◎ジェイド・タブレット-13-1
◎冥想自在-1
◎冥想自在の構造-1
◎冥想自在のスタート地点
万人は、自分が神であることに気づいていないだけであるという立場に立てば、まず冥想とは、神である自分を生きることと人間である自分を生きることのバランサーである。
冥想は、神人合一以前にも以後にも存在する。
そうすると、自分が全知全能の神であって、みじめで情けない人間であるということは、世界観の二重性である。世界観の二重性とは、悟っている人は、二重のリアリティ、二重の現実に生きているということ。
ここで、大雑把に組織宗教の教義を見てみると、宗教的教説には次のように3種あるように思われる。
1.悟りを目指さず悟っていない人向け
天国希求をメイン目標とし、天国地獄を超えたものは、かすかにしか示さない。そして見神、見仏を具体的目標とはしない。というのは、見神、見仏すら簡単ではない上に、神人合一を目標に据えると、万一誰かが神人合一した場合に、元の教祖との関係で収拾がつきにくい。
このレベルでは、「すべてを棄てないと悟れない」ということはあまり問題にならない。
2.悟りを目指す求道者向け
見神、見仏が主たる目標となる。神人合一を目標に据えると、万一誰かが神人合一した場合に、元の教祖との関係で収拾がつきにくいという問題点は、上の1のケースと同様。
このレベルでは、「すべてを棄てないと悟れない」という点は、具体的な問題点となってくる。
3.見神者(見仏、見性)、菩薩向け
天国と地獄を超える、善悪や選り好みなどの二元を超えることや、両性具有などを呈示できる。
目標は神人合一とすることができる。
このレベルでは、「すべてを棄てないと悟れない」という点は、切実な課題となってくる。
以上のような宗教教義の一般的な構造を見れば、 すべてを棄てられるようになって、初めて冥想自在のスタート地点に立ったと言えるように思う。だが、どのレベルであっても すべてを棄てることは簡単ではない。
だが、それができなければ、永遠不壊の幸福も、解脱もあり得ない。