◎万代の常夜の闇も明けはなれ みろく三会のあかつき清し
出口王仁三郎が、第二次大本事件後、裁判長にみろく三会の説明をする。
『一審での庄司裁判長と王仁三郎との息づまる対決は?その行方は?――
「昭和三年三月三日のみろく大祭の祝詞奏上の後でお前は
『万代の常夜の闇も明けはなれ
みろく三会(さんえ)のあかつき清し』
という歌を詠んだそうではないか」
「ハア、詠みました」
「みろく三会とは、天のみろく・地のみろく・人のみろく、この三つが1つになるということだそうだネ」
「さようです」
「この歌によると、地球上でお前が一番偉いという意味になるのではないか」
「それは、私の宗教上の悟りです。宗教上の悟りを法律上で解釈されては叶いません。釈迦でも天上天下、唯我独尊と言うているが、宗教を開く者はそれ位の悟りの自覚がなくては、宗教が開けるはずのものでないと思うとります。私は別に悪いと思うていません」』
(出口なお・王仁三郎の予言・確言/出口 和明/みいづ舎P302-303から引用)
上述のとおり、出口王仁三郎は、みろく三会を宗教上の悟りと断じている。
彼はさらに、みろく三会とは、天地人、又法身、報身、応身のミロク一度に現はれるという意味で、これが真の三位一体であるとしている。
神人合一して第七身体ニルヴァーナにあるとき、天のみろく・地のみろく・人のみろく、この三つが1つになるということがあるのだろう。
また出口王仁三郎は、人はすべらからく神人合一を目指すべきだと言っている。
『元来宗教なるものは、仏教にもあれ、基督教にもあれ、人と神(仏と人、大我と小我)との融合一致に重きを置くものなり。即ち四諦観といひ、三位一体説といふも、其の意義に於て異ることあるなし。所謂天人合一を主とするに在るのみ。』
(出口王仁三郎全集 第2巻 第2章 宗教の害毒から引用)
古事記でも、天の安の川原で天照大神の霊と素盞嗚尊の霊とが一緒になって、伊都能売神になったことで、これで三位一体の成立を示している。
要するに究極の悟りを得て、ひとりの人間として世界を振り返れば、天のみろく・地のみろく・人のみろくという何の問題もない状態が広がっているのだろうということ。仏教でも三身というが、仏教でも究極の悟り涅槃に入れば、同じように三位一体を確認することになって、それが三身なのだろう。
ともすれば、みろく三会の時代とはみろくの代のことだと言われるから、いつその時代が到来するかばかり気になりがちだが、実は自分自身がみろく三会となることを確認することだったのだ。
【以下、霊界物語 第48巻 余白歌から/出口王仁三郎作】
甲子の九八の空を待ち佗びし
胸にみろくの鼓うつなり
三千年の岩戸の七五三(しめ)も解けにけり
みろく三会の神音の響に
内外の国のことごとマツソンの
毒牙にかかりて苦しみ艱める