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ヘッドホン beyerdynamic DT1770pro

2022年02月22日 | オーディオ

かなり久し振りですが、、久々のオーディオ  ネタです!!

私自身の年齢による 聴覚の衰え なのか、以前から気に入って使ってきたヘッドホンの音に”物足りなさ”を感じるようになってきました。

 そこで思い切って 新たなヘッドホンを入手しちゃいました

beyerdynamic ベイヤーダイナミック という独製メーカーの中級機種 DT 1770 PRO というヘッドホン

コチラの一番の特徴は『密閉型』ということです。見ての通りに、耳に被せるカップの部分が黒い樹脂系素材で完全に密閉されております。

 

 ◎  前から愛用しているヘッドホンがコチラ

何故だかコチラもドイツ製品(メーカーは独製ですが、製造は人件費の安い?のかなチェコスロバキア製)の AKG K712 ですが、こちらは『解放型』なんです。 見ての通り、耳を覆う部分がメッシュ状になっていて、いわゆるツツヌケですわ

以前なら吉祥寺のヨドバシカメラに頻繁に通い、国内製から外国製のお手頃価格帯から超高級機種まで各種ヘッドホンを試聴しまくり  好みの機種 を厳選できたのですが、、、

 ◎ 当時それにより厳選したのが  現用する AKG  k712なわけです。

 

ですがコロナ感染の影響もあり、梅田のヨドバシカメラに出掛けて各機種を試聴しまくるのも 遠慮するしかなく、ネット検索による情報のみで機種を決定してしまったわけです。

そんなわけですから実際に手にして試聴するまではドキドキでした~

   果たして、そのサウンドはどうだ??

AKG  k712で感じていた”物足りなさ”と云いますか、「線の細い感じ」はありません!

このDT1770では、k712の伸びやかな拡がりは無くなり  耳元で正確無比なサウンドが鳴り響くって感じ  ですかね・・・  相当 迫力のあるサウンドですわ

 

本当に細かなところまで正確に表現してくれます 正にスタジオモニターたる所以ですか  

正しい  たとえ  なのか判りませんが、その昔 高級オーディオショップで米国製高級スピーカー WilsonAudioSystem6(5だったかも?)を試聴した時にも感じた、あまりにも正確無比なサウンドって意外に面白くないなぁ~  というものです。

★ で、ここで新たな課題がムクムクと湧き出してまいりましたヨ

正確無比に再生してくれるから、なんと アンプの性能・特性までアラワにしちゃうわけです。

コレまでは特に気にすることなく昔から愛用している McIntosh  C34V の20Wモニターアンプのヘッドホン端子を利用してきたのですが、、 DT1770を鳴らすにはチト性能が悪い!! 残留ノイズが気になるし、スピード感が遅い気もするし、、

 

てなわけで、追加として、独立した専用ヘッドホンアンプを準備しようと考えてます。

コチラは、かれこれ20年位前にオーディオ セレクターを作製した残骸です。かなりGOLDMUNDのアンプを真似たデザインなのですが・・・

  な ぜ 残 骸 な の か 云 う と

当時はCDプレーヤが複数台あったりして、プリアンプを通さずにダイレクトにパワーアンプに接続してやろうと  こだわりのパーツ(カルダスのロジウムメッキやらセイデンのロータリSWとか)を厳選して作り上げたのですが、、 いざ出来上がって試聴すると全く期待外れの悲惨なサウンドになってしまい それっきり放置していたわけです。

どれほど期待をかけて作製したかと云うと、当時オーディオマニアには高嶺の花というか スイス製メーカーのGOLDMUNDという高級アンプがありまして

 中央に ひと際目を引くプレートエンブレム

わざわざ、そのエンブレムまでも真似したモノを京浜蒲田工業地帯の町工場で特注して作製したわけなんです!!

いやはや GOLDMUND ならぬ COLDMUND ですヨ~ 今でも涙があふれそーですわ

で今回は  この残骸になってたケースを使って新たに 専用ヘッドホンアンプ  を作製しようというわけです。

 ◎ 既に着々とパーツを買い集めておりまする!!

今回も使用するパーツには凝りに凝っておりまして、、、 楽しみです

では、では、、 

  果たして完成がいつになるやら??ですが・・・          

      続 き ま す !!

 


江戸の名工 左甚五郎 と チョイ 武蔵

2022年02月20日 | まち歩き

江戸時代に大活躍した 棟梁というか彫刻の ”左甚五郎” を御存知でしょうか?

ピンとこない方でも、日光東照宮の三猿像  の彫刻をした人と云えば、アッ、そうそう  と判っていただけるんじゃないか と思います。

ネット検索して数々の作品を眺めてみると、その精緻な彫刻に驚かされますネ!! 

アチコチのパーツをつなぎ合わせたわけでなく、一本の木から彫り出して  何とも見事な浮き彫りやら透かし彫りを施してあるわけです。

その左甚五郎が明石の出身だったことを知りました。 へぇ~ そうなんだー って感じなんですが、、、その関係からなのか、明石にもいくつか甚五郎作といわれる作品が残されている事が判ったので探訪してまいりました。

 

コチラは徒歩20分程にある国道2号線に面した立派な御社です。かなり由緒ある稲爪神社』です。で、情報によるとコチラの山門が  その甚五郎の作である  とのことです。

現在は国道側が目立つようになっておりますが、元々は海方向に向かって建立されているのが判りました。恐らくは元の山陽道は海沿いにあったのだろうと推測します。

で、コチラが その山門です。

し か し、、 山門そのものは端正な様子ではありますが、一見したところ  それほど凝った細工は見られません  ウ~ム 何処かに秘密が隠されているのか?と眺めまわしてみると

なるほど、なるほど、、 

山門の裏側というか内側にひっそりと彫刻が施されているわけなんですね

私のスマホが古くて内蔵カメラもボロくてズームも露出補正も効きませんので  うまく表現できてませんがコチラは スサノオノミコトがヤマタノオロチ(漢字はムツカシイのでカナ表記)を退治している像 との事です!!

下から見上げるだけなのでイマイチ細かなところまで見えませんが、かなり精緻な彫刻なのは判ります。左側にヤマタノオロチがいて右側のスサノオノミコトが剣を振り回して退治している図ですネ

 

さらにもうひとつの作品があるらしいので、別の神社まで足を延ばします。

コチラは明石川の河口にほど近い場所です。JR明石駅から徒歩15分くらいのところにある『無量光寺』です。

この近辺は、源氏物語にも登場する興味深い場所でもありましたので別の機会に紹介いたします。

 

既に山門の見方というか  甚五郎の彫り物の特徴が想定できましたので スンナリと見つける事ができましたわ

    少し路地の奥に位置するので表参道は細いですネ

で、早速にも山門の内側にまわってみると、、、

はっ、はっ~ なるほどネェ~ 

やはり露出のムツカシイ場面ではスマホカメラが役立たない感じですが、何となく見えますかねぇ、、、

コチラは物語仕立てではなくお花シリーズですネ

コチラの山門はアチコチに少し凝った彫り物が施されていて、なかなか見応えのある作品です!!  

もしかすると、もっ~と じっーくり 観察すると、ひょっとすると秘められた意匠を発見できるかも知れない  と思われました。一見地味ですが、奥深い感じあり!! オススメ

 

ココからは別件ですわ

剣豪  宮本武蔵 と云えば、どなたも御存知でしょ

    その武蔵が、庭園設計もしていた とは驚きです!!

先ほどの『無量光寺』のすぐそばにある、『円珠院』という寺院

コレが、剣豪  武蔵  がつくったと云われる枯山水庭園ですわ

誠に残念ながら、前回お手入れされてから時間が経ってしまっているのか  少し荒れている様子でした。

事前の勝手な想像では、すごく枯れた地味な色合いの庭園を思い描いておりましたら見事に裏切られた感じですネ~  枯山水と云いながら、色合いも美しくコンパクトに凝縮され、躍動感も感じられる若々しい庭園でした。

いやはや 明石には歴史探訪が楽しめる場所が多くて まだまだ楽しめそうですわ~


近所には ” 古墳 ” もあります~

2022年02月09日 | まち歩き

寒い季節ではありますが、晴れた日には近所を探索しております。

と云いますのは、兵庫県は全国でも有数の古墳がある地域であり、また神戸から明石にかけては多くの古墳が残されているからなんです

マズはウチから最も近い徒歩10分かからない場所にある古墳からです。

半年ほど前にコチラに引越す際、地図を眺めて「へぇ~ スグ近所に古墳があるのか・・」という感じで、気付いてはいたものの それ程  気にはしておりませんでした。しかし、何となく記憶に残っておりましたので、近所を歩く際には多少は気にはしておりましたが何故か発見することはありませんでした。

結局、恐らくですが、宅地開発の途中で古墳が発見されてしまい、潰すにつぶせない状況となり、丸形の古墳を取り囲むようにマンションが建ち並んでしまい 周囲からは見つからなかったわけでした。

看板の説明文にある通りなんですが、、 

何故作られた年代がそこまで明確なのかが不思議な気もします。宮内省の資料によると、その時期は  第30代 敏達天皇の時代だったみたいです

墓の頂上に上る階段が作られており、恐らくは石室が眺められるのだろうと期待満々で上がってみると、、、 何のことは無い ただの頂上になっておりましたわ~ 

  や や  ガックリ

 

で、ウチから もう少し離れて  徒歩15分ほどのところには、、

丘陵が途中でぶった切られた様な斜面の その脇に古墳の入口看板が見えます。

大歳山遺跡という、近畿地方の縄文時代前期を代表する遺跡です。コチラは少し前に紹介した「アカシゾウ」とか明石原人の発見者である直良博士により調査されたそうです。

現在は遺跡公園として整備されており、写真の左側に見えるのが古代人の竪穴式住居を復元したモノ(しかし予算が無い?のか、ほぼ朽ち果てております)です。その右脇に盛り上がって見えるのが前方後円墳の復元らしいです。

とにかく風光明媚と云いますか、とっても眺めの良い場所です!!

古代人が祖先を祭るために厳選した とっておきの場所だったのかも知れません。元々は、なだらかに続く丘陵地帯が長く伸びていたらしいのですが、近年の周辺の宅地化で丘陵が切り取られたわけで、その切取り部分が看板が立っていた  先程の急斜面になったようです。

 

三つ目は、探しながら歩いて1時間ほどかかりましたが、、、 

  電車ならば二駅でスグです。

コチラは 以前に電車の車窓から外の景色を眺めていたとき、そこだけ妙に開けていて また妙に明るい感じがする場所があり ”いったい何だろう?” と気になっておりました。たまたま兵庫だったか神戸だったかの地域新聞みたいなコミュニティ誌に記事が掲載されており、初めて 古墳なのだ と判明しました。

コチラは県内でも最大規模を誇る大古墳ですから、そばで見ると その巨大さに圧倒されますヨ~

五色塚古墳という名前で 4世紀後半から5世紀にかけて築かれたと云われてます。

個人的な印象というか感覚からすると、古墳の時代は人々は平和にのんびりと暮らしていた  な~んて安易に考えちゃいますが、、  どうやら、そうでもないらしいです!!

縄文土器に象徴される縄文時代は狩猟と採集をしながら移動生活が主だったらしいですが、、、

弥生時代になり、大陸&朝鮮からの文化(渡来人)が入ってくると 稲作が始まり定住生活になってくる そうすると出来高とかで貧富の差がでてくる だんだんと力を蓄える者が現れてきて、やがて豪族となってゆく  

すると地域の豪族どうしで領地拡大やら産物の取り合いやらで争いが始まり、次第に勢力を伸ばす豪族がでてきて広い地域を支配するようになる・・・ 歴史で習った『蘇我氏』とか豪族の誕生ですわ 

で、この五色塚古墳 いったい誰のお墓なのか? 

神戸市の文化財課の資料によると、明石海峡とその周辺を支配した豪族が葬られた と記述がありました。コレについて調べてみると、大倭直(オオヤマトノアタイ)という人物だったらしいのですが、別の説では、第14代 仲哀天皇の偽墓とも云われているようです。 宮内省の歴代天皇の墳墓紹介では、仲哀天皇のお墓は大阪の藤井寺にあると記述されております。だから偽墓なんでしょうが、何故ニセモノが必要だったのでしょうか? 

この時代には我が国には、まだ文字が無くて ハッキリしたことが判らない ようです。

県内最大というだけあって、かなりの急階段を登らなくてなりません!!

その当時には恐らく ”しきたり” があって?なのか、古墳は埴輪で埋め尽くされております。もっとも現状は往時の復元なのですが、、、

いや~ コチラも たいへん 眺めの良い場所です。

で、ふと思ったのが、 この前方後円墳の方向なのです。勝手な推測なんですが、淡路島のどこかを目指しているんじゃないかと思います。古事記を辿ると、淡路島そのものが日本の始まり(イザナギ・イザナミ)にも深く関わっているわけなので、漠然と淡路島に向いているのじゃなく  島の何処かに向いているんじゃないか  と、ロマンを感じております。

古墳を調べるうちに、古事記にも及んでしまい  子供の頃、学生時代には全く興味の無かった歴史(日本史 特に古代史)が物凄く面白くなってきました~  

あいまいで  諸説ある  のも、余計に興味が深まる感じです