◎罪なくして臨終を
(2011-04-09)
長老ヴァッカリは、陶器づくりの者の家で、重病に伏し、困窮していた。彼は一度でいいから釈迦の足を頂礼したいという願いを持っていた。ヴァッカリは強い痛みにさいなまれていた。
一日、釈迦はヴァッカリのところを訪問し、ヴァッカリが「もの、感受、想念、因果的存在、心(五蘊=色・受・想・行・識)は永遠に無常である」と見ていることを確認し、そうなれば、再びこの世に生を受けることはないとアドバイスした。
翌朝釈迦は、イシギリパッサ・カーシラー山に居たヴァッカリのもとに比丘をやって、
「おそれるな。ヴァッカリよ、おそれるな。おまえの死は罪に汚れてはいない。罪なくして臨終を迎えるであろう」と伝言させた。
この使いの比丘が立ち去ってまもなく、ヴァッカリは、刀をもって自殺した。
戻ってきた比丘の報告を受けた釈迦は、ヴァッカリの様子を見に行こうと、イシギリパッサ・カーシラー山に赴き、そこで、遠くから往生を遂げたヴァッカリがベッドの上に横たわっているのを確認した。
『そのとき、一面(にわかに)たちこめた黒雲が、東に走り、西に飛び、北に走り、南に飛び、空高く舞い上がり、低く這い下がり、四維に走るのであった。
世尊は比丘たちに話された
「比丘たちよ、おまえたちはあのたちこめた黒雲が東に走り、西に飛び・・・・四維に走るのをみたであろうか」
「はい見ました」
「比丘たちよ、これは、悪魔(魔波旬)が善男子ヴァッカリの魂はどこに行ったのかといって、その魂を捜し求めているすがたである。
しかし比丘たちよ、善男子ヴァッカリは、その魂がどこかに止まることなく、完全な涅槃に入ったのである」』
(世界の名著 バラモン経典・原始仏典/中央公論社P456から引用)
その死に方にとらわれて、真実を見誤ってはいけない。津波で亡くなる人あり、放射線障害で逝く人あり、自殺する人もあり。
釈迦はヴァッカリが自殺するのが最初から分かっていたし、ヴァッカリも自殺することが自分で分かっていたから、釈迦はわざわざ人をやって、躊躇、後悔のないようにダメを押したのだろう。
日本では、いまや、放射性物質まじりの黒雲が、東に走り、西に飛び、北に走り、南に飛び、空高く舞い上がり、低く這い下がり、四維に走る。
死の直前、ヴァッカリは、ほとんど悟る一歩手前まで来ていた。一方日本人全体はどうなのだろうか。