アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ダンテス・ダイジの『死生観』-1

2024-12-14 06:35:41 | ダンテス・ダイジの風光

◎古神道の奥義開陳

 

ダンテス・ダイジの断簡に古神道関係のものはほとんどない。道場の壁に墨色黒々と、出口王仁三郎の高熊山での開悟の歌『われは空行く鳥なれや』の一節を彼が揮毫したのを見たことがある程度だ。

 

以下は、珍しいダンテス・ダイジの古神道の死生観を歌ったもの。出口王仁三郎の霊体からダンテス・ダイジは、古神道の奥義を受けたが、誠に出口王仁三郎直伝をうかがわせる。

 

『天と地とは永久に

陰と陽との生き通し

神の水火(いき)より生まれたる

人は神の子神の宮

生くるも死ぬるも同じこと       

 

これをば物にたとうれば

神の世界は故郷の

恋しき親のいます家

この世に生まれた人生は

露のしとねの草まくら

旅に出でたる旅人の

クス野をたどるが如くなり

 

辿りたどりて黄昏に

いずれの家か求めつつ

これに宿りしその時は

この世を去りし時ぞかし

 

一夜の宿を立ち出でて

またもや旅をなす時は

まだ人間と生まれ来て

神の働きなす時ぞ

生まれて、一日働いて

死んで、一夜をまた休む』

(続く)

 

生き通しというのは、人が輪廻転生を永遠に繰り返すということではなく、現象世界の転変が止むことはないということ。輪廻転生の終わりはあると思う。

 

※クス野:三五(あなない)教(大本教のこと)の宣伝使が、アルタイ山を右に見て、西へ西へとクス野ケ原の曠野を進んで宣教するシーンが霊界物語第10巻から11巻にかけて展開している。

 

日中が活動の生で、夜が休息の死で、生が旅路で、死が生家での休息。生と死は分断していないと見る。これはマンツーマン輪廻の実態からすればどうかというところはある。

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