◎神を知らない段階でのアストラル体の漏出は危険
(2010-06-07)
アストラル・トリップと中心太陽突入とは全く異なるもので、昨今世間で話題の体外離脱はほとんどがアストラル・トリップのことである。そして人間の根本的救済、あるいは苦悩からの超脱は、アストラル・トリップにはなく、中心太陽への突入の側にしかない。
そもそも肉体レベル(物質レベル)には無数の銀河、宇宙があり、エーテル体レベルにもおそらくは無数の宇宙があり、またアストラル体レベルにも無数の宇宙があるのだろうから、たとえばポイント50やエリア70を探検したからといって、それは実に膨大な宇宙の中の極く一部を垣間見たに過ぎないのだと思う。
出口王仁三郎の雑誌神霊界の中に鎮魂御伝という文章があり、和歌に見えるアストラル・トリップを特集している。鎮魂とは、瞑目静座し、一心不乱に、一切の妄想なり感覚を蕩尽して、身体外の玉に向ってわが霊魂を集中すること。
細流抄に、「魂の出ぬるを結び止むる事あればなり 結びとどめよ」とは、浮かれる心を本心に返しなさいとのことであると王仁三郎のコメントがあるので、アストラル・トリップで霊線につながって飛び出しているアストラル体を(改めて)しっかりつなぎ止めなさいということ(へそから出るケースは当時から目撃されていたのだろう)ではなく、一心不乱に行に集中しなさいと戒めている意味なのだろう。
今はテレビゲーム、モバイルゲームに熱中する人がアストラル体が出るというが、昔は激しい恋愛でアストラル体がしばしば漏出したのだろうか。
トランスに入れば、意識より無意識が優勢になり、臍に穴が開いてアストラル体が遊離することがあるのだろう。だが、神を知らない段階でのアストラル体の漏出は、意図せざる霊能力の開顕ということになり、百害あって一利ないものである。
たまむすび
思ひあまり出にし玉の有(しる)ならむ 夜深く見えば玉むすびせよ
(伊勢物語 下)
もの思ふ人の魂は、げにあこがるる物になん有りけると、なつかしげにいひて
なげきわび貌(そら)にみだるゝわがたまを むすびとゞめよしたがひのつま
(源氏物語 葵)
※あこがるる:ふらふらと出歩く。
※したがひのつまとは、着物の下前の褄だから、臍下丹田=スワジスターナ・チャクラのことを指すと見る。
魂ひも あこかるるとは誠にぞ いまはうつし心も無き心地して
あくがるゝわがたましひも復(かへ)りなん おもふあたりにむすびとゞめば
玉しひのかよふあたりにあらずとも むすびやせまししだへのつま
(狭衣物語)
見人魂歌
たまは見つ 主は誰ともしらねども 結びとゞめよしたがひのつま
(袋草子 四)
物おもへば 沢のほたるも我身より あくかれ出る魂かとぞ見る
(後拾遺集の和泉式部)
古代日本の人は、自我の殻が薄く、ちょっとした情動の高まりでトランスに入り、肉体からアストラル体が出てしまうことがままあったのだろう。源氏物語の六条御息所の生霊もそういうことなのだろう。漏出すれば、丹田スワジスターナ・チャクラに戻しなさいと言い慣わしていることはわかる。だが、オカルトだが、神仏とは関係ないのだ。今の人はゲームのやり過ぎで出るが、パンクとかサタニズムとかはそれと全く関係のないことでもないのかもしれない。ドラッグだけが誘因ではないかもしれない。