◎見ている自分と超能力
鈴木秀子氏は、聖心女子大の先生だが、大階段を落ちる際に幽体離脱し、天国に入り、生還した。これを本人は、臨死体験と呼んでいる。
臨死体験直後は、明らかに見ている自分が残っており、白っぽい金色の輝きにみちた一面光の世界に入って、至福を感じた。
数日後、病室の窓に立った時、大宇宙との一体感を得て、その至福の状態は三日間続いた。が世界は自分であるという逆転の実感はなかったので、まだ見ている自分が残っていたのだろう。ここで、見神ということになるだろう。
彼女には予知能力や癒し能力があって、当初はその能力を積極的に使って、病気治しや、何日に株を買えば値段が上がるかなどを当てていたのだが、そのことが本当に彼ら彼女らのためになるかどうか疑問に思い、やがて超能力を野放図に用いることは控えるようになっていく。
カトリックでは、超能力を積極的に評価したり使用したりする伝統があるので、こうしたことは避けられなかったのだろう。
一般に超能力、霊能力にこだわったままだと自動的に冥想修行の進境は止まる。
だが、カトリックでは、神人合一を目指すわけではないので、見神者であればそれで充分と評価されるところがあるのだろう。
そして「神は人を何処へ導くのか/鈴木秀子/三笠書房」は、2000年4月の本なので、その後彼女に何か起こったかどうかはわからない。彼女の他の著作は読んでいないし、また書いてあることがすべてであるとは限らない。
鈴木秀子氏は、聖心女子大の先生だが、大階段を落ちる際に幽体離脱し、天国に入り、生還した。これを本人は、臨死体験と呼んでいる。
臨死体験直後は、明らかに見ている自分が残っており、白っぽい金色の輝きにみちた一面光の世界に入って、至福を感じた。
数日後、病室の窓に立った時、大宇宙との一体感を得て、その至福の状態は三日間続いた。が世界は自分であるという逆転の実感はなかったので、まだ見ている自分が残っていたのだろう。ここで、見神ということになるだろう。
彼女には予知能力や癒し能力があって、当初はその能力を積極的に使って、病気治しや、何日に株を買えば値段が上がるかなどを当てていたのだが、そのことが本当に彼ら彼女らのためになるかどうか疑問に思い、やがて超能力を野放図に用いることは控えるようになっていく。
カトリックでは、超能力を積極的に評価したり使用したりする伝統があるので、こうしたことは避けられなかったのだろう。
一般に超能力、霊能力にこだわったままだと自動的に冥想修行の進境は止まる。
だが、カトリックでは、神人合一を目指すわけではないので、見神者であればそれで充分と評価されるところがあるのだろう。
そして「神は人を何処へ導くのか/鈴木秀子/三笠書房」は、2000年4月の本なので、その後彼女に何か起こったかどうかはわからない。彼女の他の著作は読んでいないし、また書いてあることがすべてであるとは限らない。