◎数珠、「煩悩のしばり縄」
『ある時、畑に作っていた南瓜を盗まれたことがあった。それを聞いて、友人や知人が見舞いに行くと、與市は「盗人を悪く言うことはできぬ。わしらは、仏様の物まで盗んで来ているじゃからのう」と言うのであった。』
(新妙好人伝近江・美濃篇/高木実衛/編 法蔵館P56から引用)
夏の蚊が多い時に、與市は蚊帳の外に片足を出して、「わしは貧乏で先祖の年忌が来ても供養できないので、今夜はこの足を思う存分食ってくれ。」と蚊に言った。
さらにその頃東海道を走り始めた汽車を見て、「浄土の汽車は、もっと早い。」と言った。
與市は、浄土を実地に見聞したことがある上に、蚊も仏様と見て供養しているからには、万物が仏様であるということを、どこかで実体験したのではないか。それで、「わしらは、仏様の物まで盗んで来ている」と言っているのだろうか。
『與市は数珠のことを、時折「煩悩のしばり縄」と言っていた。数珠が切れて、買うことができない時には、紙縄を輪にして数珠の代わりにかけていた。
與市が三十九歳の時、明 治十二年(一八七九)十月十八日付で、西本願寺から篤信を表彰され、数珠が下付された。
(中略)
手次の彦根明性寺の住職が、與市を呼び出し、その旨を告げると、與市は「それはまったく身に覚えなきこと、必ず人違いに相違ありませぬ。私など、とても法義相続のできる者でございませぬ」と、大変驚いた。
そこで住職が賞状を見せて、「この通り、椋田與市としてあるからには、けっして人違いではない。心配せずに喜んでお受けしなさい」と言うと、「それが本当ならば、喜びどころじゃございませぬ。私は、明日から飯食うこともできぬようになります」と、当惑した様子になった。
住職が不審に思い、その訳を尋ねると、次のように言うのであった。「私は毎日、大根を売っては米を買って日暮しをしています。一把の大根を束にするにも、大きな物を外に並べ、小さいのを中に入れて、全部大きな大 根のように見せかけて、人目を盗んで高く売る工夫をしているのです。それに今、本山から奇特な同行じゃ、感心な信者じゃなど、賞められてみると、もはや、そんなこともできなくなり、飯を食うのに困って来ます。どうぞそれはご本山へお返しください」。
このように、真剣になって断わる與市を、住職は種々説き勧めて、むりやり数珠を拝受させた。
やむなくそれを家へ持ち帰った興市は、仏壇の奥深くしまいこんで、誰にもそのことを語らなかった。』
(上掲書P61から引用)
これは、自分に厳しいというか、自らも仏と同等の目線に立って自分の所業を見ている。與市は既に見仏体験はあるのだろうから、このような不条理な局面にあって、不本意ながら、ぎりぎり折り合いをつけて生きて行かざるを得なかったことがわかる。
信心の深さを褒められて物をもらうというのは、微妙なことだからである。