◎浄化の日課
寒の入りの頃は、体調を崩しやすく、心なしか法事の類も多いように思う。体調を整えるために飲食を節制するのは、気の利いた人ならやっているが、聖者、覚者、修行者、錬金術者も、それぞれの細かな飲食のルール、生活のルールを守ってやっているものだ。
食物により体内に発生するガスを抜くのは、その代表的なもので、加えて発汗、血行促進、柔軟体操、神経系を長期的に刺激する気功系の導引などの運動、若干の呼吸法などを組み合わせて採用しているものである。飲酒も喫煙もしない、菜食オンリーという場合もままある。
そこで、今更ながらハタ・ヨーガの定義。
『ハタ・ヨーガ
ウパニシャッド時代を過ぎると、肉体は、苦痛の源泉ではなくて、「死を征服する」ための有力な道具とみなされ、肉体を可能な限り持続することが求められた。肉体を神的な肉体に変成することをめざして、12世紀ころにカーンパタ派のヨーガ行者ゴーラクナートGorakhnathによって始められたのがハタ・ヨーガである。
それは単なる競技や衛生のための体操ではなく、タントラ教の教義によると、hathaとは、「暴力」「激烈な努力」の意であり、haは太陽、thaは月であって、太陽と月の結合によってヨーガを形成するものである。
その実践は「浄化」を目的とし、Dhauti、Basti、Neti、Nauli、Trataka、Kapala bhati の六部に分けられ、たとえばダーウティは、「内面的洗浄」、歯の洗浄、直腸の洗浄などに分けられて、長い布を嚥下し、しばらく胃の中にとどめておくといった行法を行う。
また神経機能を統御する能力を養い、心臓のリズムと呼吸のリズムを自在にすることができる。また不随意筋を随意筋のように働かせ、尿道、直腸による液体の吸収と排泄、精液の射出の停止(これは「左道」のタントラ教の最大の特徴である)を意のままに行う。Eliade,Patanjali and Yoga,pp.185-190 および Yoga, Immortality and Freedom,pp 227,fによる。』
(鍛冶師と錬金術師/エリアーデ/大室幹雄訳/せりか書房p171訳注から引用)
精液の射出の停止は、「左道」のタントラ教だけに見られるものではなく、よくある。
Dhautiは、内臓、歯、のど、直腸の浄化
Bastiは、腸の下部の浄化
Netiは、鼻孔内の浄化
Nauliは、腹部の収縮
Tratakaは、凝視
Kapala bhatiは、肺の浄化
と並べてみると、ホット・ヨーガとかエアロビクスでは、腹部の収縮ってあまりやらないのではないか。
でもってハタ・ヨーガでは、腹をつくることに関心がない。腹を造るとは臍下丹田(スワジスターナ・チャクラ)の強化であるが、丹田が出来ている人は腹が出ているものであり、この世をその胆力で渡りやすい(だから良いとか悪いとかの議論はあるが、それは別の視点)。それは、腹の収縮をやるのと関係がないのだろうか。
さて、ハタ・ヨーガでは、浄化して、「それ」に至る。一生を賭けた肉体中心の禊(みそ)ぎによって、次の転生でパーフェクトなボディ(肉体)に乗って、冥想修行(クンダリーニ・ヨーガですね)しようというものである。
この考え方は、今生で悟らないことを前提にしていること、人生一回きりのチャンスをかなり棒に振っている可能性があること、今の切羽つまった時代に間に合うのかどうか怪しいことなど、いくつかの問題点がある。
これらは、ハタ・ヨーガも正統的な求道だからいいじゃないかという正論とは別のところにある議論ではあるが、看過できないポイントであると思う。
多忙な現代人は、「迷いのままに悟る」。ならば、そのポスチャー(坐法)は、やはり只管打坐主流となるのではないだろうか。
朝、頭の体操的に拝見させて頂いています。
m(._.)m
至福って、
真我のエネルギーって、
こちら側のニンゲンという現れにしてみたら、
凄く眠くなってしまうエネルギーです。
はに的には(・・;)
だので、
タバコを吸わないと眠くて眠くて相当眠くて、
スパスパする事も有ります、、
さいきんは、ニコチン中毒も混じってる気もしますが、、(・・;)
ハタヨガの方はどうしてるのかな?
と、素朴に思っちゃいました^^;笑
ヨガされてると、眠くならないのかな?
中々、
この社会での覚者役もキツいです。
(・・;)苦笑
神人合一、ガツンとしてないから、準覚者、または、神秘家かな(・・;)まあ、何でもいいんですが、、(・・;)
まあ、結局は自分がもう跡形もなく、完全に源へ消え去る為何ですが(・・;)
おそらく、、、
ではでは、おじゃま様でしたm(._.)m
社会人としてやっていくのも、悟りを目指すのも生きるエネルギーがある程度必要だと思いました。