◎君はどこで生まれ、どこで育ち、どこで何をしようとしているのか?
ダンテス・ダイジの原典『救世主入門』の大悟覚醒時の実感についての解き明かしの続き。
『君はどこで生まれ
どこで育ち
どこで何をしようとしているのか?
これらの答えは
君たち自身と共に
常に変化しているはずである』
(十三番目の冥想 原典『救世主入門』雨宮第慈講話録/渡辺郁夫編p106から引用)
これは、ニルヴァーナを生きている人すなわち悟った人向けに言っている。悟った人は今ここを生きていて、過去現在未来がいわば一枚の液晶モニターみたいになった世界に生きている。
君の現在は常に変わり続けるが、それに合わせて未来も変わるし、過去すらも変わる。
『このことは憶えておく必要はない
君はいつも見知らぬ世界に
いつも見知らぬ旅人としてある
君たちは常に今から
まったく新しい旅へ出発する』
(上掲書P106から引用)
見知らぬ世界にいつも見知らぬ旅人としてあるのは、覚者の生活実感であって、透徹した孤独である。それは、窮極に至れば、必ずそうなるから憶えておく必要はない。
現在にしか居場所はないということを、『常に今から
まったく新しい旅へ出発する』(上掲)と表現している。
『理由のある安心を持ってはならない
絶対の安心には
どのような根拠もない
君の素直さが
君を安心させる』
(上掲書P108から引用)
理由のある安心とは、願望や祈りや希望が実現したから安心した、というようなある条件を満たした場合の安心のこと。
どのような根拠もない絶対の安心とは、人間である以上その絶望と不条理から決して逃れることはできないが、人間が神に逆転すると何も問題がないことがわかる。これが、どのような根拠もない絶対の安心。
君が素直なら絶対の安心になる。
『救世主はいつも一番らくでいる
ちょっとらくでいるのではなく
一番らくでいる
一番らくでいることがどれほど恐ろしいものであっても
君は恐れてはならない』
(上掲書P108から引用)
素直だと楽だが、一番楽でいることはとても恐ろしいことだが、それを恐れてはならないと、ダンテス・ダイジは引き締めている。