19万人 民主労総120万人の労働者が全面的に支援している。
現在、工場の屋上で2人の女性組合員が高空籠城の長期ストを続けている。
2月7日に工場のある亀尾からソウルまで350㎞の距離を1ヵ月弱かけて歩く「てくてくウォーク」を実行し、日本のわたしたちも支援している。
また食い逃げ外資企業を追いつめるということで、大阪の本社へ韓国から遠征団が来日し交渉している。主戦場は韓国でなく、日本にある
わたしたちはこの闘争を支援している。

吉澤さんの講演は、時間の関係で後半の1965年以降、レジュメに比べずいぶん端折られておりもっとお聞きしたかったが、パースペクティブが幅広く、思わぬ視点に気づかされることが多かった。
菱山さんのスピーチは、集会・デモが高齢化し若い人がなかなか入ってこない昨今、今後の運動論として参考にできる方も多いと思う。
大畑さんのお話は、尾澤さんが闘う韓国サンケン電気の労使問題に並び、グローバル経済のなかでの日本企業の責任を追及する運動だ。

この日の集会全体(2時間3分)を、ユープランのこのサイトですべて視聴することができる。
☆3月10日から恒例の米韓合同演習フリーダムシールドが開催される。3月6日、アメリカ大使館(港区赤坂)近くで「米大使館行動」が実行され、わたしも参加したが、テーマは「米日韓軍事同盟反対! 米韓合同演習を中止せよ!(主催:資本主義を超える新しい時代を拓く反戦実行委員会)だった。
韓国からの中継で、今回の演習のポイントは、核への対応、中国との戦争、総動員の3点とのことで、まさに戦争前夜の大規模軍事訓練のように聞こえる。
行動が始まる直前、米韓合同射撃訓練に参加した韓国軍の戦闘機KF16が誤って8発の爆弾を軍事境界線に近い京畿道抱川市の民家に投下し、民間人15人が負傷したというニュースが飛び込んできた。
集会の初めと終わりに、米国大使館を目指し全員でシュプレヒコールの声をあげた。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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