◎次の掃除も外国の手によって
大正時代の第一次大本事件(大本教に対する大弾圧)は、第二次世界大戦時の日本の運命の先行モデルとして位置づけられた。
昭和10年の第二次大本事件は、第一次大本事件に比べ激烈で徹底したものだったが、日本の将来の運命としてはまだ実現していない。
この経緯を踏まえて、出口王仁三郎の終戦直後の予言。
『マッカーサーが日本に進駐してくると王仁三郎はその意義を家の大掃除にたとえて説き明かす。
「世界を1軒の家にたとえると、日本は家の中の神床にあたる。ところがその神床が非常に汚れ塵埃がたまっているので掃除せねばならぬが、日本の神床を日本人自身にやらせると、血で血を洗う騒ぎをくり返すばかりでできはせぬ。そこで神は、マ元帥という外国出身の荒男をつれてきて掃除をさせられるのや。
ところが神床はもともと神聖な所なので、
掃除をするにしても、絹の切(きれ)でこしらえたハタキとか紙製のきれいなハタキとか使って掃除せねばならぬ性質のものだが、そこは外国出身の荒武者のことだから、竹の荒ボウキを持って神床を掃除するような時もおころう。
神床のゴミをはたくと、次は座敷の掃除が順序じゃな。世界の座敷はどこかというと朝鮮・支那になる。そして掃除は座敷をもって終わるものじゃない。庭先の掃除が必要になってくる。世界の庭先とは、ソ連や米国にあたる」』
(出口なお・王仁三郎の予言・確言/出口 和明/みいづ舎P296-297から引用)
第一次大本事件をプロトタイプとした先般の日本の敗戦を目の当たりにして、出口王仁三郎は、『こうならぬとこの神は世に出られぬ』ともらしたという。
今後第二次大本事件をプロトタイプとした再度の日本の敗戦が予言されているが、そののち、朝鮮・支那が戦場となり、最後は米ロの掃除が予見されているということ。
神様から見た掃除であるから、旧約聖書創世記でソドムの破壊前夜に天使が正しい人の人数を数えに来たようなことが日本でもあるのだろう。その時日本は一定数以上の神知る人の人数を抱えていなければ、来る至福千年(みろくの代)で日本が世界の中心となるのは夢物語。
さらに日本の大峠(至福千年前夜のカタストロフィ)では、出口ナオが、助かるべき者が助かるように、三、四月、八、九月に発生するように祈っている。
第二次大本事件では、起訴された信者61人のうち、厳しい拘禁生活の結果、昭和20年9月の無罪言い渡し時に存命していたのは、約三分の二の40人であった。『助かるべき者が助かるように』早く無罪が出たのだろうか。
今後の第二次大本事件をプロトタイプとした再度の日本の戦争では、前回以上の思想信教の締め付けがあり、またも軍事政権となることが予言されている。また日本が敗戦となるのに、次の時代は日本が世界の中心になるという予言があるのは、一見奇妙だが、神人合一してその仕掛けを読み解く人も続々と出てくるのではないだろうか。