◎昭和初期の中国道教のレベル
英国人プロフェルドは、昭和8年から14年の7年間中国の道士を訪ね歩き放浪した。
ある道観の住職とプロフェルドの会話。
『住職は笑った。
「通常の儀礼は抜きにさせていただきます。あなたのおっしゃる「名誉ある宗教」は、むしろ儒教もしくはキリスト教にふさわしい言葉でしょう。私どものは宗教ではなくて、「道」に到る道なのです。また、名誉あるものでも、なんでもありません。そもそも、その種の美辞麗句とはいっさい無縁だからです。
「あなたの場合も同じでしょうか、私どもの瞑想と修行は心を清静にすることから始まります。心が静止すれば、我々の内と外、上と下に『道』の存在することが理解できるでしょう。
「第二に、私どもは活力を養い、長生きできるように努めます。精神の陶冶に必要な時間をかせぎ、より高度な目標に到達するためです。
「そして、その次に来るのが金丹の調合です。一部の誤れる人々は金丹を錬金術的手法で作り出そうとしましたが、実のところそれは体内においてのみ調合されうるものなのです。金丹が私どものうちわでは、不老不死の胎児として知られているのも、このためです。
「金丹の製造が不老不死への手段であるという点では、われわれ道家の見解はだいたいにおいて 一致しています。 しかし、ここで道が分かれるのです。
「ある者は、未来永劫の長期にわたる不老不死を求めます。これはつまり、神のような地位の達成であって、これ自体が終局目標となるわけです。
「他の者は、『根源に帰一する』ため、懸命に奮闘します。これは「涅槃」への到達と同じ理想の極致にほかなりませんが、この思いも寄らないような境地の概念については、当然のことながら内容が異なります。
「あなたのご質問に関して申し上げれば、我々は物事を順序立てて考えなくてはなりません。で すから、まず、内なる心の静止を生みだす単純な方法をご説明することから始めましょう。 もっと進んだ私どもの修行については、その概略に触れるだけにします。基礎的な訓練を積んでいない者に、これを適正に説明することは不可能だからです。
「究極目標である『根源への帰一』に関しては何も申し上げますまい。もしあなたが賢明にもこの目標を追究することを決断されるのであれば、仏教の先生を頼りにしなくてはなりません。到達目標が同じであるとすれば、なぜわざわざ新しい手段を身につける必要があるでしょうか。」』道教の神秘と魔術/ジョン・ブロフェルド/ABC出版P248-249から引用)
道教の目標は、肉体の不老不死と根源への帰一がある。肉体の不老不死はわかりやすいが、根源への帰一はわかりにくい。
そして肉体の不老不死がそんなにすばらしいものであるかどうか、現代人には疑わしいものと映るでのはないだろうか。
そして、外丹と呼ばれる化学実験のような物質変成では、金丹はできないこと。金丹は、内なる心の静止から始まる冥想で作成するものであって、不老不死の胎児であって、それは涅槃ニルヴァーナと同じ。
この点は、西洋錬金術において黄金変成が実は、冥想によって成るものであることと見解を一にする。
こういうまともな道士が当時の中国にいたからと言っても、いまは全く残ってはいないのではないか。チベット密教がひどく迫害されたように、特に文化大革命中は伽藍の破壊、道士・僧への迫害はひどいものだったし、知識分子への下放なども行われ、静謐で食べることのできる冥想修行のできる環境はまず失われたのだろうと思う。
そもそも根源への帰一とか涅槃を認めない唯物論だから共産主義なのだから。