◎アンナプルナ南壁 7,400mの男たち
(2015-10-23)
2012年のスペイン映画「アンナプルナ南壁 7,400mの男たち」は、標高7400メートルのヒマラヤのアンアプルナ山頂目前のキャンプで高山病で意識が錯乱した登山家を世界中から友人たちが集まって救出に向かう話。アンナプルナ南壁は、高峰が連なり、7キロに及ぶ長い稜線を踏破しなければならないヒマラヤ山脈屈指の難ルートであり、10人のうち4人が命を落とすといわれる。
その救出に参加した登山家達が言う。高い山では、筋肉がきりきり痛むことがあるし、呼吸は苦しいし、飢えにさらされるし、渇きも常である(一杯の飲み水を作るのに携帯ストーブで氷を溶かして小一時間もかかるらしい)、疲労困憊で、意識をしゃんとするのにも骨が折れる、などと。
映画ではそれでも登山するのは、登山すると日常に取り紛れてわからなかった大切なことが何かということがわかるから、なんて説明をするがそうではあるまい。
真相は、「苦しみですらまんざらでもない」からである。
「苦しみですらまんざらでもないのさ」と云うのは、ダンテス・ダイジ。若い時分にこの言葉を知った私は大いに驚いたものだ。苦は悪であり、とにかく避けるべきものではないかと。要するに私には人生経験が欠けていたわけだが、釈迦の生老病死が苦であり、苦を避けるにはどうすればいいのかという仏教のスタート地点を頭から否定するようなこの発言には、ぎょっとさせられたものだ。
登山は苦しい。それでも登山をするのは「苦しみですらまんざらでもない」からである。
苦を超克するには、苦を堪えるある程度の胚胎期間がいる。悟りには、苦が要るのである。苦が窮まるには、苦の時期が要るが、「苦しみですらまんざらでもない」ことが無自覚であるうちは、悟りなどあるまいと思う。
「苦しみですらまんざらでもない」ことを自覚したダンテス・ダイジの凄みがここにもある。