◎天国と地獄間を何往復も
出口王仁三郎が、雑誌昭和青年で、「耶蘇坊主は天国に墜落するし、仏教坊主は極楽に墜落している」と発言している。
天国、極楽を目指すのはダメと言っている。善を行い、悪を行わないというのは、人間の行動の大原則であって、その結果、人間は天国、極楽に入ることになるが、それでもいかん、それでも足りないと言っているわけだ。
どうして天国や極楽を目指すのがまずいのかを理屈で説明することはできない。浄土系は、辺地浄土という極楽の一角を目指し、キリスト教は梯子を登って天国を目指す。
しかし天国、極楽に入った身魂は、何年かたてば、その果報、功徳を使い果たし、挙句には地獄に落ちるようなことになる。それでよいのか、と問うているわけだ。
何百年、何千年サイクルでは、人は天国と地獄の間を何往復もするのではないのか。
そこで、神に復えるべしと説く。天国と地獄の結婚である。
焦熱の地獄に落ちし現身(うつそみ)も
神に復ればこころ涼しき
(霊界物語第一巻第十九章余白歌)