◎始皇帝もみじめで情けないままに死す
スポーツ・ヒーローも芸能アイドルも公的部分を除けば、みじめで情けない只の人であることに変わりない。
秦の始皇帝も天下統一後は、人生上でクリアすべき問題は、みじめで情けない只の人である部分であったため、それを神仙の道に求めた。
始皇帝は、廬生の神仙についての説明を聞いて、水に入っても濡れず、火に入っても焼けず、雲気を凌いで、天地とともに長久である神人を、羨んでやまず、以後朕と称さず真人と称することにしたほどであった。
この羨望の方向性は、天国的なものであって、真正な求道の道から言えば初歩的だが、正統な人間精神の発達過程ではある。欲望満足が極大に至って自我は極大化し、英雄の夢は破れるのだ。
始皇帝は、金と権力に飽かせて、封禅などの儀式を各地で行い、仙薬を求める探検隊を海上に出したが、結果は不調に終わった。
廬生は、始皇帝に、「隠棲し、お忍びで歩き、他人に動きを知られないようにし、悪鬼を遠ざければ、真人が降臨し、不死の霊薬を入手できる。」と吹き込んだ。すると始皇帝は、咸陽の二百里以内にあらゆる宮観(道教寺院のこと。帷帳、鉦鼓、美人を完備)に通ずる渡り廊下を建設し、他人にも神や鬼(霊のこと)にも動きを知られずに出入りし、いつでも泊まれるようにした。その上、始皇帝の泊っている場所を洩らした者は死罪にした。ある時、丞相に始皇帝の泊っている場所が洩れたのがわかり、始皇帝の随従者全員を拷問にかけたが誰も白状しなかったので、全員を死罪にしたら、以後情報漏洩はなくなった。支那の情報統制は、2千年前も今も変わらない。
始皇帝の失敗の原因は、自分で正師を見分けることができなかったことと、すべてを捨てる覚悟にまで進まなかったことが挙げられる。周辺に正師もいたのだろうが、天国的なものにこだわりを残す限り先には進めない。老荘ですら、普通に読めばすべてを捨てるシーンが求められることがわかるのに。ジャンプアウトできなかったのだ。