◎第六騎牛帰家
【大意】
『序
争いはとっくに終わって、捕らえることも放すことも忘れた。木こりの歌う村歌を口ずさみ、童謡を口笛で吹く。
牛の背に跨がり、目は雲のある空を見ている。牛も人も呼び返すこともできず、引き止めようもない。
頌
牛にまたがって、悠揚として家路を目指せば、えびすの笛の音が、一節、一節、夕焼け雲を見送る。
一つの小節、一つの歌曲にも言いようのない情感(意)がこもっていて、真にこのバイブレーションを解する人には、言葉の説明は不要である。』
えびすの笛の音とは無限光明の精妙なるバイブレーションのことである。すなわち窮極(仏、空、神、ニルヴァーナ)から来る波動のことである。
メンタル体上のチャクラは、中心太陽(ニルヴァーナ、空、無限光明)の7つの属性(窮極、智慧、自由、愛、歓喜、安心、力)の現れであるが、そのエネルギーの流れがえびすの笛の音とも言えよう。
この笛の音は、究極から来るものであるだけに、人々の生活を根底から変えてしまうことを本能的に知っているがゆえに、人々はその笛を聞くのをこわがるものだ。笛を奏でる人の仲間に身を投じようとしたり、恥ずべき自分の生き方を思い知らされたり、自分自身に出会う恐怖を直観的に感じるのだ。
本来の自分(仏、神)を見るという体験を第三見牛で得たが、この第六騎牛帰家までは、牛(仏、神、空、涅槃、無)と自分とは別の存在である。従って第六騎牛帰家の位相は、最後の個別性を残したポジションである第5身体のコーザル体のレベルであると見る。
牛という世界全体は見ていて、見ることに大分慣れてきた。だが、見ている自分がまだ残っている。
【訓読】
『騎牛帰家
序の六
干戈(かんか)已に罷(や)み、得失還た空ず、
樵子の村歌を唱え、児童の野曲を吹く。
身を牛上に横たえ、目は雲霄(うんしょう)を視る、
呼喚すれども回(かえ)らず、撈籠(ろうろう)すれども住(とど)まらず。
頌
牛に騎(の)って迤邐(いり)として家に還(かえ)らんと欲す、
羌笛(きょうてき)声声 晩霞を送る。
一拍一歌 限り無き意、
知音は何ぞ必ずしも唇牙(しんげ)を鼓せん。』