◎ジェイド・タブレット-10-10
◎垂直上昇への仕掛け-10
◎成道と中有行きの分岐点
死のプロセス8段階をここまで詳細に示したものは他にない。これにより、呼吸停止、心停止が起こるのは、4段階目燈明の炎までであって、この段階では、脱身は発生しない。
8段階目で、すべての人が見神、見仏ステージとなる。この時点が、成道と中有行きの分岐点である。
チベット死者の書の説明を見て、以下のような疑問点は残る。
1.なぜ肉体死ではなくエーテル体死のタイミングで、見神見仏イベントが発生するのか。
2.メンタル体による脱身だけが成道のルートであって、アストラル体による脱身は、成道としては失敗であって、中有に入り輪廻転生ルートに入る。だが、メンタル体による脱身の説明はない。
3.肝心の見ている自分を無くす件は隠されている。
生起次第、究竟次第とあるが、生起次第は観想の連続。観想法はリハーサルであって本番ではないと言う考え方が見え隠れする。観想法では、見ている自分というのが抜きがたいのだろうか。
なお究竟次第はほぼ公開されていないが、心滴がどうなど神秘生理学的操作のようであって、それなら公開されない理由もわかる。
4.幻身がチベット密教だけで重視されている理由がよくわからない。改めて『ダライ・ラマ死と向き合う智慧』P195を読んでみると最上は「釈迦の境地」であって、幻身は次善であるとはっきり書いてある。「釈迦の境地」こそが成道なのだ。
それにしてもチベット密教ものでは、幻身が成功譚として取り上げられ過ぎで、大いに誤解されやすいし、私も長年疑問に思っていた。道教の出神とどう違うのだろう。
なお、死に至る8段階は、逆順に並べれば生に至る8段階。
※死に至る8段階:(1)陽炎 (2)煙 (3)蛍 (4)燈明 (5)顕明 (6)増輝 (7)近得 (8)光明
死に至る8段階は、眠りに入る時、夢を見終わる時、くしゃみや失神状態の時、性的オーガズムを感じている時に起こる。一方生に至る8段階は、眠りから醒めるとき、夢を見始める時、くしゃみや失神状態や性的オーガズムが終わる時に発生するとされる。(上掲書P126)
死に至る8段階の終了と生に至る8段階の開始の間こそが、例の隙間ということになる。この隙間で意識的であることが求められるのだ。
また成道とは直接関係ないが、チベット死者の書では大部分が転生のベターなやり方について縷々述べられている。