◎真心とは大神と神人合一した心
真人の心が真心だが、出口王仁三郎は、当時の時代の趨勢を受けて、次のように控えめに述べる。
『真心とは、天地の先祖の大神の大精神に合致したる清浄心である。』
大神と神人合一することを説くのではなく、「大神の大精神に合致したる清浄心」と心理、心に矮小化せねば、国家神道の最盛期で天皇の人間宣言以前の時代には世を渡っていけなかったのだろう。
本当は、真心とは大神と神人合一した心なのだろうと思う。
また悟った人の特徴としては、正直であること、フランクであること、悪いことをしない、善いことだけをするなどわずかな特徴だけが知られているだけだが、以下は参考になるだろう。基本線は、悟りは人格的成熟とは関係ないということ。また以下には、大神すなわち見神あるいは神人合一者の特徴がいくつか散りばめられている。
以下、霊界物語から真人の道。
『真人の道
天の下に生きとし生ける万物のなかにありて、もっとも身魂(みたま)のすぐれたる人間には天より上中下三段 の御霊(みたま)を授けて、各自の御霊相応に世界経綸の神業をおわしめたまい、天国の状態を地上に移して、それぞれ身魂の階級を立て別けられてあるけれども、
今の世は身魂の位置顚倒して霊肉一致の大道破れ、八頭八尾の邪霊や、金毛九尾の悪狐の霊や邪鬼の霊魂なぞ人類の精神を誑惑(きょうわく)し、ついには地上の世界を体主霊従、弱肉強食の暗黒界と化せしめたるため、今の世界の惨状である。これだけ混乱した社会(よ)をなんとも思わぬようになったのも、地上の人類がみな邪神の霊魂に感染しきっておるからである。
天下経綸の神業に奉仕すべき人類の御魂がさっぱり脱退(ぬけ)てしまい、九分九厘まで獣畜(けもの)の心に堕落して、世界は上げも下ろしもならぬようになり、かなたの大空よりこなたの空へ、電火のひらめくがごとき急変事の突発せずとも断定しがたい。世界の人類は一日もはやく眼を覚まし、誠一つの麻柱(あなない)の道によりて霊魂を研(みが)き、神心にたちかえらねばならぬ。
真心とは、天地の先祖の大神の大精神に合致したる清浄心である。至仁至愛にして万事に心をくばり意をそそぎ、善事に遭うも凶事に遇うも、大山の泰然として動かざるがごとく、びくつかず、焦慮(あせ)らず、物質欲に淡白(あわ)く、心神を安静に保ち、なにごとも天意をもって本となし、人と争わずよく耐えしのび、宇宙万有いっさいをわが身魂の所有となし、春夏秋冬、昼夜、風雨、雷電、霜雪、いずれも言霊(ことたま)の御稜威(みいづ)に服従するまでにいたらば、はじめて神心を発揚しえたのである。
また小三災の饑病戦、大三災の風水火に攻められ、いかなる艱苦の淵に沈む時ありとも介意せず、幸運にむかうも油断せず、生死一如(しょうしいちによ)とこころえ、生死にたいしては昼夜の往来をみるがごとく、世事いっさいを神明の御心にまかせ、好みなく憎みなく、義をみては進み、利をみて心を悩まさず、心魂つねに安静にして、人事をみること流水のごとく、天地の自然を楽しみ、
小我を棄て大我に合し、才智に頼らず、天の時に応じ、神意にしたがい、天下公共のために舎身の活動をなし、万難に撓(たわ)まず屈せず、善を思い、善を言い、善を行ない、奇魂(くしみたま)の真智を照らして大人の行ないを備え、物をもって物をみきわめ、他人の自己(おのれ)に等しからむことを欲せず、心中つねに蒼空のごとく海洋のごとく、二六時中意思内にのみむかい、自己の独り知るところを慎み、その力量才覚を人に知られむことを望まず、天地の大道にした がって世に処し、善言美辞を用い、光風霽月(せいげつ)少しの遅滞なく、神明の代表者たる品位を保ち、自然にして世界を輝かし、心神虚しくして一点の私心なきときは、その胸中に永遠無窮の神国あり。』
(続く)
(『霊界物語』二十二巻総説から引用)
上掲『宇宙万有いっさいをわが身魂の所有となし、春夏秋冬、昼夜、風雨、雷電、霜雪、いずれも言霊(ことたま)の御稜威(みいづ)に服従するまでにいたらば』とは、宇宙全体が自分である神人合一した状態(第六身体)であって、六神通の超能力がすべて使える状態を言っている。
上掲『いかなる艱苦の淵に沈む時ありとも介意せず、幸運にむかうも油断せず、生死一如とこころえ、生死にたいしては昼夜の往来をみるがごとく、世事いっさいを神明の御心にまかせ』
これも、生死一如という生も死もわきまえた状態であって、意識の極限状態を超えた神人合一の状態が前提となっている。
上掲『天の時に応じ、神意にしたがい』これは、恣意なく私なく、天意神意のみに拠って生きること。
上掲『自己の独り知るところを慎み、その力量才覚を人に知られむことを望まず』これは、言っていることが真実であっても、聞いてわかる人がいなければ、それは行われないこと。そして名声を望まないこと。
上掲『神明の代表者たる品位を保ち、自然にして世界を輝かし、心神虚しくして一点の私心なきときは、その胸中に永遠無窮の神国あり。』この神明の代表者とは真人、神人、完全人のこと。神人合一して肉体に帰還できれば、アダムカドモンやアダムのような完全人として、自分らしく生きることができる。自分らしく生きるとは、大死一番から帰還して初めて言えるのだと思う。
※体主霊従:われよし。
弱肉強食:つよいものがち。
※麻柱(あなない)の道:高い所へ登る足がかりが麻柱。転じて霊線、クンダリーニ、すなわち大神につながっているエネルギーコード。