◎ジェイド・タブレット-外典-12-16
◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-16
◎前半は顕教的、後半は密教的
ユダヤのセフィロト(生命の木)は10球から成り、それを結ぶ22の線はパス(小径)と呼ばれている。ただしこれは、一つの球から8本パスが出たり4本パスが出たりということがあり、22人図としての一本道の悟りへの道の説明にはならない。
おそらくタロットの大アルカナを最初に作った人物は、セフィロトの22パスは意識せず、人が悟りへの道をたどる場合のモデルとして一気通貫のイメージで並べたのだと思う。
前半の1魔術師から10運命の輪までは、単に迷いの世界ということでなく顕教的な求道の道、すなわち生の世界から道を究めるということがイメージされている。9隠者一人は例外的に密教的だが、現代社会でも辺縁部にそうした人物は存在するものではある。
生の側を窮めると死の側を窮めることにもなるというのは、狭義では、キリスト教での観想法主体の求道の究極であり、只管打坐メディテーションの窮極である。
淮南子の原道訓に『生を出て死に入るとは無より有にゆき、有より無にゆき、そして衰賤す。この故に清静は徳の至りにして、柔弱は道の要なり』とある。
この文では、生と死の区別は問題にせず、生の世界・死の世界共通に流れている基底なる一なるものは清静であり、その性質をいうならば、柔弱であるということか。
これが生の側から死の側をも極めるのイメージ。
一方11力から0愚者までは、クンダリーニ・ヨーガ型、つまりユダヤ教的、キリスト教秘教的、西洋錬金術的な求道径路が示される。
11力では、全体の流れとして聖音オームのパワーがあって、12吊るされた男で自分が死(13死神)に、神仏を見るという体験が起こる。
この体験を定着安定化させる時期が14節制だが、自分のオープン度がフルオープンになったところで15悪魔が出現。それをクリヤすると16塔で神人合一のステップとなる。
以下は神に対して不退転となったレベルであって、17星で星を望見。18月、19太陽で最終的な両性具有を達成。20審判では、神への最終ストレートである梯子を登り始め、21世界で神人合一を達成する。
しかしそれで終わりではなく、言葉では表現できない主、神、ニルヴァーナを0愚者に置いている。
タロット・カードは今では絵柄も相当に自由になってしまっているが、神を半ば忘れた中有的なこの500年において、見る目のある人は、神に至る一本道として大アルカナ22枚を見ることを期待して作成されたものと思う。