◎クンダリーニ・ヨーギは六度死ぬ
(2007-03-01)
このブログの基本的主張のひとつとして、クンダリーニ・ヨーガの道を選んだ人ならば、死の世界を極めれば、人は絶対に悪いことをしなくなるというものがある。
明治から昭和にかけての偉大な古神道家(クンダリーニ・ヨーギ)、出口王仁三郎は、五、六度死の世界に入っていると告白している。そして、生きているうちに死後の世界がわかると何が善で何が悪かわかる(五倫五常)とも言っているので、その主張しているところは同じである。
生きながら死の世界に入るという意識の極限状態を経ないと、本当の愛、本当の善などわかるものではないのである。だから宗教教義の教育習得だけで、愛と善に生きることなど決して出来はしないとも言うことができる。
『私は五六度死んだことがあるが、生きかへつてから後も二週間くらゐはひどく疲労れたものである。元来生の執着は神様より与へられたものであつて、結構なことである。三十才の生命を神様より与へられてをる人が十五才にして自殺したとすると、十五年の間霊は迷うてゐるのである。
しかのみならず霊界へ行けば総てが決まつてしまふから、人は現界にある内に十分働かして貰はねばならぬ。人生の目的は地上に天国をひらくためであるから、魂を汚さんやうにすることが一番大切なことである。刀身がゆがむと元のさやに納まらないごとく、魂が汚れゆがむと元の天国にはをさまらぬ。
人間に取つて一番大切なことは何といつても生きてゐるうちに死後の存在を確かめておくことである。死後の世界が分かると五倫五常が自然に行へる。倫常を破るといふことは自分の損になることがハツキリ分かるからである。
人間は死後の世界を研究してから仕事をするがよい。私は人生問題になやんであるときは爆弾を抱いて死んでやろうかとさへ思つたことがある。神様の御恵みによつて何もかも知らして頂いて歓喜に満ちた生活に入ることが出来たのであるが、当時の悩み悶へ、苦しみ、幾度か死を考へたことほどそれが痛切であつたのである。』
(水鏡/難き現界/出口王仁三郎から引用)