◎ジェイド・タブレット-外典-12-12
◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-12
◎月と合体して、真夜中の太陽を見る
月の次は太陽。この太陽は中心太陽のことでなく、月とペアで機能する太陽のこと。なぜならカモワン・タロットの絵柄において男女が契りを結んでいるからである。
古事記で言えば、月とは素盞嗚(スサノオ)神の瑞霊で、太陽とは天照皇太神の厳霊。この世界を席巻する近代西欧文明は、アポロン型文明であって闇は駄目で光一辺倒の太陽偏重の文明であって、(母なき)父なる神を主と仰ぐキリスト教がバックボーンにあり、これまた太陽を偏重し、母なる月の扱いは低い。黒い聖母像などはまま子扱いである。
これに対し、古神道は古事記において天の安の川原で、太陽たる天照大神と月たる素盞嗚尊が誓約し合い、その太陽と月の合体により完全無欠にして両性具有の伊都能売(いづのめ)神が生まれた。この点で古神道は、バランスの良さを見せている。
次に真夜中の太陽を見る話。
ろばになったルキウスは、真夜中の太陽を見て人間に戻ることができた(黄金のろば/アプレイウス)という逸話の他に中国道教の太乙金華宗旨にもそのシーンがある。
『三更 (午前零時)に、日輪がまばゆい光を放つ。』は、修行者にとっての第二のステップ。OSHOバグワンの説明は、第一ステップで中庸に居ることに集中していると、肉体と心を同時に見ることができるようになり、それを見ている自分に気づく。見ている自分とは魂のこと。見ている自分で見守ることに専念していると、突然真夜中に太陽が上がり光輝くように、内も外も光で満たされ、全存在が燃え上がる。
昨今ハタ・ヨーガをやる人の中には太陽礼拝をやる人が多いが、月輪礼拝もやらないと片手落ちかもね。
中国にも世界樹、生命の木、哲学の木がある。建木である。これにも太陽が登場する。淮南子・地形訓の崑崙山の段、『建木は都広に在り、衆帝の自(よ)って上下する所。日中無景(影)にして呼(さけ)べども響きなし。蓋し天地の中なり。』
(世界樹は、大地の中央にあって、神々はここを昇降する。太陽の南中する時刻のように影を造ることなく、音もない。これぞ天地の中心である。)
これは、キリスト教にも霊界物語でも見かける天の梯子のイメージ。アセンションで通って行くところ。しかし、更に意味深長なのは、日中無影にして、呼(さけ)べども響きなしのところ。目に見える風景が動かず、かつ音がない世界。
これは、時間が止まった世界のことである。時間を止めるというのは、ヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスが好んで使った表現。時間を止めるとは想念が停止すること。そこではじめて世界の中央となる。今流行の『今ここ』とは、本来このレベルを指すものと思われる。
世界樹は根と枝に別れる。人間に当てれば根が頭であり、枝の方が足となり、日常意識の立ち姿とは転倒している。これはタロットの吊るされた男のスタイルでもある。また、この死の世界に頭を突っ込むイメージは、死の世界が生の世界より広いことも表している。
また山海経の海外東経にも建木の別名の扶桑についての記述がある。これは、扶桑には10個の太陽が沐浴するところであり、9個の太陽は下の枝にあり、一個の太陽が上の枝にいる。10個の太陽は10チャクラ。上の枝の太陽はサハスラーラ・チャクラにあたり、別格であることを示す。
パタンジャリのヨーガ・スートラ3.32『頭の王冠の下の光についてサンヤマを行うことによって、すべての完璧な実在にコンタクトすることができるようになる』
3.33『そうでなければ、照明(Pratibha)によってもすべてのことを知ることができる』
『すべての完璧な実在』とは、第六身体アートマン。『サハスラーラで、サンヤマすれば、アートマン』とは、暗号みたいな表現だ。
ここでもOSHOバグワンは、太陽と月との関連を指摘している。彼は、pratibhaについて、まず、
『太陽は知性で、月は直感。あなたが両方を超越するとき、pratibhaが来る』とし、
『プラティバとは、エネルギーが知性と直感の二重性を超えた時を意味し、それは両方を超えている。直感は知性を超えているが、プラティバはその両方を超えている。
今やそこに論理的つながりはなく、すべてが永遠に明らかになり、全知、全能、遍在となる。過去、現在、未来のすべてが同時に明らかとなる。』
(出典”Yoga: The Alpha and the Omega, Vol 8”から)
よく西洋の錬金術やチベット密教で太陽と月の並列シンボルを見たり、太陽男と月女の合体図を見たりするが、要するにプラティバのことなのだろう。
曼荼羅は両界そろってプラティバ(出口王仁三郎は、金剛界は男、胎蔵界は女と見る)。
二元性以外の太陽シンボルについては、いさかか霊がかり気味の話だが、以下のようなものもある。これはタロットとは無関係ではあるが・・・。
古い中国道教でも太陽南中時を多用するということがある。この時刻を「日中」と呼ぶ。
太陽南中時に服餌(薬草のたぐいを食す)したり、この時刻に神霊から経典を受け取ったり、高級神霊が降臨したり、薬物の採取も、呪符や、道具の製作も・・・・・。吉日の選定には丙午、庚午などの午日を選び、時刻には、太陽南中の直前か、太陽南中時を選ぶ。
この時刻には地上のものは、最も生き生きと活発に活動し、エネルギーが横溢しているだろうから。ことに大気中のプラーナは最も活性化している時間帯だろう。・・・・
さらに陶弘景の弟子の周子良のところに高級神霊である趙威伯が出現したのは、515年の夏至の日の、もう少しで太陽南中する刻限のことであった。このことがあってから、周子良は一人で部屋にひきこもり、毎日「日中(正午)」に一升の蜜餐をとるだけであったという。
また239年の正月一日の日中に、葛玄は、太上老君(老子)から千真科戒を伝授され、また244年8月15日の日中、仙人BGMが流れ、大勢の仙人たちのお迎えが壇に降下して待つ中、太上玉京太極左官仙公として、仙界に召された。
143年正月7日の日中に、五斗米道の開祖張道陵は、太上老君(老子)から二十四治(五斗米道の組織)を授けられた。
(参考:中国古道教史研究/京都大学人文科学研究所/吉川忠夫編)