アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

的確に学ぶ

2024-06-15 03:19:09 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-13-8

◎冥想自在-8

◎冥想自在の構造-8

◎冥想は的確に学ばないと一生を誤りかねない

 

何もわかっていなかった頃、ダンテス・ダイジの話の中に『的確に学ぶ』という言葉がでてきた。

20代前半のことで、禅とクンダリーニ・ヨーガ(密教系)は違うということは、漠然とはわかっていたが、個人として禅に行き詰まればクンダリーニ・ヨーガに移るくらいのことは、よくあることと認識していたので、その区別さえいい加減に考えていた。

 

その後、いろいろな場面で冥想は的確に学ばないと一生を誤りかねないということを身に染みて知ったので、『的確に学ぶ』ということで記事を挙げる。

 

20代前半の頃、地下鉄サリンの某カルトや昨今世間を騒がせている某カルトの勧誘が非常に盛んだったが、幸運にも私はそういう場面に出くわすことはなかった。そういうめぐり合わせすら、ある意味で『的確に学ぶ』姿勢の結果だったのかもしれないと今なら思う。

 

『的確に学ぶ』ということは、してはならない戒律のようなものと、行っていくべき生活全般の行動指針のようなものに分かれる。わたしは出家したわけでもなく、フルタイムで働いて余暇を冥想に当てる生活なのだが、その時分は、仕事の勉強の他に、プライベートも相当に忙しかったので、勢い睡眠を削って冥想に充てる日々だった。それゆえに禁忌のようなもの対応も、やるべきメニュー(柔軟体操、呼吸法、冥想など)の履行も自ずと緩くなりがちなものだった。勤労と冥想修行の両立はいつの時代も大変だ。

 

だが、冥想修行でのやってはいけないことというのは、様々な意味で人生を誤りかねないチート技だから禁止されているのである。霊や魔は相手にしてはいけないこと、霊能力や超能力が出てきても行使せずほっておくこと、自分のメリットを図らないこと、悪事、悪行を行わないこと、こうしたものが代表的な禁忌だが、破ったとたんにからめとられ、一生を台無しにすることはよくあるものだ。

気がついた頃には遅いということはあるが、人は気がつく以前に行動を変えるものではない。

 

最初の頃、『的確に学ぶ』と言っても何をどのように学ぶのかは、見当もつかないものだ。おまけに、メリットを求めて冥想するのは誤りだなどと指摘され、ますます混乱したものだ。

 

冥想は、ただ漠然と、あるポスチャーで坐れば良いというものではなく、冥想以外の日常のそれぞれの動作・挙措の中に複雑で精妙な守るべき多くのルールがある。覚者を身近に見れば、彼らは意外にもそうした細かいルールに沿って生きていることに気がつくことがあるのではないか。

 

1.何を学ぶか

・神仏とは何か。

・神人合一とは何か。

・七つの身体とはどういうものか。

 

本筋から逸れないために、メリットを求めない冥想とは、自己をなくしていく方向の冥想であることを念頭に置いていけばよいと思う。

 

メリットを求めない冥想とは、無用の用のこと。だが、世間の人に無用の用はわかりづらい。

 

2.学びの方向性

人は頭で納得しないと坐り始めない。理解できないと冥想を始めないものだ。しかし、だからといって、それをやれば金がもうかるとか、健康になるとかいう具体的目的があって冥想を行えば決して山頂にはたどりつかない。これは冥想修行のモチベーションのジレンマ。

 

だが、まず知的理解をせねば始まらないというのも現代人。そのためにジェイド・タブレットはおすすめである。

 

【知的理解の骨子】

人間には、霊線があって、これを根源までさかのぼると全知全能の神にたどりつき、自分がすべてのすべてである神であることに気がつくことができる。

他人がすべて、神である自分の一部であることがわかれば、もはや他人を傷つけることはできない。そこには愛だけがある。

 

3.どのように学ぶか

(1)肉体の調整

肉体は何もしなければ、老廃ガスが体内にたまり、肉体の不調の原因にもなるし、魔境や妙な心境の原因にもなる。よって肉体のガス抜きや凝り解消のため、柔軟体操(ハタ・ヨーガなど)や呼吸法は必須なものである。そして内分泌腺の活発化のために適度な作業(作務、労働)も欠かせない。

(2)エーテル体の調整

気功・導引、八段錦等

(3)呼吸法

片鼻呼吸法、完全呼吸法

(4)読書

・ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ

・アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジ

・老子狂言/ダンテス・ダイジ

・奇跡の探求Ⅰ/OSHOバグワン

・奇跡の探求Ⅱ/OSHOバグワン

・自己変革の方法/クリシュナムルティ

 

※冥想については、【Overview of the meditation 冥想の全体像】参照。

 

4.どのように食べていくか

よく、禅なら働きながら修行ができるとか、クンダリーニ・ヨーガでは、自分は働けなくなるので、生活の面倒をみてくれる女性を見つけるなどせねばならないなどと語られることがある。

ところが、禅でもノイローゼになってしまうこともあるので、必ずしも禅なら働きながら冥想修行ができるというわけでもない。

職業選びで言えば、本来神が許し給わぬ生業(本来神のものであるものを売買するなど)というものもあるわけだが、神が許し給う生業の中にも悪行を求める仕組みが含まれていたりして、なかなか一筋縄にはいかない。

ダンテス・ダイジは、冥想の深まりに対応して、冥想を継続できる環境も整っていくというニュアンスのことを言っていたこともある。一人一人が神であるからには、どんなに厳しい環境であっても冥想を続けていくことが、自ずと環境を整えるのだろう。

 

想像を現実化する能力を手に入れればさぞ面白いだろうが、ダンテス・ダイジは、「そういうことが面白いということに留まっていれば、この世に生まれては来ない」という意味深なことを言っている。

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