◎何か牢獄に暮らしている感じ
アメリカでは、ゾンビ映画やドラマが隆盛で、たまには目にすることもある。だが、ゾンビというのは、ほとんど思考力をなくした現代人のようなものだと思ってぞっとすることがある。
さてカルトでは、勧誘してきた若者たちを集め、彼らに信仰を注入しようとする。
同様に現代社会では、彼らに社会常識や金儲けや商品知識や異性との出会いの手ほどきなど無数の情報を入れ込もうとする。
カルトでは、長時間にわたって説教や講義を繰り返し、教学書や聖典の朗読のyoutubeを聞かせる。食事中も、トイレに入っている間もそれを止めない。さらに、神仏や教祖を賛美する歌を延々と歌わせたり、聖なるマントラを唱えさせたりする。しかも、これが続く間、ほとんど休みを与えず、食事や睡眠を満足にとらせないのだ。
同様に現代社会では、テレビやスマホで長時間にわたって広告やプロパガンダを繰り返し視聴し、その間、国際情勢、政治・経済・商業に加え、宗教・道徳・金儲け・防犯から知っている他人・知らない他人の情報まで視聴する。ややもすれば、食事中も、トイレに入っている間もそれを止めない。この結果、一日の余暇時間は、このように洗脳される時間となり、しかもこれが毎日続くので自分で考えたり冥想する時間はなく、結局に食事や睡眠を満足にとらないことになる。
実は、これは十分に考え尽くされたやり口なのである。こういった状態が長く続くと、感覚が麻痺して くる。頭の中は空白になり、自分が今やっていること以外のことが考えられなくなっていく。
カルトでは、聖典の文句や歌が絶えず頭の中で鳴り響いている状態になってくる。そして、カルトの側の教えやメッセージをそのまま鵜呑みにしてしまうのだ。
一方社会では、政府、マスコミ、コマーシャル提供企業などからの情報や、SNSでの“らしい”言説を、無意識に受動的に信じ込み、あたかもそれが自分の考えであるように思ったりしゃべったりするに至る。
これが、洗脳(マインド・コントロール)の過程である。洗脳された若者や中高年者の人格は変わり、表情までややうつろになってくるので、人格は確かに改造されたことがそれでわかる。
社会的洗脳手段(マインド・コントロール/世論操作)がここまで大量・巧妙・大規模に行われていると、人はしばしば洗脳されていることに自分では気がつかない。
こうした状態を落ち着いて感じ取ってみれば、人はある牢獄にいるような気分を感じとるのではないだろうか。すなわちマスコミなど誰か知らない他人に作られた想念や思想や感情に作られた壁でこしらえられた牢獄に、自由のない自分が置かれているのではないかと。
これを脱出する方向には、本来の自分らしい生き方を見つけるという方向と、神仏を知るという方向の2種ある。ただし前者は悟りと関係がなく根本的解決ではないので、ダンテス・ダイジは、その方向は肯ぜず、すべての人が悟るべきだと考えていた。悟るとは、本来の自分に気がつくということ。
今日も冥想を。