◎臨終の時
妙好人與市の臨終直前。誰でも死の半年前には死を予感するというが、獲信者(他力信心を得た人)の彼はどうだったのか。
『與市は、死ぬ二日ほど前に、次のような独り言を言っていた。「死んだらまず第一にご本山へ参り、親様や祖父様や、祖母様に会うて・・・・・」。』
(新妙好人伝近江・美濃篇/高木実衛/編 法蔵館P62から引用)
『與市の病気がだんだん重くなり、大変苦しそうにしているので、妻がそばからどんな様子かと尋ねると、與市は、「死にとうない」と答えた。
與市の臨終が近づいたころ、兄弟眷属が與市を見舞い、「お前は、若い時から大変よくお慈悲を喜んでいたから、こんど死んだらお浄土へ参らしていただくに相違なかろう。お浄土へ参らしていただいたら、またわしらを済度に出て来てくれ」と言うと、與市は次のように言った。「お浄土へ参って、親様に聞いてみればわからぬ」。』
(上掲書P62から引用)
※親様:阿弥陀仏
與市は見仏体験があるようだが、死んだら本山に参り云々と言ったり、死にたくないと言ったり、死を受け容れかねている。
浄土真宗では、まず浄土に生まれ変わって、次に弥陀の本願に抱き参らせるところを狙っているのだろうと思う。死後辺地浄土に往生するのは最終目的ではないわけだ。
浄土に往生した後、弥陀の本願に救われるというが、どのように救われるかは知らないので、「お浄土へ参って、親様に聞いてみればわからぬ」と與市は正直に答える。この生真面目さ、フランクさが、真正の求道者の印である。
また與市に見仏体験はあるようだが、そこから先へは行けなかったのだろう。
同じ妙好人の浅原才一は、すべてが南無阿弥陀仏でできている世界に入りさらにそこから先に進めた例はあるが、臨終直前まで與市はそこまで行けていなかった。とはいえ、彼の実際の臨終時には、先に進めていたかもしれない。