◎般若心経のネタバレ
空(空性)は、一般的に諸々のものは実在性を欠いており、中身は風船のように空であるということ。
龍樹は、空において言葉は止滅しているという。つまり空を体験するためには、言葉のない場所に居なければならない。
空は、サンスクリット語では、シューニャであって、中味がないということ。そこは、肉体も自分も宇宙も言葉も無いところ。
そこに何が残っているかを龍樹も彼の後継者たちもはっきりとは言ってない。
般若心経では、『色即是空空即是色』とある。これは、あらゆる現象には実体はなく、実体がないのがまたあらゆる現象であるということ。つまりあらゆるものが実体がないというポイントから先には出ていないが、それが智慧の完成だと般若心経は主張している。
実体が無いという無は空だが、空という体験とは言えない体験において、一歩進んで、
『その非人間的な心の絶対から人間の喜びと悲しみとを
しみじみと眺めあたたかく包む
何ものかが
限りなくあふれ出す』
(ダンテス・ダイジの詩集『絶対無の戯れ』/森北出版から引用)
という秘儀が起こる。
この一文の事象は般若心経では隠されているが、般若心経はシューニャの境地に至れば否応なく自ずとわかるという立場なのだろう。
この何千年間、隠されてきたネタバレをオープンにしても構わないとOSHOバグワンもダンテス・ダイジも思ったのだろう。OSHOバグワンは、これを無のポジティブ面すなわち窮極を経た先にある現実と見た。