◎ジェイド・タブレット-10-23
◎垂直上昇への仕掛け-23
◎大逆転と倒立-2
◎世界、宇宙そのものが自分である
現代における出口王仁三郎の評価は異常に低い。生長の家をはじめ、戦後の神道系新興宗教教団がほとんど隆盛であって、なおかつその源流が出口王仁三郎であるにもかかわらずである。
出口王仁三郎は、一見して、見ている自分からの超出を描いたものは、無我を説くものがわずかにある程度。ところが、仔細に見てみると、次のような歌も、みじめで情けない自分を遥かに飛び出して、世界、宇宙そのものが自分であるという立場から詠まれていることに気づく。
日地月あつめて造る串団子
星の胡麻かけ喰ふワニロ
(霊界物語第37巻七章)
日地月星の団子も食ひ飽きて
今や宇宙の天海を呑む
(霊界物語入蒙記第6章)
私は、この歌は最初アストラル・トリップで太陽系外に飛び出して、そこで見た風景の描写かと思っていたが、それでは太陽地球月を自分の腹中に収めることなどできない。
また出口王仁三郎は、この歌を見た大衆が自分のことを、異常心理にあって、神か、魔か、人か、誇大妄想狂か、二重人格者か、はたまた変態心理の極致の狂人と思うに違いないと予測している。
この令和の時代にあっても、世界と自分が合一するなどという現実は、依然として常識ある社会人にとって、誇大妄想狂の妄言に過ぎない。だがそれこそが、目指すべき神人合一の有り様である。
出口王仁三郎の霊界物語第37巻余白歌より(関東大震災直後に詠める)
関東の地震に勝る人造の
地震治むる神の権力
(上掲書十章)
醜司(しこつかさ)自身神也火の車
乗りて市中を駆けめぐりつつ
(上掲書十一章)
何事の勃発すとも惟神
任す真人の自信神也
(上掲書十一章)
神勅の地震雷火の雨は
乱れたる世の状をいふなり
(上掲書十二章)
関東大震災以上の人工地震を起こそうとする者もいるのだろう。
※自身神也と自信神也は、自分が神であることを示す。
※昭和東南海地震(1944年12月7日)M7.9に際して、地震が止まないので出口王仁三郎は、天に向かって『鎮まれ』と二度叱咤したところ地震は止んだ。(出典:新月の光 下巻/木庭次守/八幡書店P239)