◎体格の大型化と冥想姿勢
(2015-07-06)
禅と神秘思想/エノミヤ・ラサール/春秋社には、西洋人は背骨を支えられないので坐が苦手であることが書いてある。
結跏趺坐か、半跏かということになるのであるが、結跏は日本人でもある程度の修錬(柔軟体操など)が必要であり、かつまた背骨を立て続けるには結構な筋力が要る。半跏であれば、大体の日本人であれば問題あるまい。
西洋人は半跏であってさえも苦痛があるのが一般的で、痛みなく半跏できる西洋人は稀だと言う。
かつての曹洞宗の長老宮崎奕保禅師も晩年は趺坐するのが大変だったようだ。
老齢になると日本人でも筋力が落ち、柔軟性も落ちるので、若い時には考えもしなかった筋力アップや柔軟体操が必要になるとは思わなかった。
結跏趺坐だけが、冥想姿勢ではないが、西洋人のボディが冥想向きではないという一つの傾向だろう。
さてここのところ日本人の体格が向上してきて、陸上短距離や、水泳、野球など世界的に通用する人間が徐々に出てきている。要するに日本人の体格が大型の西洋人に近づいているということで、そのことが却って脊柱を立てるという冥想姿勢の基本の一つができにくくなっているのではないかと懸念されることである。
特に女子の体格大型化は目立つ。
冥想に適する肉体という議論は間違った方向を向きがちなのだが、これも一つ注目すべきポイントではないかと思う。
冥想姿勢の基本は、結跏趺坐は身体固定だが、クンダリーニ・ヨーガの姿勢はゆるいということ。