◎ジェイド・タブレット-13-5
◎冥想自在-5
◎冥想自在の構造-5
◎最もあなたにふさわしい夫は与えられている
あまりにも常識過ぎてかえって知られていないものの一つが、本当の自分に直面し、最後は自分が大死一番を敢行し、自分と世界を棄て、絶対無(神)となる冥想修行は、男性のチャレンジであって、女性のチャレンジではないということ。
女性は、最愛の男性に巡り合い、恋愛の果てに、その男性の子を出産することが女性的自我の充足である。
このストーリーは、LGBT公認で、孤独生活者4割の時代に、とても時代遅れなことを言っていると思われるかもしれないが、人間の元型には男女の別があり、そこから導きだされる根本原則とでもいうべきものだと思う。
ダンテス・ダイジは、10代の頃、女性をとっかえひっかえ交際、同棲などしてセックスの何たるかを極めようとした時期があったが、それがピークとなる頃、あろうことか性的機能障害に苦しむことになった。並行して禅に取り組んでいたそんな時期、彼はインドラ神の出てくる霊夢を見た。それは、インドラ神自身がセックスをしてみせて、ダンテス・ダイジにセックスの奥義を伝授してくれるという霊夢だった。
その霊夢以後、彼は乱倫をやめた。性的機能障害、情感欠如も解消した。そして過去世において、中国での仙道房中術の修行、インドでの左道タントラ修行をしてきたことを思い出し、人は性愛によっても深いトランス状態に入り得ることを知った。
そして次のような見解を示している。
『男女の霊的因縁をふまえることのないセックスの行法は必ず邪道に堕落する。
なぜなら、男性原理と女性原理との霊的合一こそが、霊的共同体としての家庭・社会・世界・宇宙の中にその本来的位置を与えられたものだからであり、
それこそが、人間すべての根本願望である不動の大安心、霊的愛、宇宙意識との神秘体験への高みへ人類を導くものだからだ。
霊的因縁の自覚は霊界の中で、本来一体である者同志の出会いを成就する。
あなたには、すでにもっともあなたにふさわしい妻、あるいは夫が与えられているのだ。』
(性愛漂流/ダンテス・ダイジから引用)
D.H.ロレンス、ジョルジュ・バタイユ、三島由紀夫、房中術、カーマ・スートラからインド左道密教、立川邪教までありとあらゆる性愛哲学・行法を研究し尽くした後、彼はインドラ神にその奥義を開示してもらった。
その彼が、性愛冥想のパートナーは不倫であってはいけないと説くのは、魂の伴侶と行うべきことだと間接的に言っている。
そして魂の伴侶との結婚が人生の王道であり、最愛のパートナーの子を出産することが女性的自我の充足であって、女性は必ずしも、世界全体を獲りに行かなくてもよいというニュアンスのことも言っている。
ただし、人生において魂の伴侶に出会うチャンスはそう何回もあるわけではないようだ。
冥想自在を考える上で、男女の別は結構決定的ではあると思う。