◎ジェイド・タブレット-13-6
◎冥想自在-6
◎冥想自在の構造-6
◎女性的自我なる鉢かづき姫
美人でしとやかな若い女性が、なぜ鉢をかぶって世を生きなければならないのだろう。これが、童話鉢かづき姫を知った幼児における最初のインプレッションである。鉢は女性的自我で、最愛の夫との結婚でハッピーエンドを迎える。
おとぎ草子では、姫が13歳のみぎり、母が病気となって、死を予感する。そこで母は、一人残される姫のことを案じて、なぜか鉢を姫の頭にかぶせる。これが鉢かづき姫の始まり。
母の死後、父は再婚するが、継母によって鉢かづき姫は追放され、大きな川に身を投げる。ところが鉢が浮き袋となって沈まず、親切な漁師に引き上げてもらう。
九死に一生を得た鉢かづき姫だが、村人は頭に鉢のある奇妙な姿をみて嘲り笑う。
ここにリッチマン山蔭の中将が現れて、鉢かづき姫に自宅の湯殿で働くことを命じる。なぜか湯殿。やがて山蔭の中将の四男が鉢かづき姫に一目惚れし、湯殿で出会って、やがて一夜の契りを結ぶ(関係ができちゃうこと)。
さて鉢かづきのような嫁ができるのは一族の恥と、鉢かづきを追い出そうとして企画された嫁比べイベントの直前になった。四男は、嫁比べで恥をかくよりは、家を出奔しようと鉢かづき姫と一緒に戸に手をかけた瞬間、鉢がポロリとはずれた。
すると中から金塊、金盃、銀のバッグ、砂金の橘などなど数々の宝物がでてきて、パッピーエンドとなった。
ここには、2つの重要なモチーフがある。一つは錬金術での窮極。湯殿で汗をかいて、人間的限界を超えるのは、錬金術における浄化であり、ニルヴァーナ到達直前の頻出イベントである。
精神分析のC.G.ユングによれば、浄化は、錬金術においては、哲学者の薔薇園のように天からしたたる滴、シャワーと表現されることもあれば、湯殿で汗をかくという表現として出てくることもある。
男性と女性が湯殿で出会って汗をかいて合体するのは、王と女王が合体して汗をかく構図そのものである。
もう一つのモチーフは、女性的自我が、最愛の男性つまり魂の伴侶と結ばれることによって充足するシンボルが鉢であること。
グリム童話にも灰かぶり姫が母と死別してから、台所のかまどのすみで、ぼろを着て、常に灰にまみれていたが、後王子に見初められ、女性として幸福になるというシンデレラという物語がある。
こちらのモチーフは更に起源が古く、古い錬金術書「ホルスからイシスへ」に登場してくる魔神的な天使アムナエルが容器を頭にかぶっており、その容器の中にはイシスが探し求める秘密の物質が入っている。
ユングの弟子のマリー・ルイズ・フォン・フランツによると、この頭の上に載った容器は、女性の秘儀であるという。つまり、女性が精神的変容(つまり覚醒、神との合一)に至るためには、頭の上に載った容器を叩き壊すことがまず必要となる。
(参考:ユングコレクション4:アイオーンP328/人文書院)
すなわち頭の上に載った容器とは、最愛の男性と結ばれることによって充足するという女性的自我の本源的な傾向のシンボルなのである。
女性は、窮極を目指す時に、龍や蛇の頭として現れる女性的自我のシンボルを踏みつぶしていくというモチーフもあるが、そのバリエーションのひとつが鉢が落ちる鉢かづき姫であると考えることができる。
いづれにしても、女性の霊的元型として頭の上に載った容器が世界的歴史的に認められているということは、女性的自我は、男性と“結ばれること”で結実するということ。
ダンテス・ダイジは、そこを厳しく見ている。
『一般的に、
女性のエゴは、
失神にまで至る無数の性的オルガズムと、
男性への愛着から愛情への成長か、
最愛の男性の子供を出産し養育することにより、ほとんど完結する。』
(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジP160-161から引用)
ダンテス・ダイジは、
1.オルガズム+愛着から愛情への成長
2.オルガズム+最愛の男性の子供の出産養育
のいずれかが、女性的自我の完結と見ている。