アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

神人合一の実感を語る-1

2025-01-10 13:05:39 | 現代冥想の到達点neo

◎ダンテス・ダイジ-今でない今、ここでないここで

(2021-11-17)

 

神人合一した人物がその境地を語ることは、時に沈黙だったり、片言隻句だったり、短歌だったりするのだが、ダンテス・ダイジは、韻文で残してくれている。

 

『今でない今、ここでないここで

 

一刹那 の 生 涯 で も よ い

クリシュナと し て 生き

クリシュナ と し て 死に た い

 

あらゆる演戯を越えた―つの戯れ

根本無明の演戯がなければ

神は神自体を観照することができぬ

 

根本無明のこの移し世が

神自身の唯一の演戯道場

神は人間の作り出した

どんな思想の中にも

宗教の中にもいない

 

人間自体の死の虚無性が

人間からすべてを奪い

人間をも奪う』

(絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジP115-116から引用)

 

ダンテス・ダイジの前世の一つはインドの神人クリシュナとして知られるが、戯れる者、マーヤの演技者としてクリシュナを出して来ている。

 

光明、善、真理などはポジティブであって、人はそのように生きねばならないので、ニルヴァーナに居さえすればよいなどと考えがちなのだが、さに非ず。

根本無明、マーヤ、迷いがなければ、神は神を観照できない。つまり迷いがあって初めて悟りであると、世間の先入観とは逆の真実を表明している。

 

この世は霊界が時至って現実化する移し世なのだが、あらゆる人間の作り出したものを捜し回ったとて、どこにも永遠不壊なる神は見つかるものでない。人間の作り出した思想にも宗教にも神はない。死がそれをことごとく奪い去るからである。

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