◎肉体の死と深い方の夢
人間は肉体が死んでもほとんどの人は悟りを開かない。それは、肉体が死んだとしても「起きて活動している時間帯の自分という夢」が続いていて、相変わらず「起きている時間帯も眠っている時間帯も稼働し続ける自分という夢」(深い方の夢)には気づかないまま死後の世界にいるということ。
チベット死者の書は、人間を悟りに導くプロセスの説明ということで一貫しているので、そういう実もふたもない説明の仕方はとらないが、実際はそういうことである。
死のプロセスにおいて、肉体機能停止直後に、すべての人が悟りである「原初の光」に出会うが、誰もがそれと認知できるわけではない。ごく一部の人だけが、「原初の光」を見る。
肉体機能停止後数時間で、エーテル体は崩壊。アストラル体は残るわけだが、Aさんが死んで、アストラル体がAさんのままかといえば、そうでなくA´さんになるらしい。アストラル体A´さんになったとしても大概の人は、「起きて活動している時間帯の自分という夢」だけを自分と思い込んで悟らないままで、あの世に生きる。
だが、その意識感とかあの世における見方、感じ方は、どこにいても中心太陽が見える(あの世探訪譚では、大概いつでも中心太陽(central sun)が見えると書いてあるものだ)ことからすると、肉体人間が、神を知らないという見方、感じ方とはまた異なるものかもしれない。
それにしても大悟覚醒する側は、七転生で大悟したとか、何百回も転生した後に大悟したということからすれば、大半の人が肉体の死後においても、悟りすなわち「起きている時間帯も眠っている時間帯も稼働し続ける自分という夢」に気づかないまま生まれ変わってくるのだと思う。深い方の夢には気づかないのだ。